昨15日夕、彫刻家安田侃氏の講演会があった。その講演会をより理解するためにも、講演会前に現在札幌市内で開催され展示されている安田侃氏の作品を見ておきたいと思った。昨日、その全てを見て、写真に収めたので紹介することにします。
今回の野外展示会では、札幌市内に常設されている作品が8点。今回の展示会のために設置された作品が20点である。
そこで本日はすでに札幌に常設され、札幌市民もよく目にしている作品を並べてみることにした。
今回私が作品を撮るにあたって留意した点が一つだけある。
それは作品だけではなく、作品とともにその周りの様子も取り込みたいと思ったことだ。
この思いはどうやら間違いではなかったらしい、その夕刻の安田氏は「彫刻があることによってその後側の風景がどう見えるか」「彫刻は置かれた風景の中で生かされたり、無意味なものになったりする」と話されていた。
それでは北海道知事公館前庭に設置されている作品から写真とともに紹介します。
◇「童心帰」 北海道知事公館
私が札幌市内に常設されている安田氏の作品の中で最も周囲の風景に溶け込んでいる作品とみているものである。
◇「妙夢」 JRタワー
安田氏の作品の中では最も人々の目に触れているであろう作品である。札幌駅の待ち合わせ場所の一つとして定着しているようである。この日も何人もの人が人待ち顔で傍に立っていた。
◇「生棒」 創成川公園
安田氏の作品では丸みを帯びたものが有名であるが、対してこのように極端に角張った作品も何点か見られる。
◇「天秘」 創成川公園
同じ作品名の作品が創成川公園にはもう一つあった。
◇「天秘」 創成川公園
同じ作品名とはいえ、その形、置かれている状況で違った作品に見えてくる。
◇「相響」 札幌コンサートホールKitara屋外
同じ作品をまったく角度を変えて撮ったらどのように印象が違ってくるだろうか、と思い表と裏から撮ってみた。あなたはどちらのシュチエーションが気に入りましたか?
◇「相響」 札幌コンサートホールKitaraエントランスホール
実はもう一つ同じ作品名の作品がKitaraの大ホールホワイエにも設置されているのだが、こちらは扉が閉ざされ撮ることができなかった。
さて、ここまで作品を紹介してきて気が付かれることがあるだろう。それは作品名の難解さである。一つ一つの文字からなんとなくイメージできるものがあるのだが…。講演会でそのあたりを語ってくれるのではと期待したが、それはなかった。ただ示唆的な言葉があった。「自分の作品は抽象彫刻である。見る人がどのように思ってもかまわない。願わくば、作品を見て自分の人生を感じてほしい」と述べた。そこには作品名についても確としたものを感じなくとも、それぞれが何かをイメージしてくれれば良いのだ、と語っているように私には伝わってきた…。
今回の野外展示会では、札幌市内に常設されている作品が8点。今回の展示会のために設置された作品が20点である。
そこで本日はすでに札幌に常設され、札幌市民もよく目にしている作品を並べてみることにした。
今回私が作品を撮るにあたって留意した点が一つだけある。
それは作品だけではなく、作品とともにその周りの様子も取り込みたいと思ったことだ。
この思いはどうやら間違いではなかったらしい、その夕刻の安田氏は「彫刻があることによってその後側の風景がどう見えるか」「彫刻は置かれた風景の中で生かされたり、無意味なものになったりする」と話されていた。
それでは北海道知事公館前庭に設置されている作品から写真とともに紹介します。
◇「童心帰」 北海道知事公館
私が札幌市内に常設されている安田氏の作品の中で最も周囲の風景に溶け込んでいる作品とみているものである。
◇「妙夢」 JRタワー
安田氏の作品の中では最も人々の目に触れているであろう作品である。札幌駅の待ち合わせ場所の一つとして定着しているようである。この日も何人もの人が人待ち顔で傍に立っていた。
◇「生棒」 創成川公園
安田氏の作品では丸みを帯びたものが有名であるが、対してこのように極端に角張った作品も何点か見られる。
◇「天秘」 創成川公園
同じ作品名の作品が創成川公園にはもう一つあった。
◇「天秘」 創成川公園
同じ作品名とはいえ、その形、置かれている状況で違った作品に見えてくる。
◇「相響」 札幌コンサートホールKitara屋外
同じ作品をまったく角度を変えて撮ったらどのように印象が違ってくるだろうか、と思い表と裏から撮ってみた。あなたはどちらのシュチエーションが気に入りましたか?
◇「相響」 札幌コンサートホールKitaraエントランスホール
実はもう一つ同じ作品名の作品がKitaraの大ホールホワイエにも設置されているのだが、こちらは扉が閉ざされ撮ることができなかった。
さて、ここまで作品を紹介してきて気が付かれることがあるだろう。それは作品名の難解さである。一つ一つの文字からなんとなくイメージできるものがあるのだが…。講演会でそのあたりを語ってくれるのではと期待したが、それはなかった。ただ示唆的な言葉があった。「自分の作品は抽象彫刻である。見る人がどのように思ってもかまわない。願わくば、作品を見て自分の人生を感じてほしい」と述べた。そこには作品名についても確としたものを感じなくとも、それぞれが何かをイメージしてくれれば良いのだ、と語っているように私には伝わってきた…。