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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 58  えっ?これが“親鸞”映画なの?

2011-09-09 22:55:13 | 映画観賞・感想

 硬い椅子、人いきれでむんむんする場内、そして何よりストーリーがまるで分からないという三重苦の中で“親鸞”映画を観た。私はわざわざ白石まで出かけたことを後悔しなければならなかった。

          

 なぜ私がこんな寂しい感想を持たねばならなかったのか考えてみる。
 まずその要因は脚本にあると思う。原作・脚本は俳優の三國連太郎である。彼はこの映画の監督も務めている。映画製作の裏話を読むと脚本は専門の作家を依頼していたのが叶わなくて自ら書かざるを得なかったようである。そのため原作者として思い入れからあれもこれもと盛り沢山に詰め込みすぎたようである。そのためストーリーがまるで分からないものになってしまった。

 要因の二つ目というよりは最大の要因は監督にあるということだろう。映画は親鸞の流浪の半生を描くとのことだったが、親鸞の生き様そのものが多々伝えられる中で、監督としては誰がみても理解できるような内容に描くことはできなかったのだろうか。

 こう書いても映画を観ていない人には私の言いたいことそのものが分からないと言われそうである。ウェブ上で見つけたある方のレビューを転写することにする。
「面白い映画かと問われたら、そうではないと答える。なら芸術性が高い映画か、と問われると、そうでもないんじゃないかなあ、と濁す。分かりやすい映画か、と聞かれたら、きっぱり、NO、と答える。」
 私の気持ちを代弁してくれる文である。

 北海道新聞に9月7日午後から白石区の大満寺において、映画「親鸞 白い道」が上映され、親鸞役を演じ現在大満寺で僧侶をしている森山潤久氏の講演があると載っていた。
 興味を抱いた私は早速申し込み、期待を抱いて当日JRで平和駅まで行き大満寺に向かった。

          
          ※ 大満寺の全景です。

 今年は浄土真宗の宗祖とされる親鸞聖人の750回忌ということで各地でさまざまな催しが行われているようであるが、この催しもその一環のようであった。
 会場の大満寺の本堂は信徒さんを中心に大入り満員だった。パイプ椅子をぎゅうぎゅう詰めにして並べ、そこへ肩を擦れ合うばかりにして座った。当日は暑さは若干和らいでいたとはいえ満員の人いきれで場内はむんむんとしていた。

          

 場内に特設されたスクリーンで映画が始まったが、映画館のような音響設備でないせいか、それともフィルム自体の保存状態(1987年制作)良くないせいか、俳優のセリフが割れてしまってまったく聞き取れないのだ。しかも場面が無意味(と私には映った)に次々と転換される。
 「せっかく白石までも来たのだから」と思い、懸命に理解しようと努めたのだが無理だった…。140分の難行苦行だった。

 生首を斬りおとすシーンやタタラ場の火災のシーンなどは完ぺき主義者の三國連太郎の片鱗を見て取れるが、総じて映画としては失敗作と言わざるを得ないだろう。
 それは彼が映画監督としてはこの一作しか携わっていないこと、彼を紹介するWikipediaの中で「親鸞」の映画監督だったことはサラッとしか紹介されていないことに表れているように思う。

 なお、この映画の主演で現在大満寺で僧侶をしているという森山潤久氏のお話は勤務の関係から聴くことができなかったのは残念だった。
 また、今回の映画会で大満寺の関係者が来場者のために懸命にホスピタリティーを発揮されていたことに感謝したい。ありがとうございました。