モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



鮎やなの石橋からは、往還眼鏡橋を探すのに手間取りましたが、この事は初日
に興奮冷めやらぬ状態で投稿しました。

案内して頂いた方が「旧道広瀬眼鏡橋」でお別れする時に、
"真っ直ぐ行くと霊台橋だから"と教えて下さり、ちょっと迷いましたが霊台橋は
また機会があるから・・・と往還橋まで戻りました。
そこから御手洗橋が見えたというんです。(お友達)上に上がって行って探しても
ありません。ウロウロ探すのは私の役目で、友達はもう少しあっち こっち と
上の方から言います。結局見えたというのは間違いでした。上の道路に戻ると
"黒猫ヤマトの宅急便"の大きな車が来ましたので 停まっていただきというか
停めて、聞いたけど分からなく地図で調べてくれました。少し先のほうです。

ただ道路の続きで橋だと気づかないような橋でした。
下に降りると 高い橋でした。
高さ10.5m 嘉永5年(1852年)架橋154歳ですね。「御手洗橋」をご紹介します。



段々時間もなくなり、この後はどこまでいけるか分かりません。
とりあえず緑川の対岸です。大祇神社を探します。橋を渡った所の大きな道路の
"たこ焼き屋さん"で聞きました。ご存じないんです。西寒野地区・・・近いはずですが、
私の町で岡湊神社を知らない人なんかいないんだけど・・・。
たこ焼きやさんは道路沿いだから 西寒野の集落をお聞きして、少し戻りました。

後は 鳥居を見つければいいんですから・・・。
今回は参道橋ではなく神社の前の石橋です。ここも上部はコンクリートですから
覗かなければ分かりません。「大祇(ダイギ)眼鏡橋」 をご紹介します。



その少し先に 堂迫橋があります。大祇眼鏡橋も堂迫眼鏡橋もいつ頃誰が
造ったのか不詳です。「堂迫(ドウサコ)橋」をご紹介します。



最後に近くだからもう1箇所見て帰ろう・・・。
尾北の石橋です。これもいつ頃誰が造ったのか不詳です。



案内標識も色あせています。





こうして今回の石橋探訪も終わりました。
心残りもあるんですよ。甲佐の一つ目 大峯の石橋はあちこちで聞いて 郵便配達
の方を捕まえて聞いたけど最後までわからず、諦めました。
でもその微妙なタイミングが往還眼鏡橋で役所の方と会って広瀬に行けたんです。

今回も地域の皆さんに本当にお世話になりました。
「一期一会」・・・たった一度の出会いに真心を込めて接して下さった
         多くの方に感謝をこめて・・・・。



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