6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。
不毛の大地アメリカ西部
それは荒涼たる砂漠が延々と続く光景だった。
赤茶けた大地は生き物を寄せ付けないかのごとく横たわっていた。
こんな過酷な大地で先住民族インディアンは何を糧に生きていたのだろうか?
私たちを乗せたバスはラスベガスから3日間かけてネバダ州、ユタ州、アリゾナ州と1,650Kmを駆け巡った。
その間、私がバスの窓から目にした光景のほとんどは緑がほとんど見えない荒涼たる砂漠だった。
※ 帰宅してみて、バスの窓から見える荒涼たる砂漠をあまり撮っていないことに気づいた。褐色の大地を撮った数少ないな写真です。
ラスベガスの街中を抜け郊外に出ると辺りの風景は一変した。
高速道路の周りには草一本生えていない風景が広がり始めた。遠くに見える山々にも木一本生えていなく茶褐色の肌を露出している。 時おり見える川の跡には水が一滴も流れていなかった。
それは緑豊かな日本で生活している私には異様に見える景色だった。このことはラスベガスが砂漠の中に人工的に形成された街であることを如実に物語る風景である。
※ これもバスが疾走中に撮った写真。山裾には少し緑が見えるが、山そのものは裸山です。
ずーっと同じ風景ということではない。時には背の低い草が点々と広がっているところも目に入った。
また、ほんとうにところどころに砂漠のオアシスのように緑をたたえた集落に出くわすこともあった。
しかし、大半はやはり不毛の大地が広がる風景が続いていた。
※ 写真の手前は人が住んでいる集落です。水を与えて緑を育てています。しかし山の向こうは…。
その風景はバスで駆け抜けた1,650Kmのほとんどのところで続いていた。(グランドキャニオン国立公園周辺は緑が濃かったのだが…)
私は北米大陸の西部に広大な砂漠が広がっていることを改めて教えられた思いだった。
時おり茫漠たる砂漠の中に民家が見える。そこに住む人は何を糧に生きているのだろうか? 農地などはもちろんまったく見えない。
目を凝らしてみると、わずかに生えている草を食んでいる牛がぽつんぽつんと見えた。厳しい大地で牧畜で生計を立てているのだろうか?
※ やや緑が見えてきたといってもこのような低木の木が見える程度です。
ここでまた私自身のためにちょっと資料をめくってみた。
例えばラスベガスが州都であるネバダ州は面積が約28.6万㎢だそうである。対して私たちが住む北海道は約8.3万㎢ということで、ネバダ州は北海道の約3.4倍の面積である。
そのネバダ州の人口は270万人という。対して北海道は549万人である。そのネバダ州の人口の2/3以上はラスベガス都市圏に住んでいるということだから、その他の地域にはほんとうに疎らにしか人が住んでいないということをこの数字は意味している。
※ 機上から褐色の大地を写しました。青く見えるのは川のようです。
茫漠たる褐色の大地…。そこがいつの日か緑の大地に変わることがあるのだろうか?
気候変動によって…、あるいは人の手によって…。
※ やはり機上から見えた風景です。緑の円がたくさん見えますが、おそらく小麦畑でしょう。地下から水を汲み上げて砂漠を農地化している例としてTVで見たことがあります。