増毛山道フルコース(16km)は標高650mの二つの頂点に向かって長い距離を上り下りしながらゴールのコース別苅口を目ざすトレッキングといってよいかと思う。前半は海岸縁からけっこうな上りが続く私にとってはそれなりに負荷のかかるコースだった。

※ 「増毛山道体験トレッキング」はこのように19名が一列縦隊となって進みました。
実は昨日説明した「増毛山道とは?」では十分説明できなかったきらいがあった。
増毛山道と呼ばれる古道は、増毛町別苅から石狩市厚田区濃昼川まで約56kmをいう。
そのうち「増毛山道の会」は増毛町別苅から石狩市浜益区幌までの区間約32kmの山道跡の痕跡を確定したということなのだ。
そして、今回私たちがトレッキングしたコースは、増毛町岩尾から海が荒れたときなどに増毛に行くために、岩尾から増毛山道と合流する岩尾分岐まで約5kmを上って、増毛山道と合流し、その後約11kmの山道を経て、増毛町別苅に抜ける合計約16kmをトレッキングするコースだった。

※ コースマップ上に「岩尾分岐点」を記すことができないが分岐点はマップ上の天狗岳の真南のところくらいです。
さて、当日(24日)朝7時、ゴール地点となる増毛町別苅に時間前に着いた。参加者は19名。遠く苫小牧、帯広からの参加者もいた。 「増毛山道の会」のスタッフは5名、うち3名が同行し、2名はコースの途中で交わる林道で待機し、ジープを用意して落伍者に備えるということだった。また、今回は今シーズンの最終回ということで北海道新聞の留萌支局長が同行取材をしていた。

※ 早朝の増毛町別苅の海岸は雲が垂れ込め、行く末にちょっと不安を感じたのですが…。
別苅からマイクロバスでスタート地点の増毛町岩尾まで移動した。車中で「増毛山道」のことについてのガイダンスを受けたが、手慣れているためか、まとまった聴き易い説明だった。
スタート前にもコースの簡単な説明があった。それによると、コースは100等分された案内標識が設置されているという。つまり16km=1,600mに100の標識が設置されているというから、160mに一つの標識が設置されているというのだ。それに1~100まで番号をふってあるということだった。

※ スタート前のまだ元気な表情を写す前に私のカメラで一枚。

※ コース上には、こうした標識が1~100まで順に表示されていました。
予定時間よりは早く、午前7時35分、岩尾口を出発した。
いきなりの上りが始まった。そのコース脇に地域の方々が耕作する野菜畑があった。見ると、木の枝で周りを囲っている。シカよけの柵だという。ちょっと原始的(?)だったので驚いた。
1.6kmで180m、2.6kmで320mと高度が行程表に出ていたが、グングンと高度を増してゆく。
出発して15分も行っただろうか?早くも体調を崩してリタイアする人が出た。出発前から体調を崩していたのではないだろうか?

※ このように木の枝に囲まれた野菜畑をたくさん目にしました。

※ コースの前半はこのような上りが延々と続きました。
コースの周りは既に紅葉も終わり、枯葉がコースに敷き詰まっていた。前の方と「枯葉を踏みしめて歩くのもいいですね」などと話しながら進んでいたのだが、1時間も進まないうちに恐れていた雨が落ち始めた。しかし、ぽつぽつといった感じで本格的な降りではなかった。
それでも小休止したところで全員がレインウェアを装着した。そこは沢の流れの所に掛けられた橋の基礎となる石積みの遺構があるところだった。

※ 馬などが通るための橋をかけた石積みの跡です。ここで全員雨具を着ました。

※ 橋の石積遺構のところには当時の橋の想像図が掲示されていました。
先頭を取るのは「増毛山道の会」の渡辺さんという方だったが、山道遺跡調査の中心を担った一人だったということで、コースの中で適宜、適切な説明をしてくれた。説明によると、山道が利用されていた時代は、今は木の覆われている辺りにも住民が耕す畑が広がっていたという。斜度を考えると、それらは全て段々畑であったことだろう。

