私のブログのタイトル名にはおよそ相応しくないような硬~い、固いタイトル名である。そんな堅いタイトルの講座を受講してきた。
報道などを見る限り、中国政府のスポークスマンの日本に対する高慢な態度にはいつも不快な思いをさせられる。また、日本との間に何かコトが起こったときの中国人の過剰な反応にも驚きを通り越して、呆れかえるばかりである。
そうした中国の対日観はいかに醸成されてきたのか、歴史的な側面から解説してくれたのが本講座であった。
道新のぶんぶんクラブと国学院大学との共催による教養講座が4月9日(土)に道新本社会議室で開催され、国学院大学の樋口秀美准教授の講義を受講した。
樋口氏の講義内容をごくごく粗くまとめてみることにする。
※ 講義をする樋口國學院大學准教授です。
中国には古来から華夷(かい)思想と冊封(さくほう)体制という考え方があった。
「華夷思想」とは、自らを「華」と讃え優越感を誇示する一方、中国を取り巻く周りの国々を未開の民族を表す「夷」と称して蔑視する考え方である。
また「冊封体制」とは、中国皇帝と外国元首との間に君臣関係を結び、自らを「君」、外国元首を「臣」とするような擬似的な主従関係(植民地体制などとは違う形式的な関係)を結んでいた体制を指す。日本も歴史的には中国皇帝の「臣」として交流していた時代があった。(ex.遣隋使、遣唐使)
一方、歴史的には時代が下がって民間交流が盛んになった時代に、日本に「倭寇」が登場し、そのことが中国人に「日本人は凶暴で狡猾」というイメージを植え付けてしまった。
(南京大虐殺の件などもそのことが影響している?)
こうしたことがベースとなって、近・現代における日本と中国の間には複雑で不幸な争いや諍いが、時には激しく、時には水面下で続いているというのが非常に粗っぽい「中国の対日観の歴史的背景」と言えようか。
中国は今、諸外国との交流において世界的潮流である互恵平等・主権対等の立場に立たねばならないのだが、根底では華夷思想、冊封体制の考え方を捨て切れずにその思いが時として顔を出す場面が今もあるようだ。
中国が真の大国として脱皮するには華夷思想、冊封体制の考え方を捨て去ることではないか、と私は考えたのだが…。
報道などを見る限り、中国政府のスポークスマンの日本に対する高慢な態度にはいつも不快な思いをさせられる。また、日本との間に何かコトが起こったときの中国人の過剰な反応にも驚きを通り越して、呆れかえるばかりである。
そうした中国の対日観はいかに醸成されてきたのか、歴史的な側面から解説してくれたのが本講座であった。
道新のぶんぶんクラブと国学院大学との共催による教養講座が4月9日(土)に道新本社会議室で開催され、国学院大学の樋口秀美准教授の講義を受講した。
樋口氏の講義内容をごくごく粗くまとめてみることにする。
※ 講義をする樋口國學院大學准教授です。
中国には古来から華夷(かい)思想と冊封(さくほう)体制という考え方があった。
「華夷思想」とは、自らを「華」と讃え優越感を誇示する一方、中国を取り巻く周りの国々を未開の民族を表す「夷」と称して蔑視する考え方である。
また「冊封体制」とは、中国皇帝と外国元首との間に君臣関係を結び、自らを「君」、外国元首を「臣」とするような擬似的な主従関係(植民地体制などとは違う形式的な関係)を結んでいた体制を指す。日本も歴史的には中国皇帝の「臣」として交流していた時代があった。(ex.遣隋使、遣唐使)
一方、歴史的には時代が下がって民間交流が盛んになった時代に、日本に「倭寇」が登場し、そのことが中国人に「日本人は凶暴で狡猾」というイメージを植え付けてしまった。
(南京大虐殺の件などもそのことが影響している?)
こうしたことがベースとなって、近・現代における日本と中国の間には複雑で不幸な争いや諍いが、時には激しく、時には水面下で続いているというのが非常に粗っぽい「中国の対日観の歴史的背景」と言えようか。
中国は今、諸外国との交流において世界的潮流である互恵平等・主権対等の立場に立たねばならないのだが、根底では華夷思想、冊封体制の考え方を捨て切れずにその思いが時として顔を出す場面が今もあるようだ。
中国が真の大国として脱皮するには華夷思想、冊封体制の考え方を捨て去ることではないか、と私は考えたのだが…。