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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

坂庭省吾 & PETA

2018-05-21 21:11:53 | ステージ & エンターテイメント
 私が坂庭省吾さんと最初に出会ったのは1981年、そしてPETAさんと出会ったのは2000年と、それぞれ37年前、18年前とずいぶん昔のことである。その昔の出会いが、昨日投稿した「札幌 8時間耐久ライブ」に呼び寄せてくれた。二人との出会いを思い出してみたい。

                  

 今から37年前、私はオホーツク地方のある農村の公的機関(学校ではない)に勤務していた。その時、勤務から離れ農村の青年たちと語らってフォークグループの「高石ともやとナターシャ―セブン」のコンサートを村で開催しようと立ち上がった。
 人口3千人の村で、650人の聴衆を集めコンサートは大成功だった。
 そのナターシャ―セブンの一員として坂庭省吾さんが参加していた。ご存知の方もいると思うが、坂庭さんはナターシャ―セブンに参加する前に、「はしだのりひこ&クライマックス」というグルーブに参加していた時に「花嫁」という曲を作曲して大ヒットさせた実績をもっていた。
 その後坂庭さんはナターシャ―セブンに参加し、主としてマンドリンを担当し、ステージでは穏やかな優しそうな人柄が人気を呼んでいた。

                  
                  ※ 在りし日の坂庭省吾さんです。

 それから19年も経った2000年の秋、突然友人から「坂庭省吾さんのコンサートを先生の学校でやらないか?」という問い合わせが飛び込んできた。出演料は無しだという。その頃坂庭さんは個人で活動をしていたようだ。
 当時私は児童数9名という小さな集落の小学校の校長をしていた。断る理由はない。いやむしろ喜んで実施したかった。
 関係機関にお伺いを立てたところ、「問題ないのではないか」ということで、秋の夜、子どもたちとともに、集落の人たちや、うわさを聞いて駆け付けた町の人たち65人も集まり、懐かしの坂庭省吾さんの歌声を聴いたのだった。その時、坂庭さんと同行し坂庭さんのステージをサポートしていたのがPETA(本名?小元兵太)さんだった。

                  

 そしてそれからさらに18年、PETAさんが主催する「札幌 8時間耐久ライブ」の開催を知ったのだ。
 8時間耐久ライブ(以下、ハチタイ)は、坂庭省吾さんたちが提唱して1999年から京都で開催され始めたという。そこにはもちろんPETAさんも参加している。
 坂庭さんが逝去され、一時途絶えたハチタイだったが、坂庭さんに縁のある人たちの手によって、沖縄と北海道で交互に開催するようになったそうだ。
 北海道ではここ3回は別海町で開催されていたらしいが、今回は札幌開催となり、坂庭さんの遺志を受け継いだPETAさんが中心となって開催にこぎつけたというのが真相のようだ。

                  

 すっかり遠ざかっていたフォークソングの世界、オヤジたちの音楽の世界にどっぷりと浸かった5月19日の午後だった。18年ぶりにあったPETAさんは来年還暦を迎えるとか。 
 お互いに歳をとったものである。たった一度の出会いだったため、お互いの記憶は薄れていたが、当時の面影を残したPETAさん再会できたことが嬉しかった。