まったく面識のないグループの学習会に闖入したが、温かく迎え入れてくれ楽しくお二人の講師のお話を聴くことができた。お二人ともいわば市井の人であるが、真摯に生きた証がそこにあった。
※ 三角山文庫ほ主宰する堂前綾子さんが著した三角山文庫に関する著書です。
三角山文庫とは、三角山の麓にあって堂前綾子さんという方が、自宅を開放して「本」を介しながら地域の方々の交流拠点となっている文庫のようである。
その三角山文庫において道民カレッジ連携の寺子屋塾が開催されると知って、受講を申し込んだのである。
講座は10月25日(日)、午前、午後と二つの講座が開講された。
講座のテーマは午前が「札幌の街づくりの原点となった三角山での出会いの文化」と題して、ふくろうをモチーフとした作品を作り続ける造形作家の石島しのぶさんが講師を務めた。
午後は「北海道和菓子の伝統」と題して、古文書を読み解く活動を続けられている上野繁さんが講師だった。
会場となった堂前さんのご自宅に行ってちょっと驚いた。なんと茶の間のようなところで講座が開始されようとしていた。受講生は私を入れても8名だった。そして接待の方がコーヒーやお茶を出してくれる。まるでお茶の間懇談会といった趣である。
最初に受講者の自己紹介が行われたが、私以外は三角山、あるいは三角山文庫に関わる人たちであった。(私は典型的な闖入者である)
講座の様子である。
石島さんは三角山の麓に居を構え、実に多くの方々と交友を持っておられる方のようである。三角山文庫の堂前さん同様、三角山を深く愛し、初代の開拓判官だった島義勇が三角山の頂から札幌の街並みを構想したという言い伝えを誇りとして、三角山から再び札幌の街づくりをしようとさまざまな活動を展開しているということだった。
石島さんは、言いたいことが山のようにあったようだ。そのために焦点が拡散してしまったきらいはあったが、造形作品を創り出すだけではなく、さまざまな活動をエネルギッシュに展開されている方だと、私の目には映った。
※ 講師を務められた石島しのぶさんです。
昼食がまたユニークだった。私は近くの食堂のようなところで昼食を摂ろうと思っていたのだが、参加者の中に手作りのお稲荷さんをたくさん持参した人がいて、とても外へ出られるような雰囲気ではなく、結局そのお稲荷さんをご馳走になる羽目になってしまった。
午後の上野さんは、古文書を読み解く研究会に所属していて、長く活動を続けてこられた方である。その研究の中で、和菓子の古文書に興味を持たれたということだった。砂糖がまだまだ貴重だった時代に、甘味を出すためにいろいろと工夫した技を古文書から読み取り紹介してくれた。また、都が京都から東京に移った維新の際に、当時京都にあった和菓子の老舗のうち、「とらや」だけが東京に移り、成功して現在に至っている歴史ついても紹介してくれた。
※ 同じく講師を務められた上野繁さんです。
お二方とも、三角山界隈においては有名な方なのかもしれないが、超がつくほどの有名人ではないようにも思われる。しかし、それぞれの道で真摯に取り組み続けてきた結果が大きく実を結んだ好例と言えるようだ。
それにしても三角山文庫を主宰する堂前綾子さんは素晴らしい人だ。自宅を開放し、本の貸し出しや読み聞かせをするだけではなく、自らも絵本を書いたり、地域づくりに積極的に関与されたりしているようである。
この日も、堂前さんは自らが積極的に募金活動を行った結果、地域会館の改修を実現させたそうだ。この日はその落成式に出席のため講座にはほとんど参加されず、自宅を開放したまま外出されていた。
私が三角山文庫(堂前さん自宅)を訪れたときも、まるで旧知の間柄のように歓迎していただいた。このようなフレドリーなお人柄が多くの人たちを惹きつけているのだと思われる。