※ 木の間からピークが望める天狗岳の裾を巻くようにして山道が造られていました。
一行のペースは先頭の方(渡辺さん)がそれなりのペースを考えて先導してくれるため、体力虚弱の私もMAXまでペースを上げることなく、付いていけるペースだった。
雨は小降りではあるが、間断なく降り続いている。枯葉歩きは気持良いのだが、濡れ落葉歩きはあまり気持ちの良いものではない。
また、山道のところどころには大きな動物の糞が鎮座しており、それが熊の糞だという。道中かなりの数に遭遇した。とても単独では歩けそうにないくらい熊の密度が濃いようだ。集団行動のため糞の写真が撮れなかったのは残念!
出発から標識№20を9時20分、№26を9時50分と順調に通過していく。途中、沢水が流れるところを渡渉する箇所もあった。№30では高度が560mに達した。近くに増毛山道と合流する岩尾分岐があり、そこを10時15分に通過した。
さらに上りが続いたが、そんな中、後続の方で3名ほどが疲れから遅れるという連絡が入った。休みなく降り続く雨が体力を奪ったのだろうか?

※ 木橋もなく、石などを伝い渡渉する個所が3~4ヶ所ありました。

※ 木にかかる赤い札は分岐点を表しているそうです。
途中で小休止したところで立派の角をもった雄シカと距離50mほどの近さで遭遇したが、シカは一歩も退かず私たちを見返していた。
また、途中でコースの周辺に背の低い常緑樹が目立った。見たことのある植物だったが名前が思い出せない。リーダーも初めは思い出せいでいたが「エゾノユズリハ」ではないか、ということで落ち着いた。

※ 小休止をとったところで、シカが私たちをじっと見ていました。

※ 写真のようなエゾノヤズリハ(?)が非常に目立った一帯がありました。

※ コース上には駅逓間を結ぶ電話線の電柱が立ち残っていたり、横たわったりしていました。
そうこうしているうちに「一等水準点」のある「旧武好駅逓跡」に10時50分に到着した。一等水準点はこの後何ヵ所かで目にすることになるのだが、この地点で標高606.7059m(非常に細かい!)と記され、明治40年7月27日に埋石されたと表示があった。
なお、「旧武好駅逓跡」については残念ながら何の痕跡も見られなかった。(というのも、旧駅逓は明治10年に建設されたものの、その後焼失され、新たな駅逓がその2キロ先に建設されたことによると思われる)

※ 苔むした一等水準点です。真ん中の石が水準点です。明日苔むしていないものをお見せします。
私たちはこの後、もう一つの駅逓跡である「(新)武好駅逓跡」に向かった。
(続きは明日の増毛山道を往く 3で)

※ 「増毛山道体験トレッキング」はこのように19名が一列縦隊となって進みました。
実は昨日説明した「増毛山道とは?」では十分説明できなかったきらいがあった。
増毛山道と呼ばれる古道は、増毛町別苅から石狩市厚田区濃昼川まで約56kmをいう。
そのうち「増毛山道の会」は増毛町別苅から石狩市浜益区幌までの区間約32kmの山道跡の痕跡を確定したということなのだ。
そして、今回私たちがトレッキングしたコースは、増毛町岩尾から海が荒れたときなどに増毛に行くために、岩尾から増毛山道と合流する岩尾分岐まで約5kmを上って、増毛山道と合流し、その後約11kmの山道を経て、増毛町別苅に抜ける合計約16kmをトレッキングするコースだった。

※ コースマップ上に「岩尾分岐点」を記すことができないが分岐点はマップ上の天狗岳の真南のところくらいです。
さて、当日(24日)朝7時、ゴール地点となる増毛町別苅に時間前に着いた。参加者は19名。遠く苫小牧、帯広からの参加者もいた。 「増毛山道の会」のスタッフは5名、うち3名が同行し、2名はコースの途中で交わる林道で待機し、ジープを用意して落伍者に備えるということだった。また、今回は今シーズンの最終回ということで北海道新聞の留萌支局長が同行取材をしていた。

※ 早朝の増毛町別苅の海岸は雲が垂れ込め、行く末にちょっと不安を感じたのですが…。
別苅からマイクロバスでスタート地点の増毛町岩尾まで移動した。車中で「増毛山道」のことについてのガイダンスを受けたが、手慣れているためか、まとまった聴き易い説明だった。
スタート前にもコースの簡単な説明があった。それによると、コースは100等分された案内標識が設置されているという。つまり16km=1,600mに100の標識が設置されているというから、160mに一つの標識が設置されているというのだ。それに1~100まで番号をふってあるということだった。

※ スタート前のまだ元気な表情を写す前に私のカメラで一枚。

※ コース上には、こうした標識が1~100まで順に表示されていました。
予定時間よりは早く、午前7時35分、岩尾口を出発した。
いきなりの上りが始まった。そのコース脇に地域の方々が耕作する野菜畑があった。見ると、木の枝で周りを囲っている。シカよけの柵だという。ちょっと原始的(?)だったので驚いた。
1.6kmで180m、2.6kmで320mと高度が行程表に出ていたが、グングンと高度を増してゆく。
出発して15分も行っただろうか?早くも体調を崩してリタイアする人が出た。出発前から体調を崩していたのではないだろうか?

