久しぶりに “アカデミック” な話題が交歓される空間に身を置いた。認知症が心配となる年代となった私には少々難しい問題だったが、久しぶりに知的な刺激を得たシンポジウムだった。
9月30日(土)午後、北海学園大学において、同大学人文学部が学部開設30周年を記念してシンポジウムが開催されることを知り、怖さ知らずに参加してみた。
テーマは「新人文主義のフロンティア-「耕すこと」と「食べること」から考える人文学の可能性―」と題して、京都大学の藤原辰史准教授が基調講演を行い、北海学園大学人文学部の小松かおり教授、郡司淳教授のお二人が発題するという形の構成だった。
京大の藤原准教授は「食と農の人文学 ~人間を深く考えるための人間中心主義批判~」と題して講演された。藤原氏の講演内容を要領よくまとめることはできないが、藤原氏は地球の食の未来に相当な危機感を持っており、そのことに警鐘を鳴らした講演と受け取った。それは人間の歴史において農業の改革・改善の積み重ねによって大規模単作農業、大規模畜産が普及することで「食権力」が誕生した。その食権力者が地球環境を破壊し続け、地球環境問題を生起させたと指摘した。この問題について研究し、指摘するのが “人文学” の役割であると藤原氏は強調した。その結果として現在、遅効的で弱目的的な方法で、食権力に対する集団や芸術の方法が登場していると藤原氏は言う。
※ 特別講演をする京都大学人文科学研究所の藤原辰史准教授です。
続いて、北海学園大学の小松教授は「アフリカの農から考える人文学」と題して、アフリカのコンゴ盆地での農業の実態をフィルドワークした結果を報告した。コンゴ盆地での農業の実態は、まさに藤原氏が主張する遅効的で弱目的的な農業そのものである。言葉を変えると非効率的な農業であり、自分たちが必要な分しか作らない農業である。これこそ食料主権が住民自らの手にある農業だという。まさに藤原氏の主張と重なるところである。
そして同じく北海学園大学の郡司教授が「食の日本近代史―「自分」を「主語」とした人文学の試み―」と題して発題したが、残念ながらマスク越しの発言だったこともあり、言語不明瞭なこともあって、郡司氏のお話はまったく私には届かなかった。
そこで、藤原氏、小松氏のお二人のお話から、私が感じ取ったことを簡単にまとめて本日のレポとしたい。
そもそも “人文学” とは、私もはっきりとその学問分野を理解しているわけではない。自然科学、社会科学といった分野はある程度理解しているつもりだが、“人文学” となるとあやふや感が付きまとう。ネット上で調べたところ自然科学や社会科学が定量的な学問であるのに対して、人文学は定性的な学問であるという。定性的とは数値であらわせないために、いわばあやふや感が漂うというのである。そのことに対して、人文学関係者の間ではある意味で危機感を抱いているのかな?と感ずるところがあった。
そうした中、北海学園大学人文学部では〈新人文主義〉を標榜し、教育と研究を実践していくという。〈新人文主義〉とは、ヨーロッパに由来する〈人文主義〉の優れた遺産を受け継ぎつつ、そこにふくまれる西洋中心主義や人間中心主義という問題を見据えつつ、人間が人間であるために人文学は何ができるのかを北海道(フロンティア)から発信していこうという高邁な理想を掲げたようだ。特に「耕すこと」と「食べること」に特化して教育と研究を実践していくという。北海学園大学人文学部の意欲的な試みを注視したい。
などと書き進めてきたが、私自身どれだけ内容が理解できたうえで書き進めたのかかなり妖しい。よって、本日の投稿に関してはそっと見過ごしていただきたい。