モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



 長陽村です。現在は南阿蘇村っていいます。
山や川に名前は書いてありません。家が無いから住居表示もありません。
山道を登りながらカーブで振り向くと 見つかる事が多いんです。
見つかりました。樹と樹のの間、私の為に撮るポイントなどありません。



 広いお心で vの間 目を凝らしてご覧下さいね。これでも明るくしたんです。
でも困った事に 名前は分かりません。参考にする写真は、川の中にロープを
伝って入ったりされるniemonさんが撮られてますから、比べようが無い。
角にカーブミラーがあったっけ。。。
消去法で消していって 残ったのが三つ 
「鶴の谷橋」 「尻無橋」 「深谷尻橋」 じゃないかと思いますが。。。。
今のところ名無し橋です。

(記事の最後に追記しておりますが 「深谷尻橋」でした。)

 次はきれいな橋です。

この橋の上から見えました。奥のほうご覧下さいね。



 濁川橋をご紹介します。



 橋があったら渡りたくなりますが、今は渡る人も無い様子で
来てくれてありがとね といわれました。(橋に)上部です。



 次の橋です。お分かりと思いますが この村の橋は親柱のある橋と違って
道路と思ってたら下がアーチ...なんですね。
これが上部 これが橋。



 カーブを曲がって振り向けば。。。。だから私はふり向いてばかりいるんです。
阿蘇南部南郷谷内から阿蘇方面へ抜ける主要な道路に架かる橋。。と
文化財保護委員会の標柱がありました。「銭瓶橋」をご紹介します。



 下に下りる手摺(左 斜めの線)から降りてみますね。
近すぎてここしか撮れませんでした。



 大正7年にかけられました。亡母より2歳年上のお姉さん橋です。
(銭を瓶に貯めるんですから 銭瓶橋は女性ってことにしました。)



 大正時代ともなると少し見た目も違いますね。
流れも美しく、きっとこの夏休み 宿題のスケッチに登場した事でしょう。

☆~☆~☆~追記☆~☆~☆

みのりさんからコメント頂き深谷尻橋と確認いたしました。
みのりさん ありがとうございました。




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