goo blog サービス終了のお知らせ 

田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札響 森の響フレンドコンサート

2015-10-21 18:24:04 | ステージ & エンターテイメント
 久しぶりの札響だった。モーツァルトとチャイコフスキーの名曲をたっぷりと楽しむことができた。今回は札響のコンサートマスターとして活躍後、一時札響を離れ再び復帰したヴァイオリンの田島高宏さんの凱旋コンサート的要素もあったコンサートだった。 

          

 10月17日(土)午後、久しぶりにキタラで札幌交響楽団のコンサートを聴いた。といっても、チケットは友人のH氏から譲り受けてのものだった。どうも最近の私は文化的なことへの投資に欠けがちである。まあ、それだけ文化的素養を持ち合わせていないということの証しでもあるのだが…。

 それはさておき、今回は「札響名曲シリーズ」の一環で、モーツアルトとチャイコフスキーが取り上げられた。演奏ラインナップを紹介すると、

 ◇モーツァルト 交響曲第35番ニ長調 K.385「ハーフナー」
 ◇モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番イ短調 K.219「トルコ風」
 ◇チャイコフスキー 3大バレエ音楽より
  ・「眠りの森の美女」
  ・「くるみ割り人形」
  ・「白鳥の湖」


 指揮は秋山和慶、二曲目のヴァイオリンのソロは田島高宏が務めた。
 私にはクラシックの細かな批評をする素養などは微塵もない。したがって、ただただ演奏に心地良く耳を傾けるだけである。
 ただ、微かながらもモーツァルトとチャイコフスキーの音楽傾向の違いのようなものは感じ取れたかな?という思いは残った。それは両者を対比的に一言で表現すると「柔」と「剛」の違いとでも表現されるだろうか。
 私の耳にはモーツァルトの音楽は柔らかさをともなって聴こえてきた。対するチャイコフスキーはバレエ音楽であるから繊細に聴こえる部分もあるのだが、全体としては剛のイメージの音楽として聴こえてきたように思われた。
 こんなことを書くと「何をこのおっさんは、わけのわからぬことを言ってるんだ」と罵られそうだが、そう感じたのだから仕方がないと開き直ろう。まあ、音楽は究極のところ、人それぞれの楽しみ方があってしかるべきと思われるので、私のとんでも感想も見逃してもらいたい。

                 
                 ※ モーツァルトの肖像画です。

                  
                 ※ こちらはチャイコフスキーり肖像画です。                


 肝心の音楽とは違うところでハプニングの場面や場が和む場面に遭遇した。
 一曲目の「ハーフナー」の第2楽章の演奏中のことだった。
 突然ステージ上で「ガシャン」というような音が聴こえたように思えた。それは明らかに演奏の流れとは異質な音に聴こえたのだが、ステージ上では何事もなかったかのように演奏は続いた。
 しかし、ハプニングは発生していたのだった。少し時間をおいてパーカッション奏者が椅子から降りて下に散らばってしまったマレット(打楽器)を拾い始めたのだ。何かの拍子にマレットと一緒に置いてあったウィンドチャイムが床下に落下したハプニングだったようだ。
 演奏を終えると、パーカッションの前の奏者が後ろを向き、「何があったの?」とアイコンタクトで会話していたのを見て、ハプニングだったのだと確信した。

 もう一つの場面は、ヴァイオリンのソロをとった田島高宏さんである。
 二曲目のヴァイオリン協奏曲が終わると客席から盛大な拍手が贈られた。2度、3度とカーテンコールが続いた。札響のメンバーも拍手をしている。特に同じヴァイオリンでコンサーマスターを務める大平まゆみさんが「よく帰ってきてくれたわね」といわんばかりの優しさに満ちた表情で拍手をしているのが印象的だった。
 客席は明らかにアンコールを欲していた。しかし、田島さんは「もう、目いっぱい演奏した」という表情で、3度目の登場の時にはヴァイオリンを持っていなかった。すると、大平さんが「私のをどうぞ」とでもいうように田島さんに差し出す仕草を見せたのだ。
 プロとしてステージ上で他の人の楽器で演奏するなどということはあり得ないことだと思う。それでもそんな仕草を見せるところに、札響メンバー同士の温かさを見た思いがしたのだった。


                
                ※ 札響に里帰りして、ヴィオリンのソロを務めた田島高宏さんの顔写真です。

                
                ※ 田島高宏さんを温かく迎えた大平まゆみさんです。今や札響の顔でしょう。


 一流の音を聴けたとともに、思ってもみなかった副産物的なお土産をいただいた気持になったコンサートだった。H氏に感謝である。

北海道低山紀行 51 完登!藻岩山全コース一筆書縦走 後編

2015-10-20 21:51:53 | 北海道低山紀行 & Other
 さて昨日の続き、「藻岩山全コース一筆書縦走」の後半である。やせ馬のなんとやらで、やはり後半はかなりペースダウンする羽目になった。おまけに午前中には考えられなかった天気の急変で雨にも泣かされながらのゴールだった。 

        
        ※ 前編で掲載したsakagさん制作のルート図を再掲しました


 前編を投稿したところ、私が勝手にお師匠と思い、今回の一筆書縦走も勝手にトレースさせていただいたsakagさんから早速コメントをいただいた。(昨日の投稿ブログをご覧ください)私とはレベルも、ラベルも段違いの方からコメントをいただき、嬉しいやら、面映ゆいやらである。張り切って一筆書縦走の後半を綴りたいと思う。
 拙ブログで度々登場していただいているsakagさんがどのくらい凄い人なのか興味を抱いた方はsakagさんのHPを訪問していただければ、その超人ぶりがご理解いただけると思う。SakagさんのHPはこちらです。  


