1960年代を駆け抜けた伝説のデュオ「サイモン&ガーファンクル」(S&G)が、彼らの活動の後期に発表した「明日に架ける橋」が私の心の中に深く染み入った。メロディーも素晴らしいが、その詩が私の心に深く刺さった。そしてそれはあるエピソードへと繋がった…。
ブログを通して交流のある「夢逢人」さんから、私の昨日の投稿にコメントをいただいた。昨日の投稿で私は「S&Gに夢中だった」と書いたが、「夢逢人」さんは私と同年代である。「夢逢人」もまた当時S&Gに心酔した一人だとコメントをいただいた。
そうしたコメントをいただいたことがキッカケとなり、私はあることを思い出していた。それは今から10年前の5月である。私の息子が結婚することになった。息子から「披露宴の席で乾杯の発声をしてほしい」との依頼を受けた。私は多少悩んだ末に次のような謝辞を用意し、乾杯の発声に臨んだ。当時のメモが残っていたので、それを採録することにする。
※ 結構披露宴の当日、私は「明日に架ける橋」のCDを持参し、結構披露宴の会場のスタッフに渡し、赤字部分のように操作していただくことをお願いした。青字の部分が私の謝辞です。
ただ今紹介のあった(息子の名前)の父親の(私の苗字)です。
一昨日の夜になって息子から突然「乾杯の発声をしてほしい」と要請があり、今こうしてここに立っております。
突然のこととはいえ、親としてただ「乾杯」の発声をすれば良いだけではなく、皆さまにお礼の一言も申さねばならないと考えておりました。
どのようなお礼を、と考えておりましたら、私の中にあるメロディーが浮かんでまいりました。そのメロディーをちょっと聴いてください。
<ここでCD「明日に架ける橋」スタート! CD№19>
※ しばらく会場内に曲を流し、1番が終わり、私が話し始めたらボリュームを絞ってそのまま 流し続けてください。
このメロディーは私たちの若い頃に世界中の音楽ファンを魅了したサイモン&ガーファンクルという伝説のデュオが歌った「明日に架ける橋」という曲です。
「そうだこの歌の訳詞を二人に、そして参会のみなさまにご紹介することによってお礼の言葉に代えよう」と考えました。
それではその訳詞の一番のみを紹介します。
君が疲れ果て、心がくじけているとき
君の瞳に涙が溢れるとき
その涙を乾かそう 僕は君の味方だ
辛い時がきて 頼る友だちが見つからないとき
逆巻く流れに架けた橋のように 僕の身を投げ出そう
逆巻く流れに架けた橋のように 僕の身を投げ出そう
<CDをストップする>
夫婦の間に、人々の間に、このようにいつも相手を思いやる気持ちがあれば、穏やかな家庭、潤いのある社会が生まれるのではないかと私は考えています。
本日はたくさんの思いやりある皆さまに参会いただき、二人を祝福していただいたことに感謝申し上げます。
最後にもう一度、二人を祝福する発声を私と共にしていただき、乾杯に代えたいと思いますのでご協力をお願いします。
私が「おめでとう」と発しますので、続いて「おめでとう」とご発声願います。
それでは(息子の名前)、そして(お嫁さんの名前)さん「おめでとう!」
ありがとうございました。
もしこれを今の若い人たちが読まれたら「クサすぎる」と一笑に付されてしまいそうだが、当時60歳半ばのお爺には息子への精一杯のはなむけだったのである。
あれから10年、息子たちは二人の子どもにも恵まれ、仲良く暮らしているようなのが何よりである。
この種のコメントは素直に受け止めてよろしいのでしようか?どうも素直な性格でないものですから、「よーやるねぇ-」と皮肉を言われたのでは、などとうがった思いも抱いたりしています。
出ちゃっ太さんが出来ないって?そのようなことはないでしょう。いつ、どこで挨拶させられるか分かりませんよ!
CDの指示などは幾多の行事を仕切ってこられたご経験が活かされてる感じがします。
ぼくには、絶対にこういう真似はできないでしょう。
真似しようとしても、とんでもない失敗をして高転びに転んでしまうでしょう…。
そこで笑ってもらえれば幸い、ですが、いわゆる「すべった」状態になりそう。
万が一、誰かに乾杯の発声を依頼されたときは代わりにお願いしましたよ!