6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。
アンテロープの幻想
それは見事な造形美だった。
それが水によって、風によってできたものだとは…。
私たちの前に幻想的とも思える光景が広がった…。
ラスベガスからネバダ州、アリゾナ州の砂漠をバスで走り続けること4時間半、アリゾナ州のページ(Page)という集落に到着した。アンテロープ・キャニオン観光の拠点である。
ここで砂浜を走るに適したジープ型バスに乗り換え、道なき砂浜を走ること30分、アッパー・アンテロープ・キャニオンに到着した。
観光地特有のごてごてした施設など一つもなく、素朴なほどのその谷に私たちは運転手兼任のガイドに導かれ入って行った。
ここからは私の文章など邪魔なだけである。ともかく写真を見ていただきたい。
※ アンテロープ観光は写真のようなジープ型バスに乗り換えて現地を目ざします。
※ バスはこうした砂地の道なき道を走ります。
※ アッパー・アンテロープ・キャニオンの入口です。なあ~んにもありません。
※ 谷の中を案内してくれたナバホ族の末裔です。
↓
※ さあ~て、いよいよ谷の中に入って行きます。
↓
どうでしょうか?
写真からその幻想的とも思える光景が伝わっただろうか?(写真の技術は置いておいて…)
天井から降り注ぐ光の量の加減如何でその表情はさまざまに変わり、色合いまでも変えてしまう。
砂漠地帯のこのあたりでほとんど雨が降らないという。
しかし、年に数度の大雨は谷に鉄砲水をもたらし、水と砂が谷の形を変えていくという。
あなたが将来このアンテロープを訪れた時、私が観た光景とは変わっているかもしれない…。
6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。
関西のおかんは元気やわ~
関西のおかんはやっぱり元気だった。
関西のおかんは私たちの内側にぐいぐいと入ってきた。
そして関西のおかんは私たちを終始和ませてくれた。
この章はアメリカではなく私たちツアーグループの側を見たレポートである。
今回のツアーグループの参加者は24名だった。内訳は、30代の夫婦ペアが1組、50代の夫婦ペアが1組、60代以上の夫婦ペアが7組、60代以上の女性同士のペアが3組という構成だった。(この内訳が正確かどうかは分からない。私が見た眼で判断したものである)男女比では男9名、女15名 + 女性添乗員と、女性が多数を占めるツアーグループだった。
企画・募集したのが阪急交通社とあって参加者のほとんどは関西・中部圏の人たちで、それ以外からの参加は私たちだけだった。
旅の初めから目立つ一団がいた。
始終賑やかであり、誰とでも談笑している姿が目立った。
後から判明するのだが、それは奈良から参加した女性ペアと夫婦のペア、そして大阪から参加した女性ペアのグループだった。
※ 残念ながら今日の主題に関する写真はない。そこで僅かながら撮ったラスベガスの豪華ホテルの写真を載せることにした。最初のこの写真は私たちが宿泊した「サーカス サーカス ホテル&カジノ」のエントランスです。他のホテル名は分かりません。
男たちがこうした旅行において他の人たちとどう接すればよいのか、その距離感を測りかねているのを横目に、彼女たちはそんなことには無頓着のように初めての人にもどんどんと近づいていった。
私のところへも奈良の女性がやってきた。
「どこから来たん」
「海外旅行は何度目なん」
「仕事は何してたん」
次から次へと聞いてくる。もちろん自分のことも織り交ぜながら…。その親しみやすい話し方に乗せられてついつい本当のことを話していた。彼女はきっとこんな感じで次々と話しかけていたのだろう。(それはもしかして彼女たちのグループの絶好の話のネタになっていたかもしれない…)
大阪のおかんはもっと強烈だった。
「あんた医者かね」
とんでもないと否定すると、
「それじゃ、考古学者?」
ぎょ!である。どこを根拠に医者だとか、考古学者などと推測するのかと突っ込みの一つも入れたくなったが止めといた。
彼女は別の休憩地に行った時も「いや~、おたくは医者か考古学者だと思ったんだけどな~」とつぶやきかけるのだった。
そんな彼女たちが私たちグループを救ってくれた出来事があった。
シンシナティ空港でのことである。
旅の途中でもレポートしたが、シンシナティ空港からトロント空港に飛ぶはずの飛行機がトロントの悪天候のために飛行停止を余儀なくされてしまった。
飛行機内で待たされること1時間、空港内で待つこと実に4時間、不安の中で予定されているナイアガラ瀑布の見物も危ぶまれるという状況であった。添乗員は必死でなんとか被害を最小限に食い止めようと各方面と交渉していた。(このことついてはいずれ別にレポートする)
空港内からは他の乗客の姿は消え、私たちだけとなった。夕食も摂れていない。
不安と焦燥からそれぞれの中にイライラ感が募り始めたころだった。
空港内の片隅からさかんに笑い声が聞こえてくるのだ。誰かと思って見てみると、例の関西のおかんの一団だった。
空港内のそこここに散っていた人たちは自然と彼女たちの周りに集まってきた。もちろん私たちもそこへ吸い寄せられた。
添乗員が私たちを気遣って時おり交渉の状況を説明に来る。すると彼女たちは、
「気にせんで、しっかり交渉しい~」
「あんたたけが頼りや~」
と声をかけ彼女を励ましていた。
食事が摂れていない中で、自分たちが持っていたお菓子などを周りにふるまっていたりもした。
彼女たちの振る舞いがどれだけ私たちを勇気づけ、和ませてくれたことか…。
ステレオタイプに人を見るつもりはないけれど、関西のおかんはやっぱりパワフルで、今回の旅を十分に濃く、思い出のおおい味に仕立て上げてくれた。