6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。そのようなわずかな体験でアメリカを云々評するのはおこがましい。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。
アメリカ料理は多国籍料理?
パスタに、タコスに、みそ汁に…、えっ? これってアメリカ料理?
そういえばアメリカの食として思い出すのはハンバーガーくらいしか思いつかなかったのも事実なのだが…。
※ 朝食は一般的に写真のようなアメリカンブレックファーストが多かった。
旅する楽しみの一つに“食”がある。
ふだんはなかなか食べることのできないその土地ならではの“食”に触れることは旅の思い出を倍加する。
今回の旅はすでに伝えているようにオプションを含めて全食が用意されたツアーだった。
ツアー自体特別に高級路線を謳っていたものではない。さりとてそれほどチープなツアーでもなかったから平均的なアメリカ人が食するものを食べられるものと期待していた。
※ ナバホ族の郷土料理ナバホタコ(タコスのこと)です。パン生地が厚くてとても食べきれませんでした。
アメリカでの第一夜、ラスベガスでの夕食に案内されたところがイタリアンレストランだった。
「えーっ?アメリカにまで来てイタリアン?」と思ったのだが、用意されたパスタを食べ、大味の白身魚のフライを黙々と食した。
第二夜はBuffet(ビュッフェ)形式の夕食、そして第三夜が日本食と銘打つ海鮮焼き、第五夜になってようやくアメリカらしいといえるか?ロブスターテール&ステーキが出てきた。
(他の日の夕食は機内食など)
※ ラスベガスのイタリアンレストランで出された白身魚です。
ランチも似たり寄ったりだった。サンドイッチ、タコス、ハンバーガーと…。
ここまで来て私も悟った。
そうだ! アメリカは移民の国だったのだ。(先住民族インディアンを駆逐したという歴史を持つが…)
だからイタリアンあり、メキシコ料理あり、日本食ありなんだと…。
※ 日本食レストランで出されたみそ汁とサラダです。みそ汁は食前のスープ感覚で出されました。サラダがみそ汁椀に盛られているところが滑稽です。
※ 海鮮焼きをシェフが客を意識したパフォーマンスでもって焼き上げました。具材の多さに注目ください。
ところでその“味”の方だが、お世辞にも「旨い!」とは言いかねる味だった。
ここで「日本人にとっては」という断りを入れる必要はあるのだが…。
私たちの感覚からしたら、どうしても“大味”という印象がぬぐえなかった。
※ ナイアガラの夜に食したビーフステーキとロブスターテールです。この大きさ、この厚さでは食べきれません。
料理の内容に特色を感じられないアメリカ食だが、その量にはついていけなかった。
自分でチョイスするBuffet形式は別として、レストランが用意する量はいつでもスペシャルだった。(私たちにとって)
とても食べきれる量ではない。白身魚も、タコスも、ステーキも、私はかなり残してしまった。(私が特別に小食ということではない)
あんな量を毎食こなしているからだろう。あちこちで出会ったアメリカ人は私の想像以上に肥満体の人が多かった。
※ よせばいいのに、帰りのトランジットで寄った空港(デトロイト空港)のフードコートで同行者に誘われて寿司を食しました。味はまあまあでした。
現地ガイドが話していたことだが、アメリカ食の一つの特徴としてBuffet形式のレストランが多いということだ。(現地ではビュッフェとは発音せず、バフェと発音していた)Buffet形式とは日本でいうところのバイキング方式だが、少なくともアメリカ西部地帯では「Buffet」と大書された看板が目立った。
