昔、高校生の頃、受験勉強で大学受験ラジオ講座を聞いていた。
その中に東京外国語大学の海江田進先生の和文英訳があった。その講義を聴いてはじめて日本文を英語に訳するにはまず日本語を英語に訳しやすいようにその意味を考えるということを知った。
高校の英語のN先生は英語のよくできる人であったが、それでもその講義でそういう風にするのだということは直接は教えてもらわなかった。
これはずっと後になってだが、作家の小田実が予備校の英語の講師として和文英訳を担当していたときに、彼の講義がまず日本文をその意味をよく考えてそれを簡単な英語に訳すという風に進めていたことを小田のエッセイで知った。
小田はその日本文の意味をよく考えるということに和文英訳の時間の大部分を使ったという。
英語はあまり上手ではないが、私も論文を書くときには言いたいことをまず箇条書きに日本語でまとめておいてそれをできるだけ直接に英文で表現するのが常だった(これを梅棹忠夫は「こざね法」という。「知的生産の技術」(岩波新書)参照)。
英文を書き始めた始めのころはひょっとしたら、日本文をまずつくっておいてそれを英語に訳そうとしたかもしれないが、そんなことはうまくいかないことがすぐにわかった。というのは日本文がうまくは書けていないからである。それですぐに日本文を和文英訳することはあきらめた。
それに大学院生くらいだと指導教官がその英語を添削してくれる。いや、はじめは日本語で書いた論文も添削をしてくれた。そのころは文章を書くのにいつも苦労をした。
たくさん、長文を書くのだが、それがばっさりと削られて短い簡潔で要を得た文に変わっていく。その結果としてはじめに自分の使った単語はあちらこちらに浮かぶ小島のように残っているだけである。
そういう訓練を経て、やっと日本文が書けるようになった。もっともいまでも悪文かもしれないけれど。
いまでは他人様の日本語の文章の「てにをは」にまで手を入れるということまでする。畏れ多いことである。一般に人は話をすることはできるが、意味の通った日本文を書ける人は少ない。
文章を書くことは多分に訓練によるので、私の知人なども「はじめは文章を書くことはね」と敬遠していたが、この頃はあまり長くない文章なら、すらすら書けるようになった。
人にできることは他の誰でも訓練さえすれば、誰にでもできるものである。