次回、「寺子屋塾」が開催されるときは再び訪れてみたいと思わせてくれた三角山文庫であり、堂前さんのお人柄だった。
※ 三角山文庫ほ主宰する堂前綾子さんが著した三角山文庫に関する著書です。
三角山文庫とは、三角山の麓にあって堂前綾子さんという方が、自宅を開放して「本」を介しながら地域の方々の交流拠点となっている文庫のようである。
その三角山文庫において道民カレッジ連携の寺子屋塾が開催されると知って、受講を申し込んだのである。
講座は10月25日(日)、午前、午後と二つの講座が開講された。
講座のテーマは午前が「札幌の街づくりの原点となった三角山での出会いの文化」と題して、ふくろうをモチーフとした作品を作り続ける造形作家の石島しのぶさんが講師を務めた。
午後は「北海道和菓子の伝統」と題して、古文書を読み解く活動を続けられている上野繁さんが講師だった。
会場となった堂前さんのご自宅に行ってちょっと驚いた。なんと茶の間のようなところで講座が開始されようとしていた。受講生は私を入れても8名だった。そして接待の方がコーヒーやお茶を出してくれる。まるでお茶の間懇談会といった趣である。
最初に受講者の自己紹介が行われたが、私以外は三角山、あるいは三角山文庫に関わる人たちであった。(私は典型的な闖入者である)
講座の様子である。
石島さんは三角山の麓に居を構え、実に多くの方々と交友を持っておられる方のようである。三角山文庫の堂前さん同様、三角山を深く愛し、初代の開拓判官だった島義勇が三角山の頂から札幌の街並みを構想したという言い伝えを誇りとして、三角山から再び札幌の街づくりをしようとさまざまな活動を展開しているということだった。
石島さんは、言いたいことが山のようにあったようだ。そのために焦点が拡散してしまったきらいはあったが、造形作品を創り出すだけではなく、さまざまな活動をエネルギッシュに展開されている方だと、私の目には映った。
※ 講師を務められた石島しのぶさんです。
昼食がまたユニークだった。私は近くの食堂のようなところで昼食を摂ろうと思っていたのだが、参加者の中に手作りのお稲荷さんをたくさん持参した人がいて、とても外へ出られるような雰囲気ではなく、結局そのお稲荷さんをご馳走になる羽目になってしまった。
午後の上野さんは、古文書を読み解く研究会に所属していて、長く活動を続けてこられた方である。その研究の中で、和菓子の古文書に興味を持たれたということだった。砂糖がまだまだ貴重だった時代に、甘味を出すためにいろいろと工夫した技を古文書から読み取り紹介してくれた。また、都が京都から東京に移った維新の際に、当時京都にあった和菓子の老舗のうち、「とらや」だけが東京に移り、成功して現在に至っている歴史ついても紹介してくれた。
※ 同じく講師を務められた上野繁さんです。
お二方とも、三角山界隈においては有名な方なのかもしれないが、超がつくほどの有名人ではないようにも思われる。しかし、それぞれの道で真摯に取り組み続けてきた結果が大きく実を結んだ好例と言えるようだ。
それにしても三角山文庫を主宰する堂前綾子さんは素晴らしい人だ。自宅を開放し、本の貸し出しや読み聞かせをするだけではなく、自らも絵本を書いたり、地域づくりに積極的に関与されたりしているようである。
この日も、堂前さんは自らが積極的に募金活動を行った結果、地域会館の改修を実現させたそうだ。この日はその落成式に出席のため講座にはほとんど参加されず、自宅を開放したまま外出されていた。
私が三角山文庫(堂前さん自宅)を訪れたときも、まるで旧知の間柄のように歓迎していただいた。このようなフレドリーなお人柄が多くの人たちを惹きつけているのだと思われる。
次回、「寺子屋塾」が開催されるときは再び訪れてみたいと思わせてくれた三角山文庫であり、堂前さんのお人柄だった。