そのBuffet形式のレストランでの夕食のとき、ラスベガス在住の日本人ガイドが私の横で料理を選んでいた。私のお皿と自らのお皿を見比べて、「私、この方に比べてこんなに多く取っている~」と言いながらもさらにお皿に料理を載せていた。
きっと彼女も知らず知らずのうちにアメリカナイズされてしまったのかもしれない…。(彼女は見たところそれほど太ってはいなかったが)
数少ない海外旅行体験だが、海外旅行をするたびに日本食の豊かさを実感している私である。
6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。そのようなわずかな体験でアメリカを云々評するのはおこがましい。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。
大地を裂く巨大な峡谷
息を飲む光景とはこのようなことを指すのか…
それはまさに大地の一部がパカッと割れて内部を露出したかのようだった。
延々と続く巨大な峡谷を前にして私たちはため息をつくばかりだった…。
今回の旅のハイライト「グランドキャニオン」観光のために旅行社が提供してくれたのはグランドキャニオンの朝日観賞だった。つまり、グランドキャニオンに朝日が注ぐ光景を観賞してもらいたいというものである。そのため私たちは午前4時30分にホテルを発った。
鑑賞ポイント(マザーポイント)に着いたときは日の出前だったために、辺りは薄暗く、谷底はまだ漆黒の闇の中に眠っていた。
徐々に太陽が顔を出すにつれて谷の様子は刻々とその姿を変えていった。
※ 展望台の向こうに朝日が顔を出したところです。
やがて谷の全容が姿を現したとき、そのスケールの大きさに息を飲むばかりだった…。
鑑賞ポイントからは谷の底をほとんど見ることができない。それくらい谷の底が深いのだ。(その標高差は1,400m)
遠くにかすかに水の色が見えた。望遠を最大限にしてみるとコロラド川の流れが確認できた。
※ まだ朝が明けきっていないキャニオンの様子です。
※ 朝日が射し始めその陰影がくっきりと映し出された様子です。(下の写真も)
※ 望遠を目いっぱい引っ張って写したコロラド川の流れです。
ここまで書いてきたが、峡谷のスケール、私の感激を表現することは私の筆力では無理だということを思い知らされた。これ以上は写真に語ってもらうしかない。
写真よお願い!そのスケールを、私の感激を、雄弁に皆さんに伝えておくれ!!
※ 少し陽が上がってから別の観賞ポイントから撮ったグランドキャニオンです。
※ 崖すれすれに佇むカップルです。見ているだけで恐ろしくなる光景です。
※ 崖の上に豆粒のように見える観光客の姿です。
※ 朝日を撮ろうとカメラを上方に向ける観光客の姿です。
谷の深さが平均1,200m(観賞ポイントの標高は2,300m)、長さ446Km、幅6~29Km、最深地点1,800mというスケールの大きさは、私のような小さな人間にはとても捉えきることできないスケールである。
その前に立った私は呆然としてただため息をつくばかりだった。
願わくば、あの崖っぷちに佇むカップルのようにゆっくり、じっくりと峡谷を眺め続けていたい欲求に駆られたが時間が限られたツアー客にそれは許されない。
後ろ髪をひかれるとはこのことか…。
思いを引きづりながら峡谷を後にしたのだった…。
6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。
不毛の大地アメリカ西部
それは荒涼たる砂漠が延々と続く光景だった。
赤茶けた大地は生き物を寄せ付けないかのごとく横たわっていた。
こんな過酷な大地で先住民族インディアンは何を糧に生きていたのだろうか?