 馬の背では多くの人が憩っていたこともあり、そのまま通過して小林峠口に下りるT6分岐点に向かった。厳しい登りであるが、10分でT6分岐点に着いた。

             
             ※ 馬の背分岐点からT6分岐点に向かうところです。向こうに登り返しが待っています。             

 この時点で11時20分。昼食は「小林峠コース登山口」に下りたあたりになるかなぁ、と思いながら小林峠口を目ざした。
 小林峠コースは全コース中最も長いコースなのだが、長いだけではなかった。下りのはずなのに意外にも上り下りが多いのだ。T6分岐点から少し下った後に長~い上りが待っていた。ここでかなり体力を消耗してしまったようだ。
 「登山口まで休まずに行くのは難しいなぁ」と思い始めていた時、朝コンビニで購入した「フルーツみつ豆缶」を思い出した。そうなると、もうダメである。「フルーツみつ豆缶」が頭の中を駆け巡るのだ。私はその誘惑に負けてしまい途中の切り株に腰を下ろしてしまった。あゝ、そのみつ豆缶の美味しかったこと…。

             
             ※ 小林峠コース登山口へ向かうコースは下りのはずなのに、上りが多いことが
              辛かったとみえ、このような写真がたくさん残っていました。 
             

             
             ※ うまい具合に、山道にちょうど休憩するのにぴったりの木の株がありした。

             
             ※ 疲れた体にSUNYOのフルーツみつ豆缶は美味しかったぁ!!

 11時50分から10分間、思わぬ休憩を取る羽目になった。
 小林峠コースは、前述したとおり最も長いコースとあってあまり登山者はいない。それでもこの日は2人の単独登山者と、1組のグループと出会った。
 コースはよく整備されているが、5つのコースの中では細いところや斜傾したところが目立つコースでもあった。
 登山口が近づいてきたところで太陽の光線を浴びて黄金色に輝く黄葉を見ることができ、疲れた体もひと時元気になったような気がした。
 結局、「小林峠コース登山口」に着いたのは12時30分だった。途中休憩を除くとちょうど1時間かかった計算である。

             
             ※ 辺りの景色を愛でる余裕がなくなっていた私だったか、この景色にだけは目を奪われました。

             
             ※ 道々沿いにある「小林峠コース登山口」です。

 山中で休憩を取ったこともあり、登山口を通過して、「北の沢コース登山口」までの長い長い車道歩きが始まった。
 小林峠を通過する車がかなりのスピードで通過していく。味気ない車道歩きであるが、一筆書縦走を完成させるためには仕方がないコースである。
 遠くに藻岩山の山頂を眺めながら黙々と歩いた。距離的には3キロ超くらいだろうか?
 50分かけて、13時20分に「北の沢コース登山口」に着いた。

             
             ※ 写真では車が少なく見えますが、実はたくさんの車が行き交う小林峠付近の道路です。

             
             ※ 右手の山頂に藻岩山山頂の建物が白く見えます。空の雲の様子が怪しくなっていますね。

             
             ※ 「北の沢コース登山口」です。


 以前に北の沢コースを登ったときに、登山口から少し行ったところに、ちょっとした広場があることを記憶していたので、そこまで行って遅い昼食を摂ることにした。
 記憶どおりに、しかもベンチまである広場があり、そこで15分の休憩を兼ねてコンビニおにぎりを頬張った。
 その時、初めて気が付いた。昼前までの空からは想像もつかないほどに空全体が厚い雲に覆われていたのだ。

             
             ※ 昼食を摂ったちょっとした広場です。

 昼食を摂り、再び「北の沢コース」を登りはじめた。「北の沢コース」の前半は他のコースと比べると広くゆったりとしていて、家族連れのハイキングにぴったりのような登山路が続いている。
 やがて普通の登山路になってきたかな?と思っていたところ、なんだかポツポツと雨粒を感じ始めた。しかし、本格的なものからはほど遠い感じだった。と思う間もなく馬の背分岐に到達した。この時14時05分、休憩を除くと登山口から30分で馬の背まで届いたことになる。5つの登山口のうちで最も距離が短い登山コースらしい。

             
             ※ 北の沢コースの前半は写真のように快適なトレッキングコースです。

             
             ※ 北の沢コースと馬の背が合流する分岐点です。

 馬の背分岐からは「藻岩山ハイゥエイ」を通って山頂を目ざすだけである。山頂から下りてくる登山者に数多く出会う。空は暗く、とても午後2時を過ぎたばかり感じではなく、日の入りが近い感じさえ与えた。
 やがて、ハイゥエイから岩場が連なる頂上直下の最後の上りにかかった。体力は相当に使い果たし、かなりきつい感じである。その頃から雨粒がかなりはっきりし出して、下りてくる登山者の中にレインウェアを羽織っている人が目立ちはじめた。
 まだ大丈夫かな?と思ったが、小休止を兼ねて私も上だけレインウェアを羽織ることにした。
 体力は相当に消耗していたが、最後の上りに気合を入れて、なんとか14時30分に山頂に着いた。

             
             ※ 藻岩山山頂付近の岩場です。ちょっとした登山気分に浸れます。

             
             ※ 雨模様の山頂から札幌市街を見降ろしたところです。

 雨がいよいよ本格的な様相を示してきたため、山頂で下のレインウェアも身に付け、ザックもカバーを施し、完全雨仕様の格好になって、最後の下山を開始した。(ここで15分の休憩となった)
 雨のために下りはじめの石段のところは慎重を期しながら下った。sakagさんはこの下りでスキー場を下ったということだったので、私もそうしたいと思っていたが、雨の中芝地は滑るために無理かなぁ?と思いながらスキー場横の階段を下っていた。
 すると、先に下っていた人がスキー場を下っているではないか!大丈夫そうだ!そう判断した私もスキー場を下ることにした。
 これがけっこう大変だった。足場は芝地ではなく、岩が適度にあるのだが、何せうさぎ平の急斜面である。一つ足を下ろすたびに疲れた膝を直撃する。膝の痛みを感じつつの最後の下山となった。

             
             ※ 藻岩山スキー場のウサギ平を上から見降ろしたところです。

             
             ※ この写真は反対にウサギ平を見上げたところです。

             
             ※ 特に見えるスキー場のロッジの建物の近くがゴールです。            

 雨は幸い心配したほど強くはならなかった。そして辺りが薄暗く感じられるほど夕方の雰囲気が漂う中、15時35分、愛車が待つ「藻岩山スキー場コース登山口」に無事到着した。
 総行動時間7時間50分、休憩時間を除いた実質行動時間6時間50分の「藻岩山全コース一筆書縦走」だった。偶然ではあるが、事前にsakagさんの2割増し7時間50分位では、と予想していたとおりの時間となって驚いている。

             
             ※ 愛車のフロントガラスはたくさんの枯葉が積もっていました。

 それにしても運動不足の我が身にとってはタフな7時間50分だった。縦走から2日が経過したのに、私の下半身はまだ筋肉痛が取れていない。
 実は今週末(24日土曜日)、留萌振興局が主催する「増毛山道体験トレッキング」に参加を申し込んでいる。16kmにわたって山道を歩く催しらしい。今回の縦走は、その意味では良いトレーニングになったと思っている。
 長いレポートにお付き合いいただき、ありがとうございました!


