恥ずかしながら講師の木原直彦氏について私の知識は皆無だった。木原氏はご自身が創作活動などをすることは少なかったようだが、北海道と文学に関する収集したり、北海道文学館の設立運動に関わったりして、北海道の文学を語るうえで欠かせない人のお一人のようである。
ちょっと話は古くなったが5月21日(月)、本年度第2回目の「ほっかいどう学」かでる講座が開催された。
この回から私は講座の運営ボランティアを依頼され、開会前の会場設営や閉会後の会場整理などを担当することになった。(毎回ではないのだが…)
この日のテーマは「文学で旅する北海道 ~北の大地生まれの名作を語る~」と題して、北海道立文学館名誉館長である木原直彦氏が講師を務められた。
※ 講演をされる木原直彦氏です。
木原氏は若いころから北海道文学館の設立運動に関わり、昭和42年に北海道文学館という団体が旗揚げされたときに初代の事務局長に就任している。(ここでいう北海道文学館とは建物ではなく、団体である)その後、平成7年に道立北海道文学館が設立されると、〔公益財団法人 北海道文学館〕は、そこを拠点にして、館の運営を担いながら今日に至っているというよう、私など門外漢からするとちょっとややこしい関係のようだ。
さて、木原氏であるが本年88歳と大変にご高齢である。さすがに足腰はだいぶん弱られている様子だったが、お話されることは理路整然とした確かなお話だった。
木原氏は昭和63年に「名作の中の北海道」(その他多くの著作有り)を上梓されているが、お話はその中に書かれたことを中心とされていたようだ。
※ 木原氏の著作「名作の中の北海道」
その土地の文学を語るとき「風土」ということが話題に上がるが、「風土とは人間が住むことによって練り上げられたもの」と木原氏は語った。よくマスコミなどの表現で「日本は小さい。しかし、北海道は大きい」などと表現する。そうした中で北海道の風土は、日本の風土に対して「異風土」などと称されることもあるという。
そうしたことから、北海道から生まれる文学、さらには北海道を訪れて著した作家の北海道を描く表現には独特のものがあると木原氏は評した。
例えば、詩人・石川啄木はわずか1年の間に北海道内を渡り歩いているが、彼の独特の感性で各都市を表している。「函館は、北海の喉。内地の人は函館を見ただけで北海道を見た思いになる」、「札幌は、真の北海道趣味を味わうことができた。田舎の賑わい」、「小樽に来て初めて新開地を感じた。男らしい自由な空気」と啄木独特の感性で北海道の各都市を観察し、表現したという。釧路については、残念ながら私が聞き逃した。
また、亀井勝一郎によると「小樽はリアリズム」、「札幌はピューリタリズム」、「函館はロマンチズム」の街と称したという。
その他の作家たちも、それぞれの表現で北海道を称しているということだったが、メモしきれなかった。
最後に木原氏は、著「名作の中の北海道」で取り上げた50の作品について触れ、それぞれについて短いコメントを入れられた。選定にあたっては北海道全域に目配りして選定したとのことだった。
その中で、私にとって印象的な作品は、やはり北海道に住まわれながらセンセーショナルな作品を世に出した原田康子の「晩歌」であり、三浦綾子の「氷点」であろう。
さらに私の好みでいえば、新田次郎の「昭和新山」、戸川幸夫の「オホーツクの老人」(森繁久彌主演の「地の涯に生きるもの」の原作)などが挙げられる。
柄にもなく、文学の世界に浸った2時間だった…。
ちょっと話は古くなったが5月21日(月)、本年度第2回目の「ほっかいどう学」かでる講座が開催された。
この回から私は講座の運営ボランティアを依頼され、開会前の会場設営や閉会後の会場整理などを担当することになった。(毎回ではないのだが…)
この日のテーマは「文学で旅する北海道 ~北の大地生まれの名作を語る~」と題して、北海道立文学館名誉館長である木原直彦氏が講師を務められた。
※ 講演をされる木原直彦氏です。
木原氏は若いころから北海道文学館の設立運動に関わり、昭和42年に北海道文学館という団体が旗揚げされたときに初代の事務局長に就任している。(ここでいう北海道文学館とは建物ではなく、団体である)その後、平成7年に道立北海道文学館が設立されると、〔公益財団法人 北海道文学館〕は、そこを拠点にして、館の運営を担いながら今日に至っているというよう、私など門外漢からするとちょっとややこしい関係のようだ。
さて、木原氏であるが本年88歳と大変にご高齢である。さすがに足腰はだいぶん弱られている様子だったが、お話されることは理路整然とした確かなお話だった。
木原氏は昭和63年に「名作の中の北海道」(その他多くの著作有り)を上梓されているが、お話はその中に書かれたことを中心とされていたようだ。
※ 木原氏の著作「名作の中の北海道」
その土地の文学を語るとき「風土」ということが話題に上がるが、「風土とは人間が住むことによって練り上げられたもの」と木原氏は語った。よくマスコミなどの表現で「日本は小さい。しかし、北海道は大きい」などと表現する。そうした中で北海道の風土は、日本の風土に対して「異風土」などと称されることもあるという。
そうしたことから、北海道から生まれる文学、さらには北海道を訪れて著した作家の北海道を描く表現には独特のものがあると木原氏は評した。
例えば、詩人・石川啄木はわずか1年の間に北海道内を渡り歩いているが、彼の独特の感性で各都市を表している。「函館は、北海の喉。内地の人は函館を見ただけで北海道を見た思いになる」、「札幌は、真の北海道趣味を味わうことができた。田舎の賑わい」、「小樽に来て初めて新開地を感じた。男らしい自由な空気」と啄木独特の感性で北海道の各都市を観察し、表現したという。釧路については、残念ながら私が聞き逃した。
また、亀井勝一郎によると「小樽はリアリズム」、「札幌はピューリタリズム」、「函館はロマンチズム」の街と称したという。
その他の作家たちも、それぞれの表現で北海道を称しているということだったが、メモしきれなかった。
最後に木原氏は、著「名作の中の北海道」で取り上げた50の作品について触れ、それぞれについて短いコメントを入れられた。選定にあたっては北海道全域に目配りして選定したとのことだった。
その中で、私にとって印象的な作品は、やはり北海道に住まわれながらセンセーショナルな作品を世に出した原田康子の「晩歌」であり、三浦綾子の「氷点」であろう。
さらに私の好みでいえば、新田次郎の「昭和新山」、戸川幸夫の「オホーツクの老人」(森繁久彌主演の「地の涯に生きるもの」の原作)などが挙げられる。
柄にもなく、文学の世界に浸った2時間だった…。