私たちを乗せたバスはラスベガスから3日間かけてネバダ州、ユタ州、アリゾナ州と1,650Kmを駆け巡った。
その間、私がバスの窓から目にした光景のほとんどは緑がほとんど見えない荒涼たる砂漠だった。
※ 帰宅してみて、バスの窓から見える荒涼たる砂漠をあまり撮っていないことに気づいた。褐色の大地を撮った数少ないな写真です。
ラスベガスの街中を抜け郊外に出ると辺りの風景は一変した。
高速道路の周りには草一本生えていない風景が広がり始めた。遠くに見える山々にも木一本生えていなく茶褐色の肌を露出している。 時おり見える川の跡には水が一滴も流れていなかった。
それは緑豊かな日本で生活している私には異様に見える景色だった。このことはラスベガスが砂漠の中に人工的に形成された街であることを如実に物語る風景である。
※ これもバスが疾走中に撮った写真。山裾には少し緑が見えるが、山そのものは裸山です。
ずーっと同じ風景ということではない。時には背の低い草が点々と広がっているところも目に入った。
また、ほんとうにところどころに砂漠のオアシスのように緑をたたえた集落に出くわすこともあった。
しかし、大半はやはり不毛の大地が広がる風景が続いていた。
※ 写真の手前は人が住んでいる集落です。水を与えて緑を育てています。しかし山の向こうは…。
その風景はバスで駆け抜けた1,650Kmのほとんどのところで続いていた。(グランドキャニオン国立公園周辺は緑が濃かったのだが…)
私は北米大陸の西部に広大な砂漠が広がっていることを改めて教えられた思いだった。
時おり茫漠たる砂漠の中に民家が見える。そこに住む人は何を糧に生きているのだろうか? 農地などはもちろんまったく見えない。
目を凝らしてみると、わずかに生えている草を食んでいる牛がぽつんぽつんと見えた。厳しい大地で牧畜で生計を立てているのだろうか?
※ やや緑が見えてきたといってもこのような低木の木が見える程度です。
ここでまた私自身のためにちょっと資料をめくってみた。
例えばラスベガスが州都であるネバダ州は面積が約28.6万㎢だそうである。対して私たちが住む北海道は約8.3万㎢ということで、ネバダ州は北海道の約3.4倍の面積である。
そのネバダ州の人口は270万人という。対して北海道は549万人である。そのネバダ州の人口の2/3以上はラスベガス都市圏に住んでいるということだから、その他の地域にはほんとうに疎らにしか人が住んでいないということをこの数字は意味している。
※ 機上から褐色の大地を写しました。青く見えるのは川のようです。
茫漠たる褐色の大地…。そこがいつの日か緑の大地に変わることがあるのだろうか?
気候変動によって…、あるいは人の手によって…。
※ やはり機上から見えた風景です。緑の円がたくさん見えますが、おそらく小麦畑でしょう。地下から水を汲み上げて砂漠を農地化している例としてTVで見たことがあります。
6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。
アンテロープの幻想
それは見事な造形美だった。
それが水によって、風によってできたものだとは…。
私たちの前に幻想的とも思える光景が広がった…。
ラスベガスからネバダ州、アリゾナ州の砂漠をバスで走り続けること4時間半、アリゾナ州のページ(Page)という集落に到着した。アンテロープ・キャニオン観光の拠点である。
ここで砂浜を走るに適したジープ型バスに乗り換え、道なき砂浜を走ること30分、アッパー・アンテロープ・キャニオンに到着した。
観光地特有のごてごてした施設など一つもなく、素朴なほどのその谷に私たちは運転手兼任のガイドに導かれ入って行った。
ここからは私の文章など邪魔なだけである。ともかく写真を見ていただきたい。
※ アンテロープ観光は写真のようなジープ型バスに乗り換えて現地を目ざします。
※ バスはこうした砂地の道なき道を走ります。
※ アッパー・アンテロープ・キャニオンの入口です。なあ~んにもありません。
※ 谷の中を案内してくれたナバホ族の末裔です。
↓
※ さあ~て、いよいよ谷の中に入って行きます。
↓
どうでしょうか?