【藻岩山全コース一筆書縦走登山 データー】
標 高  531m
駐車場  スキー場登山口のところには大きな駐車場がある。
行 程  「藻岩山スキー場コース登山口」→(60分)→山頂(10分間休憩)→(15分)→馬の背分岐点→(15分)→T6分岐点→(35分)→「旭山記念公園コース登山口」(10分間休憩)→(20分)→「慈啓会コース登山口」→(40分)→馬の背分岐点→(10分)→T6分岐点→(途中10分間休憩)→(60分)→「小林峠コース登山口」→(50分)→「北の沢コース登山口」(15分間休憩)→(30分)→馬の背分岐点→(25分)→山頂(15分間休憩)→(50分)→「藻岩山スキー場コース登山口」ゴール!!
時 間  総行動時間(7時間50分) 実行動時間(6時間50分)
天 候  午前中晴れ、午後から曇り後雨
登山日  ‘15/10/18

北海道低山紀行 51 完登!藻岩山全コース一筆書縦走 前編

2015-10-19 23:32:47 | 北海道低山紀行 & Other
 私にとって宿題だった「藻岩山全コース一筆書縦走」を昨日なんとかやり遂げることができた! 日頃の運動不足と、体力虚弱の私にはかなり困難な挑戦だったが、今シーズンの夏山最後を飾るイベントを無事終えることができた!
 

 今年は例年に比べ、公的な仕事が入ってきたこともあり、スケジュールと天候が噛み合わず、山に行ける機会が減ってしまったことを残念に思っていた。
 18日(日)、ようやく巡ってきた機会を逃したくなかった。前夜(というより深夜)WCラグビーの南ア 対 ウェールズ戦を観戦したため、就寝したのは午前2時過ぎ、それでも朝6時半過ぎには起床し、準備した。妻に迷惑をかけたくなかったので、この日はコンビニ弁当で済ませることにした。

       
       ※ このマップはsakagさんのHPから拝借したものです。私はsakagさんと同じようにコースをトレースしました。

 コースは函館の超人sakagさんが辿られたコースをそのままトレースすることにした。
そのコースとは、「藻岩山スキー場コース登山口」からスタートし、山頂を通過して、「旭山記念公園コースの登山口」に下りる。そこから車道を歩いて「慈啓会コース登山口」に向かい、そこから馬の背に出て、T6分岐から「小林峠コース登山口」に下りる。そしてまた車道を歩き「北の沢コース登山口」から登山を開始し、馬の背、山頂を経て「藻岩山スキー場コース登山口」に下りるというコースである。
 総距離は約21kmという。そこをsakagさんは6時間30分で踏破したという。私の場合、その2割増しとして7時間50分程度か?これは長丁場である。

             
             ※ 藻岩山スキー場の様子です。朝早く、シーズンオフとあって人っ子一人見えません。

 朝、7時30分、自宅から登山口としては一番遠くになる「藻岩山スキー場コース登山口」に立った。
 用意を整え、7時45分、スキー場登山口をスタートした。天気は上々、絶好の登山日和である。
 スキー場コースはいきなりの急登が続く。先のことを考え、ゆっくりゆっくり進むことを心がけた。山の紅葉は進んでいたが、意外にも紅く色づいた葉が少ない。黄色か茶色の葉が目立った。
 朝まだ早いと思ったが、トレイルランの練習をしている人たちが何人も私の横をすり抜けていった。

             
             ※ スキー場コースはこのような上りがずーっと続く登山コースです。

             
             ※ あまりファッショナブルとは言えませんが、この方もトレイルランナーでしょう。

 スキー場コースは一息つくところがほとんどない。ちょっとしたピーク以外は登り続けるコースである。特にスキー場の急斜面「うさぎ平」が左手に見えるところでは階段登行が待っている。その後、ロープウェイの中間駅を通過し、スタートから1時間後の8時45分、山頂に到達した。
 ここをそのまま通過して、次に向かうのがsakagさん、私はやっぱり休憩を入れなければならなかった。10分間の休憩を取り、「旭山記念公園コースの登山口」に向かった。

             
             ※ 藻岩山スキー場の名物ウサギ平の急斜面です。

             
             ※ 藻岩山ロープウェイの中腹駅近くにあった「藻岩山神社」の祠です。

             
             ※ 登山コースは、藻岩山登山電車沿いにありした。

             
             ※ 藻岩山ロープウェイの山頂駅舎です。この駅舎の中には登山者のための休憩施設もあます。


 山頂から旭山公園口に向かうルートは、四つの登山口からの登山者が集まるルートなので(私は密かに「藻岩山ハイウェイ」と呼称しているが…)、この日のように休日だと山頂を目ざす登山者が朝早くから次々と登ってくる。中には相当なお年寄りも混じっていて、なんだか叱咤激励を受けているような気になってくる。

                            
             ※ かなりお歳をめした登山者が登ってきました。

             
             ※ 私が密かに「藻岩山ハイウェイ」と命名した馬の背から山頂に通ずる広い登山道です。


             
             ※ 慈啓会口から登ってきた登山者が一息つく、馬の背分岐点です。

 馬の背を過ぎると、T6分岐に向かってかなり急傾斜の登り返しがある。その登り口のところにたくさんのカツラの木の枯葉が散っていた。すると、辺りにはなんとも言えない甘い香りが広がっていて、秋を感じさせてくれた。

             
             ※ ちょっ紅が混じった葉を見つけました。ツタウルシかな?それともツルアジサイ?

