私は7月のある日、旧石器人になりきって(気分だけは…)石器づくりに格闘したのだが、それは思いのほか難しい作業だった。彼らのような器用さを持ち合わせていなかった私は、黒曜石と無駄な格闘を続けるばかりだった…。
7月9日(日)、北海道博物館主催のちゃれんがワークショップ「石器をつくる」に参加した。昨年の「土器をつくる」に続いての参加である。
参加者の多くは小学生を伴った家族連れだった。一般人には「今さら石器づくりなんて…」という思いがあるのだろうか?意外に参加者が少なかった。 そのことが私を少し不安にさせた。
※ ワークショップの開会式で講師の話を聞く参加者たちです。
講師は、湧別川流域史研究会の会長である本吉春雄氏と、博物館の学芸員の方二人が担当された。
私が最初に「あれっ?」と思ったのは、説明が非常に簡単だったことだった。
初めは原石である黒曜石を別の石で叩いて剥片を取ることだった。その際に叩く方向によって黒曜石の割れる角度が変わるということの説明を受けたのだが、その説明がとても雑駁な説明に聞こえたのだ。
主たる参加者である小学生にくどくど説明してもはじまらない。その実際を見てもらい真似してもらう、という主催者の考えだったのだろう。腿のところにフェルトを敷いた上に黒曜石を置き、別の石で打撃して剥片を取る実演を何回か見せてくれた後、「さあ、やってみましょう」と突き放された。
※ 遠軽から来られたメイン講師の本吉春雄氏です。
与えられた黒曜石のどの面を叩けば良いのか、判然としないまま、見よう見まねで叩き始めた。一応アドバイスに従う形でいろいろ角度を変えて叩くのだが、なかなか思うような形の剥片を得ることができない。どれも小さな剥片に砕けるばかりだった。
私が得た剥片では矢じりのような形を成型することは無理だったが、なんとかスクレイパーのようなものに成型できそうなので妥協することにした。
そして、講師の本吉氏が叩き出した矢じり型に成型できそうな剥片をいただいて午後の成型に備えることにした。
※ 私が叩き出した剥片ですが、満足できるものは一つもありません。
午後、今度は石の代わりに鹿の角を使っての成型に移った。
ここでも説明はほとんどなく、すぐに実演に移った。鹿の角は石ほど固くはないために午前中に粗く叩き出した剥片に細かな造作が可能だということだ。
ここでもなかなか思うように成型ができない。
※ 右膝のところに鹿皮(受講生はフェルト)を載せ、細かな細工をする本吉氏です。
※ 受講生はそれぞれなんとか思いの形にしようと奮闘中です。
なんとかごまかしながら、矢じり型のものと、スクレイパー型のものができたことでヨシとした。しかし、出来具合はまったく満足できるものではなかった。
※ 本吉氏からいただいた剥片を成型したものですが、片面だけを見ると矢じり型に見えなくもないですが、裏面が厚くて使い物になりません。
※ なんとか使い物になりそうなのが、スクレイパー型の石器です。
こうした造作が、一度や二度の体験で思うようにできると考えること自体、旧石器人に対して失礼なことなのかもしれない。おそらく彼らは幾多の試行錯誤を繰り返しながら、獣を獲ったり、木や骨を削ったりするなど実用に適するものを作りだしたのだから…。
それにしてもどこか消化不良の気分が拭えないまま終えてしまった「石器づくり」だった。
7月9日(日)、北海道博物館主催のちゃれんがワークショップ「石器をつくる」に参加した。昨年の「土器をつくる」に続いての参加である。
参加者の多くは小学生を伴った家族連れだった。一般人には「今さら石器づくりなんて…」という思いがあるのだろうか?意外に参加者が少なかった。 そのことが私を少し不安にさせた。
※ ワークショップの開会式で講師の話を聞く参加者たちです。
講師は、湧別川流域史研究会の会長である本吉春雄氏と、博物館の学芸員の方二人が担当された。
私が最初に「あれっ?」と思ったのは、説明が非常に簡単だったことだった。
初めは原石である黒曜石を別の石で叩いて剥片を取ることだった。その際に叩く方向によって黒曜石の割れる角度が変わるということの説明を受けたのだが、その説明がとても雑駁な説明に聞こえたのだ。
主たる参加者である小学生にくどくど説明してもはじまらない。その実際を見てもらい真似してもらう、という主催者の考えだったのだろう。腿のところにフェルトを敷いた上に黒曜石を置き、別の石で打撃して剥片を取る実演を何回か見せてくれた後、「さあ、やってみましょう」と突き放された。
※ 遠軽から来られたメイン講師の本吉春雄氏です。
与えられた黒曜石のどの面を叩けば良いのか、判然としないまま、見よう見まねで叩き始めた。一応アドバイスに従う形でいろいろ角度を変えて叩くのだが、なかなか思うような形の剥片を得ることができない。どれも小さな剥片に砕けるばかりだった。
私が得た剥片では矢じりのような形を成型することは無理だったが、なんとかスクレイパーのようなものに成型できそうなので妥協することにした。
そして、講師の本吉氏が叩き出した矢じり型に成型できそうな剥片をいただいて午後の成型に備えることにした。
※ 私が叩き出した剥片ですが、満足できるものは一つもありません。
午後、今度は石の代わりに鹿の角を使っての成型に移った。
ここでも説明はほとんどなく、すぐに実演に移った。鹿の角は石ほど固くはないために午前中に粗く叩き出した剥片に細かな造作が可能だということだ。
ここでもなかなか思うように成型ができない。
※ 右膝のところに鹿皮(受講生はフェルト)を載せ、細かな細工をする本吉氏です。
※ 受講生はそれぞれなんとか思いの形にしようと奮闘中です。
なんとかごまかしながら、矢じり型のものと、スクレイパー型のものができたことでヨシとした。しかし、出来具合はまったく満足できるものではなかった。
※ 本吉氏からいただいた剥片を成型したものですが、片面だけを見ると矢じり型に見えなくもないですが、裏面が厚くて使い物になりません。
※ なんとか使い物になりそうなのが、スクレイパー型の石器です。
こうした造作が、一度や二度の体験で思うようにできると考えること自体、旧石器人に対して失礼なことなのかもしれない。おそらく彼らは幾多の試行錯誤を繰り返しながら、獣を獲ったり、木や骨を削ったりするなど実用に適するものを作りだしたのだから…。
それにしてもどこか消化不良の気分が拭えないまま終えてしまった「石器づくり」だった。