写真からその幻想的とも思える光景が伝わっただろうか?(写真の技術は置いておいて…)
天井から降り注ぐ光の量の加減如何でその表情はさまざまに変わり、色合いまでも変えてしまう。
砂漠地帯のこのあたりでほとんど雨が降らないという。
しかし、年に数度の大雨は谷に鉄砲水をもたらし、水と砂が谷の形を変えていくという。
あなたが将来このアンテロープを訪れた時、私が観た光景とは変わっているかもしれない…。
6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。
関西のおかんは元気やわ~
関西のおかんはやっぱり元気だった。
関西のおかんは私たちの内側にぐいぐいと入ってきた。
そして関西のおかんは私たちを終始和ませてくれた。
この章はアメリカではなく私たちツアーグループの側を見たレポートである。
今回のツアーグループの参加者は24名だった。内訳は、30代の夫婦ペアが1組、50代の夫婦ペアが1組、60代以上の夫婦ペアが7組、60代以上の女性同士のペアが3組という構成だった。(この内訳が正確かどうかは分からない。私が見た眼で判断したものである)男女比では男9名、女15名 + 女性添乗員と、女性が多数を占めるツアーグループだった。
企画・募集したのが阪急交通社とあって参加者のほとんどは関西・中部圏の人たちで、それ以外からの参加は私たちだけだった。
旅の初めから目立つ一団がいた。
始終賑やかであり、誰とでも談笑している姿が目立った。
後から判明するのだが、それは奈良から参加した女性ペアと夫婦のペア、そして大阪から参加した女性ペアのグループだった。
※ 残念ながら今日の主題に関する写真はない。そこで僅かながら撮ったラスベガスの豪華ホテルの写真を載せることにした。最初のこの写真は私たちが宿泊した「サーカス サーカス ホテル&カジノ」のエントランスです。他のホテル名は分かりません。
男たちがこうした旅行において他の人たちとどう接すればよいのか、その距離感を測りかねているのを横目に、彼女たちはそんなことには無頓着のように初めての人にもどんどんと近づいていった。
私のところへも奈良の女性がやってきた。
「どこから来たん」
「海外旅行は何度目なん」
「仕事は何してたん」
次から次へと聞いてくる。もちろん自分のことも織り交ぜながら…。その親しみやすい話し方に乗せられてついつい本当のことを話していた。彼女はきっとこんな感じで次々と話しかけていたのだろう。(それはもしかして彼女たちのグループの絶好の話のネタになっていたかもしれない…)
大阪のおかんはもっと強烈だった。
「あんた医者かね」
とんでもないと否定すると、
「それじゃ、考古学者?」
ぎょ!である。どこを根拠に医者だとか、考古学者などと推測するのかと突っ込みの一つも入れたくなったが止めといた。
彼女は別の休憩地に行った時も「いや~、おたくは医者か考古学者だと思ったんだけどな~」とつぶやきかけるのだった。
そんな彼女たちが私たちグループを救ってくれた出来事があった。
シンシナティ空港でのことである。
旅の途中でもレポートしたが、シンシナティ空港からトロント空港に飛ぶはずの飛行機がトロントの悪天候のために飛行停止を余儀なくされてしまった。
飛行機内で待たされること1時間、空港内で待つこと実に4時間、不安の中で予定されているナイアガラ瀑布の見物も危ぶまれるという状況であった。添乗員は必死でなんとか被害を最小限に食い止めようと各方面と交渉していた。(このことついてはいずれ別にレポートする)
空港内からは他の乗客の姿は消え、私たちだけとなった。夕食も摂れていない。
不安と焦燥からそれぞれの中にイライラ感が募り始めたころだった。
空港内の片隅からさかんに笑い声が聞こえてくるのだ。誰かと思って見てみると、例の関西のおかんの一団だった。
空港内のそこここに散っていた人たちは自然と彼女たちの周りに集まってきた。もちろん私たちもそこへ吸い寄せられた。
添乗員が私たちを気遣って時おり交渉の状況を説明に来る。すると彼女たちは、
「気にせんで、しっかり交渉しい~」
「あんたたけが頼りや~」
と声をかけ彼女を励ましていた。
食事が摂れていない中で、自分たちが持っていたお菓子などを周りにふるまっていたりもした。