 旭山記念公園コースは、藻岩山の五つのコースの中で最も上り下りが入り混じっているコースではないかと思われる。何度も上り下りを繰り返しながら登山口を目ざした。
 途中、このコース唯一の札幌市街を望めるポイントで一枚パチリとシャッターを切った。山頂から1時間5分かかり、10時ちょうどに「旭山記念公園コースの登山口」に着いた。
 ここでも私は10分間の休憩を取り、私の好物である高橋製菓の「ビタミン カステーラ」を頬張った。

             
             ※ 山頂以外ではこれほど札幌市街を見渡せるポイントは他にないはずです。
 
             
             ※ 紅はなくとも、黄葉もなかなか鮮やかです。

             
             ※ 旭山記念公園コースの登山口です。

 そして旭山記念公園の駐車場に出たとき、なあ~んと今まで見てきた藻岩山山中の紅葉の中で最も鮮やかな紅葉が駐車場内で見かけたのにはちょっとビックリ、そしてちょっとガッカリもした。これは考えてみると、鮮やかに紅葉する樹を特に人の目が集中する公園の駐車場に移植した,ということなのかもしれない。これってうがちすぎかな?

             
             ※ これほど鮮やかな紅葉を駐車場で見るとは…。できれば山中で見たかった。
                          

 そこから車道を20分歩き、「慈啓会コース登山口」に着いた。
 慈啓会登山口の駐車場は大変なことになっていた。駐車場はおろか、周辺の道路は登山をする人たちの車で埋め尽くされていた。近年の登山ブームを象徴する光景でもあるが、近隣住民には迷惑なことだとも思われる。何らかの対策が必要なような気がする。
 実は、拙ブログにおいても一昨年の7月に投稿した「藻岩山(慈啓会コース)」という投稿が未だに毎日アクセス数がベストスリーに入るほどの人気なのだ。

             
        ※ 慈啓会口の駐車の様子です。実は写真の右手に20台程度駐車できるところがあるのですが、そこも満杯でした。


             
             ※ 慈啓会コースの登山口です。

 さあ、この日2度目の登山である。気合を入れ直し10時30分、「慈啓会コース登山口」をスタートした。まだそれほどの疲れも感じなく、体も動いていた。
 予想どおり大変な登山客である。これから登る人、下山してきた人が、ひっきりなしに行き交う状態である。そんな中、私は知らず知らずのうちにペースを上げていたのかもしれない。人が周りにいることでペースを乱してしまう私はまだまだ修行が足りないということなのかもしれない。馬の背までの急斜面ではかなり体の疲れを感じ始めていた。
 それでもなんとか登山口から40分後の11時10分に馬の背分岐に到達した。
 そして、ここから私の悪戦苦闘が始まった。(そのあたりは明日の後編で)

             
             ※ これは混雑ぶりを象徴する写真ではありせんが、つづら折りのところを登る登山者です。

             
             ※ 慈啓会コースを登山中に見かけた黄葉の様子です。

             
             ※ この日二度目の馬の背分岐点ですが、やはり多くの人が一休みしていました。

東京2020と北海道の活性化

2015-10-18 21:45:20 | 講演・講義・フォーラム等
 ちょっと堅いタイトルになってしまったが、東京五輪開催による北海道への波及効果について、私は限定的とみるがどうなのだろうか?それより、パネルディスカッションにおける新潟県三条市長の提言を興味深く聴いた私だった。 

 昨日に続き、10月14日(水)の午後開催された「スポーツによる北海道の活性化を考える」シンポジウムについてレポートする。
 有賀氏の基調講演の後、パネルディスカッションに移った。テーマは特に示されなかったので、シンポジウムのタイトルがそのままテーマと解した。
 シンポジストとして登壇したのは、次の4名だった。
 ニッセイ基礎研究所の吉本光宏氏、(株)ジェーテービーの山下真輝氏、新潟県三条市長の国定勇人氏、そして基調講演をした有賀勝氏の4名だった。

     

 有賀氏を除く3名の方々は、それぞれの立場から東京2020と関連した地域活性化についての提言があった。
 吉元氏は文化関係の政策提言などに関わっておられる方で、東京2020もスポーツの祭典だけという見方をするのではなく、この機会をとらえてカルチュアル・オリンピアードを目ざすべきと提言された。実際にロンドン五輪に際しても「ロンドン2012フェスティバル」と称する文化芸術プログラムが6/21~9/? までの長期にわたって開催されたそうだ。
 吉元氏は2020以降においてスポーツ・文化・教育を通じた新たな成熟社会を目ざすべきだ、と提言した。

                    

 山下氏は観光業の立場から、スポーツと観光の融合について論じた。日本をスポーツツーリズムの目的地とするためには、観るスポーツ、するスポーツ、支えるスポーツ、とあらゆる観点からその可能性を探るべきとした。ハード整備だけではなく、人が集まる仕組みをいかに構築するか。例えば、今注目されている「里山体験」など、日本の良さを発信したいものだ、とした。

                    

 興味深く、私が最も共感できたのが三条市長の国定氏の提言だった。国定氏は43歳と若いにもかかわらず、現在三条市長三期目という気鋭の行政執行者のようだ。
 国定氏は「地域活性化推進首長連合」(正式には2020年東京オリンピック・パラリンピックを活用した地域活性化推進首長連合)の会長という立場からお話された。
 国定氏は主張する。五輪開催国に決定し、日本は長期にわたって海外からの観光客需要(インバウンド需要)が喚起される状況にある。その時、各自治体がそれぞれ観光客誘致を図るよりは、自治体が結束して誘致策などを講じるべきでないか、という。彼が言うには、連合に機能として、①情報発信機能、②戦略的海外セールスの調整機能、を持たせるという。現在連合には全国348自治体が参加しているというが、大きな数字ではないだろうか。(北海道は11自治体)
 国定氏の主張には、一応2020年の東京五輪を契機とした連合としているが、氏の中では五輪を抜きにしても地域活性化政策として推進していきたい思いを滲ませた。
 氏はさらに言った。市町村それぞれでは、自ら魅力を発信・提示する力に限界がある。首長連合は、市町村の宝(コンテンツ)と提案力・実行力のある企業とのマッチングをしていきたい、と語った。
 現在348自治体が参加表明をしているということから、その有効性にも期待をかけたいところである。けっして大きな都市の市長ではない国定氏だが、氏の行動力と突破力によって地域の活性化が推進されることを期待したい。

                    

 最後に、リード文で触れたことだが、東京オリンピックに関わって北海道における合宿誘致はどれくらい実現するだろうか?私は「限定的」という表現をしたのは、地の利の無さである。これまで実績のあるところはある程度実現するかもしれないが、東京からの距離を海外チームがどう見るかである。
 夏の五輪という中、本番まで暑さを避けたいと考えるチームが多数出てくることを期待したいものである。

 一般人は別として、関係者にとってオリンピック狂騒曲は始まっている?


