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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 アイガー北壁 №301

2021-02-17 17:40:26 | 映画観賞・感想

 2008年制作のドイツ映画であるが、実話に基づいた悲劇の物語である。アイガー北壁というと、私にとって因縁浅からぬところである。というとやや大げさにも聞こえるが、私にとって忘れることのできない山(壁)であることには違いない。

 ※ 掲載した写真は全てウェブ上から拝借したものである。

       

 1月31日(日)、 BSテレビ東京(BS7ch)映画「アイガー北壁」が放送(映?)された。それを録画しておいたものを昨夜観た。

 私は「アイガー北壁の映画」と聞いて、おそらくアイガー北壁の初登攀を描いたものだろうと思っていたのだが、実際には登攀に失敗する映画だった。

      

   ※ 写真は夏のアイガー北壁だと思われます。しかし、北壁は冬同然の厳しさです。

 時代はドイツにおいてナチスが権勢を奮っていた1936年、ベルリンオリンピックの直前である。当時アイガー北壁は、まだ誰も登頂したことのない難壁として有名だったが、ナチスはドイツ人の初登頂を強く望んだ。そして、ドイツ人の優秀性を世界に示そうと成功者にはオリンピック金メダルの授与を約束した。ドイツ人の中では優秀なクライマーとして名を知られていたトニー・クルツとアンディ・ヒンターシュトイサーは周りからの声に押されるようにして北壁への挑戦を決意した。      

 しかし、初登頂を狙うのは彼らだけではなかった。同時期に相前後してオーストリア隊の二人も初登頂を狙っていた。ところがオーストリア隊の一人が登攀中に落石を頭部に受けたことが悲劇の始まりだった。結局はドイツ隊を含めた4人は負傷者のために登頂を諦め、下山中に起こった雪崩や極寒(初登頂を狙ったのは夏ですが、北壁は冬同然です)のために次々と命を落とし、絶命してしまったのである。

      

  ※ 当時の登山者の様子ですが、現代と比べてかなり貧弱で寒さ対策も万全ではありません。

   ヘルメットも装着していませんね。

 アイガー北壁は結局、彼らの悲劇から2年後の1938年イタリア人の登山家ハインリッヒ・ハラー等によって初登頂されたという。

 映画は創作だったにも関わらず、迫真に満ちた映像であり、演技だったように見えた。観ている者にとっては作りものではないと思わせるほど惹き付けるものがあった。また当時は、富裕階級の人たちが北壁の麓のホテルに陣取り、豪華な食事やワインを楽しみながら壁を命がけで攀じ登る登山者を見物するということが当たり前のように行われていたようだ。

     

   ※ 彼らの登攀の様子を麓のホテルのテラスから見守る富裕者や新聞記者たちです。

 それにしても民放の宿命とはいえ、映画の途中でCMが入ってしまっては、せっかく見入っていても途中で興を削がれてしまう。テレビで映画を観るのにはやはりNHKが適しているようだ。(私はけっしてNHKの回し者ではないですよ!)

 ところで私とアイガー北壁である。拙ブログで何度か触れているが、私は1968年から1969年にかけてヨーロッパ、中近東、アジアの国々を放浪して歩いた経験がある。そうした中、1968年の11月下旬にアイガー北壁の麓の村グリンデルワルドのYH(ユースホステル)に3連泊した経験がある。その際の強烈な印象として、村に朝が来て太陽が出るのだが10時くらいになると、太陽がアイガーの壁に隠れてしまい肌寒さを感ずるのだが、やがて午後2時を過ぎたあたりから、また壁の向こうから太陽が顔を出すという経験をした。それくらいアイガーの北壁は麓の村のグリンデルワルドに覆いかぶさっているように聳えていた。

 時は移りそれから17年後の1985年に私はスキー旅行で再びアイガー北壁を訪れることができた。この時はグリンデルワルドではなく、もう少し登山電車で下りたインターラーケンという街に宿泊し、ベルナーオーバーランドというアイガー北壁を中心とするスキー場で3日間滑りまくった思い出がある。その時もアイガー北壁を真向かいにしたスキー場でアイガー北壁に向かって滑ったことが強烈な印象として残っている。

 素人目からしても、垂直に聳え立っているとしか見えない北壁を登るなんて人間業じゃないと思わせてくれる壁だったが、そうした壁をよじ登ることを生き甲斐としている人にとっては挑戦しがいのある壁ということなのかもしれない…。



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