民放テレビ局が娯楽番組ばかりを垂れ流しているかといえば、そうではない。地域の中で人知れず生きている人たちの姿を追い続ける地道なドキュメンタリーの制作にも力を入れている。そうした名作、力作を視聴する機会を得た。
10月22日(火)午後、ウィスティリアホールにおいて北海道民放クラブが主催する「名作ドキュメンタリーをもう一度」という催しに参加した。
北海道民放クラブとは、北海道内の民間放送局で勤めて退職された方々で組織された団体である。会の目的の一つとして社会活動を取り上げ、在職当時に制作した番組や最近の優れた番組を市民に提供する上映会を始めたそうだ。今年度は4回の上映会を企画していて、今回はその中の第2回目ということだった。
上映会は作品制作に携わった当時の関係者(プロデューサー、ディレクター、等)が制作目的や当時の背景についてレクチャーされた後、ドキュメンタリーの上映に入るという形だった。第2回目として取り上げた作品は…。
◇1982年 HBC制作(79分)「地底の葬列」(芸術祭賞大賞・放送文化基金賞奨励賞・日本民間放送連盟最優秀賞)
※ 制作当時の思い出を語るHBC・OBの後藤篤志氏です。
◇2007年 UHB制作(47分)「石炭奇想曲~夕張、東京、そしてベトナム」(日本民間放送連盟最優秀賞・FNNドキュメンタリー大賞特別賞)
※ こちらはUHBの現職で、制作当時はプロデューサーだった吉岡史幸氏が思い出を語った。
◇1985年 STV制作(25分)「みんな輝いていたよ…熱中先生ふれあいの記録」(日本民間放送連盟優秀賞・放送文化基金賞奨励賞)
※ ウェブ上から当時の工藤先生の画像を探し出しました。
それぞれが添え書きしたようにさまざまな賞を受賞している優れた作品ばかりで、主催者が“名作”と冠することも理解できた。1作目、2作目は共に石炭産業に関わったドキュメンタリーである。「地底の葬列」は夕張炭鉱の炭鉱事故、そして閉山に至るまでを炭鉱労働者目線から追ったものであり、過酷な炭坑労働の実態を映し出すものだった。一方、「石炭奇想曲」の方は、前作から20年後に制作されたもので日本のエネルギー事情の変化から再び国内に一定の石炭需要が見込まれる中、日本の炭鉱の中で唯一生き残っていた釧路コールマインの炭鉱技術者が埋蔵量豊富なベトナムの炭鉱へ技術指導に赴くという内容である。石炭の灯が消えた夕張、石炭を山積みにする東京の火力発電所、そしてベトナムの石炭採掘現場…、それらを対比させながら時代の皮肉を炙り出したものだった。
最後の「熱中先生…」は、私はON AIRで視聴した記憶があった。児童数22名の僻地の学校で奮闘する先生とそれに応えて伸び伸びと成長する子供の姿を描いたものである。同業者ということもあり、とても関心を抱いて視聴した番組だった。同業者として工藤先生の熱意と力量の素晴らしさ、それを可能にした上司、地域の方々の協力をある種の羨望の目で見ながら、自分の至らなさも振り返る機会となったドキュメンタリーだった。
「名作ドキュメンタリーをもう一度」…、素晴らしい企画だと思う。これから予定されている回も都合がつくかぎり参加したいと思っている。