 ※ 私は今、疲労困憊状態である。というのも、私にとって宿題だった「藻岩山全コースひと筆書き縦走」を本日なんとか完登することができた。藻岩山とはいえ、三度も登るコースは私にとってはタフだった。明日からそのレポを綴りたいと思っている。

スポーツレガシーとは?

2015-10-17 22:52:07 | 講演・講義・フォーラム等
 スポーツレガシー…、直訳すればスポーツの遺産ということになる。2020年に東京オリンピックには、単に東京だけが関わるのではなく、この機会に地方(北海道)も積極的に関わって地域の活性化を考えるというシンポジウムだった。私にとって興味深いところがあったので、二日間にわたってレポートしてみたい。 

 シンポジウムは北海道新聞社が主催し、「スポーツによる北海道の活性化を考える」と題して、10月14日(水)午後、ホテルポールスター札幌で開催され、参加してきた。
 シンポジウムは、第一部基調講演、第二部パネルディスカッションの二部構成だった。

               
          ※ 東京2020ではすっかり話題となってしまった、オリンピックエンブレムのロンドンバージョンです。

 基調講演は、(株)電通スポーツ局の有賀勝氏が「地方におけるスポーツレガシー構築戦略 ~2012年ロンドン大会における英国自治体の合宿誘致取り組み事例から~ 」と題して話された。
 講演の中で、有賀氏はオリンピックの自国開催の際に、開催地以外の地域が関われることとして①聖火リレー、②文化・教育プログラム、③合宿誘致、があるとした。
 その中でも、有賀氏は③の合宿誘致にフォーカスして英国五輪の例を紹介した。
 たくさんの例を紹介していただいたが、ここではイギリス中央部に位置する工業都市バーミンガムの例について紹介する。

            
       ※ こちらは米国チームの合宿競技場となっ可能性の高いバーミンガムのアレキサンダースタジアムです。

 バーミンガムは合宿誘致にあたり、World Class Sporting Cityをスローガンとして誘致活動を進めた。誘致にあたって、特に「陸上」チームの誘致に的を絞ったという。そして、陸上強国のジャマイカと米国の誘致を進めたそうだ。その結果、両国チームとも招聘することができ、「地球最速のチームがバーミンガムを選んだ!」と世界に発信したそうだ。そのことによるPR効果は38億円だったと関係者は弾き出したそうだ。
 合宿誘致と観光施策と連動することによる経済効果は相当あったという。
 こうしてバーミンガムはスポーツ都市としてワンランクアップの評価を得たそうだ。

 有賀氏は合宿誘致のさまざまな例を挙げた後、そのことで地域の遺したもの(レガシー)について整理した。それは、
 ① 合宿した国との絆
 ② 地元への自信、誇りの向上
 ③ 市民のスポーツに対する意識の変化(スポーツ行事の参加率の向上)
 ④ スポーツインフラの充実
 ⑤ 国際大会の招聘等
 ⑥ 世界へのPR
 ⑦ 観光・経済への波及効果
とした。

           
           ※ ロンドン五輪でのジャマイカチームの活躍はご記憶のとおりです。

 私は有賀氏のお話を聴きながら、2002FIFAワールドカップ日韓大会における大分県中津江村(現在は日田市)とカメルーンサッカーチームのことを思い出していた。カメルーンチームの合宿地となったことから中津江村がメディアの注目を浴び、何度も登場し、村民とサッカーチームとの交流の様子が伝えられた。
 交流は大会後も両者の間で続いたという。これこそスポーツレガシーそのもののような気がする。

 有賀氏は、ただ単にオリンピックの合宿誘致を図るのではなく、その後に何を地域に遺すのか、そのことを意識した誘致を進めてほしい、と締め括った。
 実は、私にとって興味深かったのは、その後のパネルディスカッションだった。その様子をレポートしていると長くなるので、改めて明日レポートすることにする。

映画 142 地球交響曲 第八番 後編

2015-10-16 17:43:16 | 映画観賞・感想

 「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」第八番は、樹には精霊が秘んでいるとの言い伝えを監督・龍村仁が汲み取り、「樹の精霊」に働きかける三名の方々を登場させ、「樹の精霊」が発する声に耳を傾けてみようと訴えかけている。

          

 映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の制作を続ける監督・龍村仁は、第八番の制作にあたって、次のようにコンセプトを語っている。

 太陽系第3惑星、地球に初めて生命が誕生して以来38億年、生命は何度も宇宙的規模の大災害に遭遇し、大絶滅の危機に瀕しながら、その都度奇跡のように甦り、新たなる進化を遂げて、私達人類は今、ここにいます。
 宇宙は、自らが生んだ生命を“可能な限り永く生かせ続けたい”、という意志を持っている様にさえ思えます。この“宇宙の意志(Universal mind)”を地球上に体現しているのが樹です。
 樹は何億年にも渡って地球の大気中の酸素濃度を21%という数値に保ち続け(ガイア理論)絶滅と進化を繰り返してきた多様な生命を生かし続けてくれたのです。世界中の全ての文化の中に、樹齢数百年の老大樹の中には、精霊が秘んでいるという言い伝えがあります。「樹の精霊」とは、「宇宙の意志」の顕われなのかも知れません。
 私達日本人の身体(からだ)の中には遥か縄文の昔から1万年近くに渡って聴き続けて来た樹の精霊の歌声が、かすかな残響波となって今も響き続けています。世界の人々が称賛する日本の伝統文化の美は樹の精霊との出会いに依って育まれ、洗練されて来た、と言えるでしょう。
 東日本大震災から3年、人智を遥かに超えた宇宙的な力に依ってもたらされた崩壊と苦難から立ち直り、真の復活を遂げる為に、私達日本人は今、何に気付き、何をなさなければならないのか!
 「樹の精霊の声、すなわち宇宙の声を聴く力を甦えらせなければならない」
と気付いた日本人達がいます。
 地球交響曲「第八番」では、この人々の想いと活動を世界に向かって発信します。地球の未来の全ての生命が健やかに、末永く生き続けることを願って…。
 