彼女たちの振る舞いがどれだけ私たちを勇気づけ、和ませてくれたことか…。
ステレオタイプに人を見るつもりはないけれど、関西のおかんはやっぱりパワフルで、今回の旅を十分に濃く、思い出のおおい味に仕立て上げてくれた。
6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。
砂漠に咲いたあだ花?ラスベガス
煌びやかに装いを凝らしたホテルが林立するラスベガスは砂上に建てられた楼閣のようにも見えた…。
※ 私たちが宿泊したホテルの派手な看板である。「サーカス サーカス ホテル&カジノ」と読める。
ラスベガスはグランドキャニオン観光への中継地点として多くのツアーが宿泊地としている。私たちのツアーもまたラスベガスで一泊してグランドキャニオンに向かった。だから私たちの場合、夕方にラスベガス入りして翌朝には出発するということで単なる中継地点だった。それでもほんの少しだけラスベガスを垣間見ることができた。
※ どこのホテルでもこうしたスロットルマシーンをはじめ各種のカジノの装置が所狭しと並べられていた。
ラスベガス市内に入って気付いたことがあった。
それは道路の路肩部のところに芝生とか雑草といった緑が見当たらないことだった。全てが岩を砕いた礫状のもので茶色く彩られていた。なぜそうなのか、ということは後になって判明することになる。
私たちが宿泊したホテルは「サーカス サーカス ホテル&カジノ」といってホテルが林立する中心街の北端近くにあった。ホテル名で気付くようにホテルのアトラクションとしてサーカスが常時宿泊客に提供されていた。もちろん大きなカジノ場も併設されていた。
※ 350mタワーから眺めるラスベガスの夜景です。
ラスベガスを垣間見ることができたのは食事付きのオプショナルツアーに参加したことによってである。食事の後に夜のラスベガスで行われている二つのアトラクションと地上350mのタワーからラスベガスの夜景を眺めることができた。
二つのアトラクションとは、ベラージオホテルが提供する噴水ショーとダウンタウンのストリートで繰り広げられる光と音のスペクタクルショーだった。
二つのアトラクションはいかにもラスベガスといった派手なショーだった。噴水ショーはホテルが造った人造湖で行われるものだったし、スペクタクルショーはストリートの天井部分にど派手な映像を映し出すというものだった。
※ ホテルの人造湖で繰り広げられた噴水ショーです。
他にも各ホテルがさまざまなアトラクションを無料や有料で提供しているという。また高質のナイトショーも各ホテルで繰り広げられているという。
現地ガイドが言う。「ラスベガスの産業は観光のみです」と…。カジノを中心として、人間の欲望を刺激するさまざまな装置を施した 施設やソフトを満載しているところがラスベガスである。
それはまさに砂漠に咲いたあだ花のように私には見えた…。
※ 350mタワーの全景です。横のホテルが数十回建てですが小さく見えます。
ところで最初の疑問である。
ラスベガス在住の現地ガイドがラスベガス事情を語ってくれた。
ラスベガスで庭に花や緑を育てるには、地下にビニールホースを通し、その上にシート敷き詰め(ガイドは網と言ったが、ビニールシートのことを言っていると思う)、シートの上に土を敷き詰めるのだそうだ。そして夜間にビニールホースを通して植物に灌水するということである。つまりラスベガスでは自然には植物は育たず、人工的に水を与え続けなければならないということである。
道路の路肩に植物が見当たらないわけである。そのことはラスベガス郊外に出たときはっきりと思い知らされた。
6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。
タフな旅程
旅行社の企画を見て覚悟はしていたがタフな旅程だった。
僅かな日程であの広大なアメリカの観光ポイントを4か所も巡るというのだから当然と云えば当然である。
ある意味、旅行社の芸術的(?)な企画と云えるのかもしれない。
芸術的とは、その旅程の組み方だけではなく、ほとんどの食事が付き、添乗員が付き添い、そのうえそれぞれの現地でも日本人ガイドが3人も用意されているという至れり尽くせりの旅程案でありながらリーズナブルな価格設定であったからだ。
