モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



旧伊藤伝右衛門邸(今は飯塚市)が1週間だけ夜間ライトアップされている。。。
昨日はお友達とあてのないドライブでしたから思いつきで行きました。

伊藤伝右衛門の妻として10年間を過ごした白蓮の部屋です。
中は撮影禁止の為、外から。2階です。
春に行った時は人が多くて石橋だけでした。今回は白蓮の部屋が目的です。



白蓮の部屋ではちょうど写真を見せて説明があっていました。
孫文を支援した宮崎滔天と孫文 宮崎龍介と白蓮と子供 など貴重なものでした。
床の間の掛け軸には白蓮の歌

おもひきや 月も流転のかげぞかし
      わがこしかたに なにをなげかむ

月の満ち欠けに自分の身の上を重ねたものでしょうか。。
好きでもない人と結婚させられて5年で別れて、またもや伝右衛門と。。。


 

白蓮の名前の説明がありました。佐々木信綱が名づけたそうです。
歌会に伊藤あき子(あきは火偏に華)の本名で、人妻なのに堂々と
激しい恋の歌を出すので 気を使って あなたは日蓮が好きというんだから
テンをつけて白蓮にしなさい。。。と言ったそうです。

その恋の歌を詠むことだけが救いだったでしょうね。。
歌のことは分かりませんが、一人の女性の数奇な運命を思うと哀れです。




でも..でも それなのに 白蓮は自分のことを 九州の 福岡の 片田舎の 
飯塚の 泥の中に咲く1輪の白い蓮の花だと言ったとか。。。
そりゃぁ 伝右衛門は家柄が欲しかったかもしれません。
でも白蓮側だって伝衛門の財力が欲しかったんでしょう あいこじゃないですか!!

郷土びいきの私はこれを聞いてコロッと気が変わりました。

 


今までは 芸術家 歌人は情熱家だから仕方がない。他にもいっぱいいるじゃん。
往き道は同行の友にそう言いました。一応、女ですから、恋愛優先、女の味方。
時代とはいえ、あまりにも悲運の彼女です。

だから白蓮贔屓でしたが なんだか伝右衛門がかわいそうになりました。
お酒も飲まなかったそうなんです。
白蓮は..といえば酒のみで立てひざでタバコを吸ったそうです。



挙句の果て、新聞紙上で公開離縁状を叩きつける...あんまりです。
ここは伊藤邸だから少しは白蓮に厳しいかも知れないけど。。。。
確かに田舎だけど 白蓮さん もう知~~らない。。。。


....でも帰るときもう1度2階を見上げました。あの部屋から月を観て
どれだけ泣いてすごしたことか。。。
波乱万丈...白蓮のためにあるような言葉ですね。
金木犀の香りがただよっていました。






今日 
70代になっても気品のある美しい彼女の写真を思い出し、やっぱり白蓮は
宮崎家に行ってよかったんだと言い聞かせました。

余談ですが中国から偉い人が来日した時は 荒尾の宮崎邸(孫文支援)と
田中真紀子さんの家の2箇所は必ず訪れる....案内人が付け加えられました。

おまけ 近くの家にありました。



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