 龍村が語るコンセプトに、私が全面的に傾倒しているということではない。龍村の思考は宇宙的に拡がりをみせながらも、日本は、日本人は特別だ、と言っているように聴こえてならないのだ。そうした想いを世界に向かって発信するとしているが、果たして世界はそのことを理解してくれるだろうか?
 実は龍村の映画に通底しているのは神道への傾斜である。(といっても私は八本のうち三本しか観ていないのだが)神道がダメだと言っているのではない。果たしてそうした想いが世界で通用するのだろうか、という疑問である。
 とは言いながら、私は「地球交響曲」という映画に魅かれるのである。

          

 龍村は、この第八番において「樹の精霊」に働きかける三名の方を登場させた。
 それは、「樹の精霊に出会う」と題して、能面「阿古父尉(あこぶじょう)」を復活させた能面打の見市泰男氏とそれに関わった人たち。

          

 次に、「樹の精霊の声を聴く」と題して、東日本大震災で破壊された民家の木材を活用してヴァイオリンとして蘇生させた世界的ヴァイオリン製作者の中澤宗幸氏と彼の妻でヴァイオリニストの中澤きみ子氏。

          

 そして、「心に樹を植える」と題して、大震災前から豊かな海を取り戻すために漁民による広葉樹の植林活動「森は海の恋人」運動を続け、震災にあっても逞しく起ち上がったカキ養殖業者の畠山重篤氏とその息子・信氏。

 実は「阿古父尉」の復活の物語の背景としても、大震災と同じ2013年9月の紀伊半島大豪雨災害で、能面「阿古父尉」が眠る奈良県吉野の山奥にある天河大辯財天社は大被害を受けていた。
 ということから、今回の三つのストーリーには大災害から復活する礎として、そこには「樹の精霊」が秘んでいる、ということを龍村は言いたかったと理解した。
 樹の生命力、それは屋久島の縄文杉を筆頭として、日本各地にたくさんのストーリーが伝えられている。確かに大木、老木を目の前にした時、私たちはある種荘厳な気持ちにさせられるのも事実である。龍村の言いたいことを少しは分かったような気がしたのだが…。

          

 制作・監督の龍村仁氏は当年確か75歳のはずである。旺盛な制作欲でこれまで八作を世に出してきた。果たして「地球交響曲」第九番はあるのだろうか?


映画 142 地球交響曲 第八番 前編

2015-10-15 22:14:48 | 映画観賞・感想

 「地球(ガイア)の声が、聞こえますか」をコンセプトとする映画「地球交響曲」の第八番が完成した。私が得た情報の中では恵庭市で有志が開いた上映会が最初だったので、10月11日(日)恵庭市まで出かけて観賞した。 

               

 地球交響曲第七番が制作・公開されてから5年、第八番が完成・公開された、というニュースを耳にした。私にとって待望の第八番の完成だった。というのも、この「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」のことを初めて知り、2009年11月に観た「地球交響曲 第五番」だった。「こんなに地球を敬い、地球を美しく撮った映画があったのか!」と非常に興奮し、感動したことを昨日のように憶えている。
地球交響曲 ~ガイア シンフォニー」~ Part Ⅰ  Part Ⅱ  Part Ⅲ  Part Ⅳ )

 その感動を再びと、翌年に恵庭市で行われた第七番の上映会ら参加したのだが、期待が大き過ぎたきらいがあったようだ。第五番のときのような感動は受けなかったが、画面(地球)の美しさだけは印象に残った。そして今回、第八番である。

 「地球交響曲」とは? 制作・監督した龍村仁氏は次のように語る。

 かつて人が、花や樹や鳥たちと 本当に話ができた時代がありました。
 その頃、人は、自分たちの命が 宇宙の大きな命の一部分であるあることを誰もが知っていました。
 太陽を敬い月を崇め風に問ね(たずね)火に祈り水に癒され、土と共に笑うことが本当にいきいきとできたのです。
 ところが最近の科学技術のめまぐるしい進歩と共に、人は、いつの間にか「自分が地球の主人であり、自然は自分たちのために利用するもの」と考えるようになってきました。
 その頃から人は花や樹や鳥たちと話す言葉を急速に忘れはじめたのです。
 人はこのまま自然と語り合う言葉を永遠に忘れてしまうのでしょうか。
 それとも科学の進歩と調和しながら、もう一度、その言葉を思い出すことができるのでしょうか。


 この言葉は、おそらく「地球交響曲」第一番を制作した1992年の公開時に龍村が発した言葉だと思われる。龍村はこのコンセプトからぶれることなく、第一番から第八番まで映画を制作し続けてきたということである。
 映画は基本的にドキュメンタリーの形式を取りながら、彼のメガネに適った人を各回数名登場させ、オムニバス形式で語らせるという手法の映画である。

 第八番で制作者・龍村は、宇宙が自ら生んだ生命を限りなく永く生かせ続けたいという意思を地球上で体現しているのが「樹」である、として「樹」に関わる三名の人を登場させ、「地球交響曲」を謳い上げている。
 相変わらず映し出された地球の姿は美しかった。
 「地球交響曲」第八番そのものについては、長くなりそうなので明日レポートすることにしたい。


