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青森県の田舎にキリストの墓が!?

2015-10-10 20:14:25 | 大学公開講座
 青森県の片田舎、新郷村というところにキリストの墓があり、そこでは毎年「キリスト祭」なるものが真面目に開催されているという。講師は、その真正性など論外ではあるが、それ自体が観光文化として成り立っているという現実に着目した。 

 北大観光学高等研究センター主催の「記憶をめぐる観光論」の第2講が10月8日(木)夜あった。今回は「偽の記憶が生み出す観光文化――青森県新郷村のキリストの墓」と言うテーマで、メディア・コミュニケーション研究院の岡本亮輔准教授が担当した。

                   

 1935年というから、太平洋戦争が始まる前の時代、青森県戸来村(現在の新郷村)で竹内巨磨という人物によってある日突然のようにキリスト伝説が生まれたらしい。
 そこで「キリスト湧説」と呼ぶ言い方もあるようだ。それによると、「キリストは二度、日本に来ている。まず21歳の時に神学修業のために来日し、33歳まで滞在する。その後イスラエルに戻って伝道を行うが、磔刑になりそうになり、その際、弟イスキリが身代わりになった。その後、東へ落ち延び、シベリアを経て八戸に上陸した。そして名を十来太郎大天空と改め、戸来村沢口に居を定め、ミユ子という20歳の女性と結婚して三女を育て、106歳で没した」ということがまことしやかに伝わっているという。

 もちろんその湧説は、岡本氏によると何の根拠もない俗説にすぎないのだが、村では公式HP上で観光スポットとして紹介したり、「キリストの里公園」として周辺を整備したり、
「キリストの里伝承館」を建設したりと…。さらには毎年、村の観光協会の主催による「キリスト祭」も開催されているという。
 つまり村としては大真面目(?)にキリスト伝説を売り出しているそうだ。
 そして、今や新郷村には多くの観光客が訪れ、「キリスト祭」のときなど、人口1,500人の村に、それ以上の人たちが押しかけてくるそうだ。こうなると、「キリスト」は新郷村にとっては完全な観光資源と化していることになる。

                    
        ※ 毎年6月第一日曜日に行われている「キリスト祭」のポスターで、52回もの長きにわたって続いている。

 ここで、岡本氏は観光というのは、なんらかのアトラクション(客を集めるための出し物)が必要であるという。ここでは歴史学的、考古学的アトラクションに限って考察することにするが、そのアトラクションの真正性について、岡本氏は次のように分類できるという。
(1)オリジナルに見えるように作られた真正の複製
(2)学術的にみて完全無欠なレプリカ
(3)オリジナルそのもの
(4)何らかの権威や法によって真正と認定されたもの

 そこで岡本氏は、新郷村の「キリスト湧説」は(4)と関わってくるのではないか、と説かれた。つまり、ホストである観光客を迎える側の村民たちが村の歴史の中で、複雑な回路を通じて真正性を見出していることがあるという。

               
               ※ 新郷村に建設されている「キリストの里伝承館」の建物です。
 
 その複雑な回路については、伺った話を再生することも複雑なので省略させていただくが、つまるところ、新郷村の村民にとってキリストの墓が歴史的な真正性を備えていなくとも、そこで先祖との繋がりを体感でき、地域のアイディンティティのよりどころとなっていることである種の納得を得ているというのだ。
 そして、墓や祭の「内容」が問題ではなく、伝統いう「形式」そのものが先祖との繋がりの証左として重視されているそうだ。
つまり、村民にとっては、血縁・地縁を意識した墓や祭を語ることで、キリストの墓は「縁的真正性」を備えていると、岡本氏は解説した。

 このあたりの言説については理解できない向きもあろうかと思われるが、私流に解釈すると、村民にとってキリストの墓の真正性など問題ではなく、キリストの墓にまつわるさまざまな言い伝えが、もはや信じる信じないという次元を乗り越えて、無くてはならない存在となっているのではないか。
 住んでいる住民がそう思い込むことによって、それは立派な観光資源となって、多くの人を村に呼び込む素材となっている、という例を示してくれたもの、と私は解したい。

 それにしても、面白い(?)、摩訶不思議な村があるんてすねぇ…。

 例えば、京都・金閣寺などは焼失したことによって(1)のオリジナルに見えるように作られた真正の複製である。このように観光のアトラクションにはオリジナルなものばかりではなく、さまざな形でのアトラクションによって観光素材を創り上げることができる、ということを岡本氏は紹介してくれたものと理解した。