いろいろな事故で骨髄損傷を起こす人がいるということは知っているが、それがあまり身近ではなかった。いや今でも身近とはいえないが、昨日からそれの関係の文書を少し読んでいる。
骨髄損傷かどうかは知らないが、車椅子テニスのチャンピオンである国枝選手などはそういう障害に負けずに車椅子テニスのパラリンピックでの優勝とかその後のプロ転向等で話題となった。
また、このことは暗く沈みがちな身障者に勇気を与えていることも事実であろう。人間は希望があれば生きていける。これは障害や病気に犯されていても同じことであろう。
どうやって沈みがちな自分の人生に希望を与え、生き甲斐を見出すか。これは難しいことであるが、そういう取り組みをやることができるのが人間の素晴らしいところであろう。
大江健三郎の「広島ノート」(岩波新書)だったかに重藤文夫という医者の先生のことが出ていた。重藤先生自身が広島で原爆を受けたのだったと思うが、薬や包帯とかいろいろな医療品も足りていないときでも希望を捨てないで医者としての治療に尽力をされたという。
大江さんの描いた「広島ノート」はそこが救いであったと思う。大江さんは文章が重厚でくどくどと何かを述べるという感じがしたが、やはり彼は見るべきことは見ている。
彼の卒業した松山東高校のキャンパスが私の仕事場からかいま見えるが、緑あふれる学校である。 ごくまれに午後この学校の近くを散歩するとテニスコートで生徒が練習をしている。
私も少しテニスをするので、いつだったかしばらく見ていたら、ボールを拾いに塀のそばまで来た生徒さんに「今日は」と挨拶をされたことがあった。OBの人が自分たちの練習を見ていると思ったのかもしれない。だが、残念ながら私はこの伝統ある高等学校の卒業生ではない。
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