どれくらいタフであったかということについて触れてみたい。
今回、新千歳空港を出発し、帰り着くまで乗り継いだ飛行機の回数は10回だった。
いったいどれくらいの距離を飛んだのだろうかと興味を抱き調べてみた。
◇新千歳 ⇒ 関西 1,072 Km
◇関西 ⇒ シアトル 8,074
◇シアトル ⇒ ラスベガス 875
◇フェニックス ⇒ シンシナティ 1,566
◇シンシナティ ⇒ シカゴ 257
◇シカゴ ⇒ トロント 430
◇バッファロー ⇒ デトロイト 231
◇デトロイト ⇒ シアトル 1,927
◇シアトル ⇒ 関西 8,074
◇関西 ⇒ 新千歳 1,072
合計 26,770 Km
※ 今回私たちを関空からアメリカ、そしてアメリカ国内を運んでくれたのはデルタ航空だった。
さらに陸地をバスで移動したのが1,650Kmだから、7日間で都合28,420Km移動したことになる。この距離はざっと地球半周にあたる。
タフだったのは移動距離だけではない。その内容にもタフさがあった。
毎日のホテル出発はほとんどが7時、8時台だった。中にはグランドキャニオンの朝日観賞のために朝の4時半に出発したり、帰国の便に間に合わすために午前3時半にホテルを出発したりした日もあった。さらにアクシデントでシンシナティ空港では深夜12時過ぎまで空港内に留まらなければならなかったこともあった。
しかし、私を含めてツアー客のほとんどが60代という年代であったにもかかわらず、誰一人愚痴を云うでもなく旅を楽しんでいたのが印象的だった。(内心はどうあれ…)
タフなのは私たちだけではなかった。バスのドライバーのタフさも特筆ものだった。
2日目はラスベガスからグランドキャニオン間630Km、3日目はグランドキャニオンからフラッグスタッフ間580Km、4日目はフラッグスタッフからフェニックス間380Kmを一人で運転したのである。
この距離がどれくらい凄いのかを北海道に当てはめてみた。函館⇒稚内間が593Kmである。私たちが乗ったバスは3日間で函館・稚内間を往復し、さらに旭川まで行ったことになる。その間ずーっと一人で運転したのだ。
ある日の途中の休憩ポイントでドライバーが体を伸ばし欠伸をしていたので、私は「疲れたか?」と訊いたところ「little bit」と答えてくれた。彼とてスーパーマンではない。けっこう疲れていたのだ。
※ 私たちを3日間で1,650Kmもの長い距離を運んでくれたバスです。
というようにかなりハードな旅程だったが、こうした旅程は旅行会社のツアーだからこそ実現できたものなのだとも思う。個人的にこうした旅程を組むことはおよそ無理な話である。
アンテロープキャニオン、グランドキャニオン、モニュメントバレー、ナイアガラ瀑布を一度に見ようとするためにはこのくらいのハードな旅程は私を含めツアーに参加した誰もが織り込み済みだったということだ。
私たちはある意味こうしたタフな旅程をも楽しんだということなのだ。
14時50分、無事関西国際空港に降り立ちました。
今は新千歳空港までのフライトを待って関空ターミナル内で食事中です。帰宅は深夜になりそうなので、旅を振り返るレポートは明日からにします。
日本に向けて今デトロイト空港にいます。
いろいろあったナイアガラ観光ですが、昨夕(こちら時間)写真のように見事な、そして豪快ナイアガラ瀑布を間近に見ることができました。
今日は帰宅に向けてひたすら飛行機を乗り継ぎます。バッファローからデトロイトへ、デトロイトからシアトル、そして関西空港、新千歳空港と都合4度乗り継いで本日深夜に帰宅する予定です。
明日から旅の総集編をレポートできればと思っています。
※ サッカーWC予選は日本が無事勝利したようですね。まずは幸先の良い一勝です。
シンシナティ空港から投稿したものがまたまた文字化けしました。
現在シカゴ空港まで来て、トロントの便を待っているところです。ナイアガラが見られないのでは、というピンチもありましたが、どうにか今夕に見物できそうです。波乱万丈の旅が続いていますが、明日でこの旅も終わりです。写真はシンシナティ空港のものです。