深海魚にはまった研究者

2015-10-14 22:12:06 | 大学公開講座
 研究者の世界とは、凡人の我々には「いったい何が面白いのだろう?」となかなか理解し難いところがある。今回の講師は私には初めて聞くような深海魚を追って世界を飛び回っているという。そのように講師に思いを馳せながら講義を聴いた。 

 分野にこだわりなく、あれもこれもと、時間が許すかぎりあらゆる分野の講座に出かけている私である。自称:雑学王を目ざす(?)田舎オヤジである。
 今回は、10月10日(土)午後に開催された「北大総合博物館土曜市民セミナー」に参加した。テーマは「深海漁場開発調査で得られた魚類 ~インドネシア沖インド洋~ 」と題して、北大総合博物館の助教である河合俊郎氏が講師を務めた。

             
             ※ 講義をする河合俊郎氏です。

 まず深海の定義である。
 海面下200mまでは「浅海」と称する。それ以下を一般に「深海」とするが、そこはさらに細分化されている。200~1,000mを「中深層」、1,000~3,000mを「漸深層」、3,000~6,000mを「深海層」、それ以下を「超海層」と区分するようだ。
 現在のところ、最も深海で採取された深海魚は大西洋のプエルトリコ海溝の水深8,370mから採取されたコミノアシロという魚があるそうだ。日本では日本海溝の水深7,703mからシンカイクサウオという魚が2008年に採取された記録があるという。

             
             ※ 日本海溝で採取されたシンカイクサウオです。

 講義は、インドネシアが行った深海魚の漁場調査船に河合氏が同行した話が中心だった。ところが、船そのものの目的は漁場調査であり、河合氏たちの目的は周辺の海の深海魚について調べたり、新種を発見したりすることだったから、いろいろと行き違いもあったようだ。
 それでも相当数の深海魚を採取することができ、講義室にその時採取した深海魚の一部を持ち込まれての講義だった。

 その中から、河合氏はキホウボウという深海魚の中に、これまでの研究において学術誌掲載されていない新種らしきもの(それを未掲載種と称するそうだ)を発見したという。つまり河合氏によると、これまで発見されたどのキホウボウの仲間とも違う特徴をもったキホウボウだということだ。
 河合氏は採取したキホウボウをその特徴からイソキホウボウ属の仲間と判定したという。すると、これまでイソキホウボウの仲間は7種発見され、世界各地の博物館などに標本として保存されているという。河合氏は、自ら発見されたイソキホウボウが、これまで発見されたものと違うことを確認するために、ヨーロッパ、米国、豪州の博物館を訪ね歩き、確認を行ったという。
 河合氏によると、その結果新しい未掲載の種であることが確認されたということだ。氏は明言されなかったが、おそらく近い将来、河合氏の名と共に新種として学術誌に掲載されるのではないだろうか?

             
             ※ 河合氏が新種のイソキホウボウとした魚の標本です。体色が後退しているかもしれません。

        
        ※ 一方、ウェブ上で見つけたイソキホウボウの仲間です。河合氏のに比べ、色が鮮やかです。

             
 さて、私の最初の問いである。「いったい何が面白いのだろう?」ということに関してだが、結局のところ研究者は(特に理系の研究者は)未知のことを解明すること自体に価値を求めているのだろう、という極めて陳腐な回答に辿り着いた私だった。
 河合氏は見たところまだまだ若い研究者だったが、あの得体のしれないような深海魚を採取することに大きな悦びもっているようにも見えた。明るく楽しそうに深海魚の世界を語る河合氏の今後の研究の成果を期待したい。(あれっ?凡人が偉そうなことを言ったかな?)

            
    ※ 講義室にはたくさんの深海魚の標本がも持ち込まれました。そのうちの一つ「ザラガレイ」です。これだと食べられそうですね。

※ 今回の投稿の内容はあくまで私が講義を聴いて理解し、記録したものを文章化したものであり、あるいは河合氏が述べたことと違いがある場合もあることをお断りしておきます。

亘理伊達家のお殿様から話を聴く

2015-10-13 23:51:21 | 講演・講義・フォーラム等
 えっ?今どきお殿様!? そう!世が世であればお殿様と呼ばれたかもしれない亘理伊達家の直系20代目当主で、伊達市噴火湾文化研究所の学芸員・伊達元成氏から伊達市誕生の秘話を聴いた。 

 連続受講している「かでる講座」の10月講座が、10月9日(金)午後、かでる2・7で開催された。
 第7回目の今回は「伊達市を作った人々 ~亘理伊達家中とはなに者か?~」と題して、伊達市噴火湾文化研究所の伊達元成学芸員が講師を務めた。

            

 亘理伊達家は、仙台藩伊達正宗の重臣であった伊達成実が亘理の地に亘理城を築き、初代当主となったのが始まりとされる。
 その後、仙台藩は戊辰戦争において薩長軍と相対し、朝敵となってしまった。そのため亘理の地を没収されることになってしまった。そのため15代当主伊達邦成は新天地を求め北海道に渡ることにしたのが伊達市の始まりとされる。

 その邦成から5代継いで第20代当主となったのが講師の伊達元成氏である。気付いた方がいるかもしれないが、亘理伊達家では直系子孫は全て「成」という字を用いているという。

 さて、北海道開拓にあたった多くの旧士族の中で、亘理伊達家の場合は最も成功した例と言われているそうだ。それは当主の邦成が優秀なうえ、家臣に慕われる存在だったことと、邦成に仕えた家臣の田村顕允の存在が大きかったようだ。
 そうした邦成と顕允は、移住にあたって次のような方針を立てたそうだ。
 (1) 移住計画を実行し、北海道開拓を成功させ、朝敵の汚名を返上する。
 (2) 政府の北海道開拓の方針が北方警備が理由であれば、帯刀が許されるはずである。
 (3) 武士としての活路を見いだせる。

                  

 そして亘理伊達家は明治3年に第一期移住を行った。その際、邦成は以下のようなことを取り決め移住の準備をしたそうだ。
 (1) 移住人員は男女250人と定め、戸数は60戸を標準とする。
 (2) 単身移住を許さず、戸主は夫婦連帯とする。
 (3) 人員のうち、木挽き、桶屋、鍛冶屋および漁師を引き連れること。
 (4) 士族は身分を一級進め、卒は士に進めて奨励すること。
 (5) 半年分の米を準備すること。
などを指示したそうだが、これが効果的だったという。特に単身移住を許さなかったことは移住を成功させた鍵だったという。

