モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



20番札所までご紹介しましたがまた ず~~っと11年前の秋にタイムスリップして下さいね。

21番札所は穴太寺 ここの観音様も秘仏で33年に1度のご開扉です。。

お寺の方と世間話をするうちに非売品だけど特別と散華を頂きました。箪笥に入れとくとおべべがたまる と仰いました。。
私はその時の作文に たまるならおべべよりゼニがいいなんて書いてます。





22番札所は総持寺です。秘仏の御本尊は大きな亀に乗っています。道路筋の高い所にありました


23番札所は勝尾寺 大阪です。御本尊は秘仏です。。写真係の妹が撮ったんですが燃えるような紅葉でした。





このときの巡礼 実はついでの方がうんとうんと楽しみでした。札所は交通の便で順番通りは行きません。
この時は この23番に行き22・20・21 と回り 21番札所の穴太寺は亀岡市です。山陰線で保津川を通り京都駅に向かいました。

ホテルに到着後、路線バスで ライトアップされた永観堂に行きました。見返り阿弥陀の特別拝観の為です。

翌日室生寺へ。。。室生寺は何度か行きましたが妹とはこの1回きり。紅葉の鎧(よろい)坂は言葉は要りません。

ポチャッとなさった十一面観音 私は十一面観音が好きなんですが、その中でも室生寺は5本の指に入ります。







さてスピードアップしないと終わりませんので翌10年春の巡礼です。。

24番札所は中山寺です。ここはとっても大きなお寺です。お寺のデパートと言う感じで境内にエスカレーターがありました。
御本尊の観音様は毎月18日には拝観できます。

25番札所は清水寺。京都とは違い兵庫県です。ここも秘仏です。お気づきと思いますが 
三十三観音巡礼のお参りに行っても殆んど御本尊の観音様にお会いすることはできません。
御前立ちと言って御本尊の厨子の前に別の観音様のあるところが多いんです。

不謹慎にも私は ほんとうにあるの? って思ったりします。。


今日は21番から25番札所までご紹介しました。



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以前から気になっていた石橋です。熊本県和水(なごみ)町。菊水西小学校の標柱と立花まで33kmの標識があります。




“niemon教科書”で調べると、アーチの風景として載っていましたが曖昧なままでは決して計上なさいません。

でも私はコンクリートの内側は石橋に違いないって思いました。


山鹿市 日輪寺の「湯町橋」をご紹介します。躑躅で有名なお寺で、この日除草作業にかかるところでした。
先に造園屋さんの車が駐車したから、車の移動をお願いすると快く応じて下さいました。除草前です。




前にもUPしたことがありますが正面だけでした。 2連アーチの真ん中部分はこうなっています。




端っこの石段を上って 手摺柵を潜り抜けました。上部です。落ち葉がいい感じ。

熊本県教育委員会の案内板がありました。抜粋します。

この橋は元来、豊前街道が吉田川を渡る山鹿口に架けられていたもので、昭和49年移設された。
元の橋の長さは17.7mであた。楔石(アーチの頂上の石)に銘文が刻まれており、文化11年(1814)に完成した。
鍋田村の石工吉兵衛らにより造られ、石は阿蘇凝灰岩を使用しており、地元の石工が地元の石材を利用して架けた橋。




もっと上から前から色々撮りました。お参りをして仏像や御神木をみたりする内に除草もほぼ終わりすっきり。。






暫く走ると上板楠神社の標識が見え 去年通った道に出ました。。。「六四郎橋」をご紹介します。

後ろの看板があまりにも無粋だから 縁をぼかしたんですが、なおさら目立つかなぁ。。






反対側です。去年 まん前の郵便局の方が知らなくって苦労しましたが何でも分かってしまえば目につきます。





急に思い立ってからでも北九州からドライブできる三つの橋をご紹介しました。。

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紛らわしい書き方をして分かり難かったと思います。長崎街道は200km以上あるので 歩くのは半分の距離の唐津街道にしました。