※ このように木の枝に囲まれた野菜畑をたくさん目にしました。

※ コースの前半はこのような上りが延々と続きました。
コースの周りは既に紅葉も終わり、枯葉がコースに敷き詰まっていた。前の方と「枯葉を踏みしめて歩くのもいいですね」などと話しながら進んでいたのだが、1時間も進まないうちに恐れていた雨が落ち始めた。しかし、ぽつぽつといった感じで本格的な降りではなかった。
それでも小休止したところで全員がレインウェアを装着した。そこは沢の流れの所に掛けられた橋の基礎となる石積みの遺構があるところだった。

※ 馬などが通るための橋をかけた石積みの跡です。ここで全員雨具を着ました。

※ 橋の石積遺構のところには当時の橋の想像図が掲示されていました。
先頭を取るのは「増毛山道の会」の渡辺さんという方だったが、山道遺跡調査の中心を担った一人だったということで、コースの中で適宜、適切な説明をしてくれた。説明によると、山道が利用されていた時代は、今は木の覆われている辺りにも住民が耕す畑が広がっていたという。斜度を考えると、それらは全て段々畑であったことだろう。

※ 木の間からピークが望める天狗岳の裾を巻くようにして山道が造られていました。
一行のペースは先頭の方(渡辺さん)がそれなりのペースを考えて先導してくれるため、体力虚弱の私もMAXまでペースを上げることなく、付いていけるペースだった。
雨は小降りではあるが、間断なく降り続いている。枯葉歩きは気持良いのだが、濡れ落葉歩きはあまり気持ちの良いものではない。
また、山道のところどころには大きな動物の糞が鎮座しており、それが熊の糞だという。道中かなりの数に遭遇した。とても単独では歩けそうにないくらい熊の密度が濃いようだ。集団行動のため糞の写真が撮れなかったのは残念!
出発から標識№20を9時20分、№26を9時50分と順調に通過していく。途中、沢水が流れるところを渡渉する箇所もあった。№30では高度が560mに達した。近くに増毛山道と合流する岩尾分岐があり、そこを10時15分に通過した。
さらに上りが続いたが、そんな中、後続の方で3名ほどが疲れから遅れるという連絡が入った。休みなく降り続く雨が体力を奪ったのだろうか?

※ 木橋もなく、石などを伝い渡渉する個所が3~4ヶ所ありました。

※ 木にかかる赤い札は分岐点を表しているそうです。
途中で小休止したところで立派の角をもった雄シカと距離50mほどの近さで遭遇したが、シカは一歩も退かず私たちを見返していた。
また、途中でコースの周辺に背の低い常緑樹が目立った。見たことのある植物だったが名前が思い出せない。リーダーも初めは思い出せいでいたが「エゾノユズリハ」ではないか、ということで落ち着いた。

※ 小休止をとったところで、シカが私たちをじっと見ていました。

※ 写真のようなエゾノヤズリハ(?)が非常に目立った一帯がありました。

※ コース上には駅逓間を結ぶ電話線の電柱が立ち残っていたり、横たわったりしていました。
そうこうしているうちに「一等水準点」のある「旧武好駅逓跡」に10時50分に到着した。一等水準点はこの後何ヵ所かで目にすることになるのだが、この地点で標高606.7059m(非常に細かい!)と記され、明治40年7月27日に埋石されたと表示があった。
なお、「旧武好駅逓跡」については残念ながら何の痕跡も見られなかった。(というのも、旧駅逓は明治10年に建設されたものの、その後焼失され、新たな駅逓がその2キロ先に建設されたことによると思われる)

※ 苔むした一等水準点です。真ん中の石が水準点です。明日苔むしていないものをお見せします。
私たちはこの後、もう一つの駅逓跡である「(新)武好駅逓跡」に向かった。
(続きは明日の増毛山道を往く 3で)