近しい友人が先日亡くなった。このことを私は知らなかったのだが、昨日、帰宅したら元同僚の方から電話があって、妻がその伝言を聞いてくれていた。
別に人間は無限に生きれると思っているわけではないが、それでもあたかも無限に生きられるかのような感覚で日頃を生きている。もっともよく考えててみれば、いつ私たちが死亡したとしてもおかしくない年になっていることに気がつく。
亡くなった同級生の彼ではなくて、私が級友を驚かせて死亡していても不思議ではない年になったのである。そのせいかどうか昨夜は少し寝入りが悪かった。
高校生のときの同級生や大学のときの同級生が亡くなるという事実は、私たちはすべからく生物の一員であり、生命が無限ではないことの証でもある。だが、それだからでもあろうが、やはり人は自分が死亡するという恐れをもたないから生きていける。いずれは物故することは誰も避けられないのだけれども。
そういうことを感じていた今朝に O 先生の奥様から電話をもらった。O さんの「量子力学講義ノート」の発表をせかされたわけではないが、それに当る意味をもっている。どうやって日頃の仕事の中に取り込んでいくのか。工夫が必要である。
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