 そして亘理伊達家は先住民族アイヌとの関係でも良い関係を築いたようだ。今に遺された「第1回移住の図」には、移住者の上陸を手伝うアイヌの人たちの姿が描かれている。
 伊達市開拓の歴史の中で特筆されるのは、北海道の地に適した甜菜(ビート)を栽培し、明治13年に製糖所を設立し、明治20年には紋龞(もんべつ)製糖会社を設立したことだろう。

            

 このようにして、亘理伊達家は現在の伊達の地において北海道開拓に成功したのだった。
 明治18年には士族として復籍を果たし、西南戦争にも政府軍として参戦し、家臣たちはさらに札幌・琴似地区に再移住する人たちも出てきたという。
 その裏では、当主の亘理伊達家は移住を成功させるために家宝を売却したり、借財をするなどして経済を支えたという。
 その借財を完全返済したのはごく最近だったと講師の伊達元成氏は明かした。

 世が世であれば、元成氏は殿様と呼ばれる存在だったのかもしれない。そんな雰囲気をどこかに感じさせてくれるような伊達元成氏だった。

おめでとうジャパン! 残念ファイターズ

2015-10-12 20:20:24 | スポーツ & スポーツ観戦
 エディ-ジャパン、WCラグビー予選3勝おめでとう! 日本ハムファイターズ、惜しくもCSシリーズファイナル進出ならず残念! 今日、12日はTVの前でのスポーツ観戦に終始した一日だった。 

 今日10月12日は「体育の日」である。(我々10月10日に慣れ親しんだ者には若干違和感があるのだが…)当初、登山をと思っていたのだが、雨天が予想されたためにTVでのスポーツ観戦に切り替えた。

 朝、4時である。遠くイングラドで行われているWCラグビーの日本の予選第4試合、対アメリカ戦がTV中継された。すでに予選敗退が決まっていたエディ-ジャパンだったが、ジャパンフィフテーンはそんなガッカリ感をおくびにも見せず「ジャパンウェイ」ラグビーをキングホルムススタジアムでも存分に発揮し、アメリカを28対18で粉砕した。
 予選全試合を終えて3勝1敗、大会レギュレーションにより予選敗退となってしまったが、これまでの日本ラグビーの実績からすると、もう十分すぎる今大会での活躍だった。

            

 五郎丸選手に脚光が浴びるエディ-ジャパンだが…。もちろん五郎丸選手の素晴らしいパフォーマンスは躍進日本を象徴していたと思う。
 しかし、私が注目したのはリーチ・マイケル主将の存在である。倒されても、倒されても前進しようと縁の下の力持ち的役割を黙々とこなす彼の姿にこそ「ジャパンウェイ」の真の姿を見た思いがした。
 マイケル選手はニュージーランド出身だが、高校入学から日本にやって来て、札幌山の手高校、東海大学、そして東芝と、いわば日本で育ったラグビー選手だ。その彼がエディージャパンの主将としてチームを牽引したのだ。彼の姿に触発された日本人選手が相当にいたのではと想像される。
 厳つい容貌の彼が、インタビューで日本語がまだ不自由なところがあって(いや、彼は十分に日本語を話せるのだが、やはり細かなニュアンスはまだ難しいようだ)インタビュアーに「すみません」と言いながら話す姿にとても好感を覚えた。

                  

 今WCで世界に衝撃を与えたジャパンだが、ここまでチームを育てたエディー・ジョーンズHCは大会後日本チームを離れるという。来る2019年のWCラグビー日本大会に向けて、ここまで築いてきた日本ラグビーをいかに継続・発展させていくことができるか、日本協会のリーダーシップが試される。それを俄かファンとしては見守りたいと思う。

            
         ※ 日本の新鋭、広瀬選手がトライをあげたシーンでも、マイケル選手がしっかりサポートしていた。

 続いて大学駅伝出雲大会もTV観戦した。今春の箱根駅伝で圧勝した青山学院大学が実力通りの快走を見せて、まずは三大大会の一冠を制した。青山学院大学は、この後の全日本大学駅伝、箱根駅伝の三冠を狙っているという。注目したい。
(その間に、北海道秋季高校野球の決勝戦の中継もあったのだが、こちらは観戦までいたらず結果だけを知るにとどまった)

               
               
 そして駅伝の中継とかぶる形で、パリーグCSシリーズ第一ステージの日本ハム対ロッテ戦を観戦した。
 ハラハラドキドキするような接戦となった第三戦だが、結局1対2という僅差でロッテが勝ち、ファイナルステージへの進出を決め、日本ハムは終戦となった。
 僅か三戦で勝敗を決めるという決戦では、一つの見込み違いが全体の行方を左右してしまう。そういう観点でいえば、残念ながら今CSは大谷選手の誤算に尽きてしまうだろう。

            

 今シーズン、チームのエースに成長した大谷投手だったが、後半は明らかに調子を落としていたようだ。第一戦であれほど打ち込まれる大谷投手を信じられない思いで見ていた日ハムファンが多かったのではないか?
 そして、本日である。1対2の劣勢で迎えた8回裏の攻撃、一死一三塁というチャンスに代打で大谷選手が登場した。ヒットが出なくても外飛など犠打でも1点が取れる場面だったが、二度もワンバウンドするようなボールを空振りして三振となりチャンスを逃してしまった。
 将来のある大谷選手ではあるが、少なくとも今CSは大谷選手の誤算が招いた結果と総括するほかないのではないだろうか?
 少し厳しい言い方かもしれないが、プロとして日ハムファンの夢を砕いてしまったという責任を感じてもらい、来シーズンにはファンへ倍返しする活躍を期待したいと思う。

           

 とまあ、スポーツ噺となると、途端に饒舌になる私である。スポーツは自らプレイすることも、観戦することも、さまざまなストレスを発散させてくれる素晴らしい素材である。少なくとも私にとっては…。