私にとって今年のビッグイベントの一つ「さだまさし」のライブコンサートを楽しんだ。さだと同世代のシンガーのライブはいろいろ聴いているが、さだまさしは初めてだった。噂に聞いていたとおりさだ節に酔った3時間だった…。
さだまさしは今年も全国を縦断するようにライブコンサートを精力的にこなしているようだ。その一環として、9月19日(月)ニトリ文化ホールで札幌コンサートが行われた。
6月25日、チケット発売日にプレイガイドに行くと長蛇の列で、妻と二人分のチケットは残り数枚というきわどい状況の中で入手できたものだった。
当日会場は超満員の状態で「さだまさしいまだ健在!」という感じだった。
コンサートのコンセプトは最新アルバムと同名の「Sada City」。さだまさしの心の中にある街をイメージしたものだという。そのアルバムの収録曲の「桜の樹の下で」からコンサートは始まった。そして、「古い時計台の歌」…。
2曲終えた時点でさだ節がさっそく炸裂した。その滑舌の良いこと良いこと。一気にさだワールドに引き込んでくれる。

※ コンセプトの「Sada City」のイメージを絵で描いたものです。
さらに「バースディ」、「道化師のソネット」を終えた後は、30分になんなんとするほど長々とさだは語った。その内容は今回の東日本大震災に関わり、さだが行動したと、感じたこと、これからのこと等々…。
時に皆を考えさせ、時には皆を笑わせ…。一曲でもたくさんさだの歌を聴きたい思いもあったが、彼の歌と同じくらい彼の語りは聞くに値するものだった。

休憩なしでおよそ3時間。彼は歌い、そして語った。
アンコールも含め、私がカウントしたところ18曲歌ってくれた。中には私が知らない曲もあったが心地よく楽しめた3時間だった。
一時、彼の声量が落ちたのではと思っていた時期があったが、今回のコンサートではその不安を感ずることもなかった。
私が最もさだらしさを感じたのは、生ギター一本で歌った最後の「命の理由」という歌だった。ギター一本のために彼の詩がクリアに私の耳に飛び込んできた。バックバンドが入ると確かに音に厚みが出るが、言葉が不鮮明になる。
さだの魅力の一つはその詩の素晴らしさにあると私は思っている。その詩を大切にしたステージ構成を考えてくれたらなぁ、私は思ったのだが…。(無理なことは承知で書き込んだ)

さだまさしは今年も全国を縦断するようにライブコンサートを精力的にこなしているようだ。その一環として、9月19日(月)ニトリ文化ホールで札幌コンサートが行われた。
6月25日、チケット発売日にプレイガイドに行くと長蛇の列で、妻と二人分のチケットは残り数枚というきわどい状況の中で入手できたものだった。
当日会場は超満員の状態で「さだまさしいまだ健在!」という感じだった。
コンサートのコンセプトは最新アルバムと同名の「Sada City」。さだまさしの心の中にある街をイメージしたものだという。そのアルバムの収録曲の「桜の樹の下で」からコンサートは始まった。そして、「古い時計台の歌」…。
2曲終えた時点でさだ節がさっそく炸裂した。その滑舌の良いこと良いこと。一気にさだワールドに引き込んでくれる。

※ コンセプトの「Sada City」のイメージを絵で描いたものです。
さらに「バースディ」、「道化師のソネット」を終えた後は、30分になんなんとするほど長々とさだは語った。その内容は今回の東日本大震災に関わり、さだが行動したと、感じたこと、これからのこと等々…。
時に皆を考えさせ、時には皆を笑わせ…。一曲でもたくさんさだの歌を聴きたい思いもあったが、彼の歌と同じくらい彼の語りは聞くに値するものだった。

休憩なしでおよそ3時間。彼は歌い、そして語った。
アンコールも含め、私がカウントしたところ18曲歌ってくれた。中には私が知らない曲もあったが心地よく楽しめた3時間だった。
一時、彼の声量が落ちたのではと思っていた時期があったが、今回のコンサートではその不安を感ずることもなかった。
私が最もさだらしさを感じたのは、生ギター一本で歌った最後の「命の理由」という歌だった。ギター一本のために彼の詩がクリアに私の耳に飛び込んできた。バックバンドが入ると確かに音に厚みが出るが、言葉が不鮮明になる。
さだの魅力の一つはその詩の素晴らしさにあると私は思っている。その詩を大切にしたステージ構成を考えてくれたらなぁ、私は思ったのだが…。(無理なことは承知で書き込んだ)