ノンフィクション作家の澤地久枝さんの講演を聴いた。当年81歳という澤地さんはとても若々しい張りのある声だった。しかし、話の内容には年齢のせいではと思わされる場面が少なからずあった…。
16日(土)午後、道新ホールで北星学園大学の開学50周年記念講演会として澤地久枝さんが「生き甲斐について」と題して講演された。
澤地さんは81歳には見えないほど顔の色つやも良く、声にも張りがあった。
私は有名作家の講演とあって、話の内容を聞き逃すまいとメモのためのペンを握りしめながら耳を傾けた。しかし・・・。
澤地さんの話はあちこちに飛んだ。澤地さんはとても早口だった。
自らの来し方を主として語っていたのだが、話が飛び過ぎて聞いている私の中で澤地さんが言おうとしていることの焦点が合わないのだ。
いったい何を話そうとしているのだろうと…。
そうした中で最も時間を割いたのが、澤地さんが中央公論社の編集者時代に交友のあった中野重治(作家・評論家・詩人)のことについてだった。中野重治の言葉が澤地さんの生き方に影響を与えたようだったが、その言葉も早口のためにメモしきれなかった。
しかし、それが澤地さんの生き甲斐だとは思えなかった。
講演の最後に、澤地さんが最も力を入れ、比較的理路整然と話したのが原発再稼働問題についてだった。最近の澤地さんはこの問題にかなり深くかかわっているようだ。あるいはそのことが澤地さんにとっての“生き甲斐”なのかもしれないと思った。
面白い、と思ったのは翌日の北海道新聞の記事だった。
いくら優秀な記者でも澤地さんの話をまとめることは難しかったとみえる。記事の内容は澤地さんが原発再稼働問題に言及したことに大半を割いたものだった。
今年2月、80歳になる屋山太郎氏の講演を聴いたときにも感じたのだが、屋山氏も話があちこちと飛んでしまい聴く方が苦労した。
今回、澤地さんのお話をうかがい自らの老いを感じたときには人前で話すことを遠慮すべきではないのかな、と思ったのだが…。(それは難しいことかなぁ…)
16日(土)午後、道新ホールで北星学園大学の開学50周年記念講演会として澤地久枝さんが「生き甲斐について」と題して講演された。
澤地さんは81歳には見えないほど顔の色つやも良く、声にも張りがあった。
私は有名作家の講演とあって、話の内容を聞き逃すまいとメモのためのペンを握りしめながら耳を傾けた。しかし・・・。
澤地さんの話はあちこちに飛んだ。澤地さんはとても早口だった。
自らの来し方を主として語っていたのだが、話が飛び過ぎて聞いている私の中で澤地さんが言おうとしていることの焦点が合わないのだ。
いったい何を話そうとしているのだろうと…。
そうした中で最も時間を割いたのが、澤地さんが中央公論社の編集者時代に交友のあった中野重治(作家・評論家・詩人)のことについてだった。中野重治の言葉が澤地さんの生き方に影響を与えたようだったが、その言葉も早口のためにメモしきれなかった。
しかし、それが澤地さんの生き甲斐だとは思えなかった。
講演の最後に、澤地さんが最も力を入れ、比較的理路整然と話したのが原発再稼働問題についてだった。最近の澤地さんはこの問題にかなり深くかかわっているようだ。あるいはそのことが澤地さんにとっての“生き甲斐”なのかもしれないと思った。
面白い、と思ったのは翌日の北海道新聞の記事だった。
いくら優秀な記者でも澤地さんの話をまとめることは難しかったとみえる。記事の内容は澤地さんが原発再稼働問題に言及したことに大半を割いたものだった。
今年2月、80歳になる屋山太郎氏の講演を聴いたときにも感じたのだが、屋山氏も話があちこちと飛んでしまい聴く方が苦労した。
今回、澤地さんのお話をうかがい自らの老いを感じたときには人前で話すことを遠慮すべきではないのかな、と思ったのだが…。(それは難しいことかなぁ…)