そして今日ご紹介するのは 唐津街道の出発点です。勤務先の近くで、上を見ると若戸大橋の下部がみえます。

洲口番所跡 市教委案内板には詳しい説明がありましたが、私が一言で言うなら海の関所です。





今回の教科書は河島悦子さんがお書きになった地図です。 電話で注文した折にご本人が代わって下さいました。
長崎街道より短いし芦屋を通るからとのアドバイスで 唐津街道に決めた次第です。。。

唐津街道は 筑前藩と唐津藩が参勤交代に使っていたものです。これも河島さんによると違ういい方もありますが何と言っても私はただのミーハーですからただただ地図の通り歩いて 私に見えたものをご紹介したいと思います。





まだ数十メートルしか歩いていません。いや十数メートルかな。。


 旧古河鉱業ビル
大正8年に建てられた煉瓦造りの建物で
多目的ホールもあります。
 石炭会館です。
以前もUPしましたが明治33年
に建てられた木造ビルです。


今までの写真で渡し場は海側(洞海湾) 他の建物は海に向かった道路沿いです。
水上署があります。悪いことはしていませんがカメラを向けられませんでした。


水上署の向い側 です。
海上保安庁の船です。
海をパトロールしてるんですね。
 ごんぞ部屋です。
石炭産業を支えた沖仲士 陸仲士
をごんぞうと言ったそうです。


筑豊地区を歩くと石炭産業の隆盛時代の名残をあちこちで見かけます。

 ごんぞ部屋の隣です。
足もとまで波しぶきが。。
 厳島神社です。
ごんぞ部屋の向い側です。




記念すべき第一歩 歩いたのは7月3日 朝 出勤途中です。。。
歩いた距離は200mくらいかな。。。ウフフ 唐津にたどりつくでしょうか。。


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おやつを作ることにしました。“豆乳花”という豆乳味のフワフワプリンみたいなものです。(ならやまさんイワク)

レシピはブログ友 ☆ ならやまさん です。。私は料理は下手ですがお菓子作りはマァマァです。レシピに忠実だからです。

それなのに失敗――。大雑把なくせに几帳面で寒天1/6を定規で測ったのが間違いの元です。
何の為に測ったかを忘れ、包丁で6個切り分けて、全部水につけました。まあいいや豆乳羹に変更しよう。。







上の写真 6個できました。黒砂糖は買わなかったから 左、梅シロップ 右 メープルシロップ
写真用に二つに分けたけど 両方頂きました。 ―・―・―・―・―・―・。


翌日、残り5個と1/4です。黄粉はどうかな。。原料は同じだから。。これは黄粉が美味しかったです。



これから後はブログネタとして・・・です。。。豆腐と思うことにしました。(おやつ用としてはイマイチ!)





写真は使用途中で撮ったけど 4個と1/2残っていました。梅味噌はどうかなぁ。。。食べられない事はない。。。


残り4個です。意地を張らずに豆腐と思って サラダに。。。 これは胡麻ドレッシングで胡麻豆腐のようでした。。







上の写真 残りは3個です。こうなったら 冷ややっこに。。不思議なことに おやつと思って食べると甘くないのに おかずだと甘くて似合わない。


残り2個  だったら甘くてもいい田楽にしよう。。美味しい味噌がある。馬鹿でした。溶けました。液状です。



もともと熱しているのに。。。時間が長すぎたんだ。。。最後の1個でやり直しました。
今度は時間が短くていいようにまずレンジで30秒 小さく切って田楽味噌。。。


途中でやっと気づきました。。。確かに熱して作るけど熱い時は液体で、冷まして固体だ。。加熱中止、間に合いました。




結論 どんなに豆腐に似てたって 豆腐じゃありませんでした。。


買った棒寒天は2本入りで1本残っています。。さぁ、、、何を作ろうかな。。



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立場(たてば)茶屋“銀杏屋”は長崎街道の最初の宿場 黒崎宿から次の宿 木屋瀬宿の間にあります。

宿場ではなく休憩所で、清水家個人所有のものを市が譲り受け一旦解体して復元したそうです。






銀杏屋の名前の由来は、この大きな銀杏の木にあります。 写真の色の違うところは焼けた部分です。

“中央の枯れた幹は天保7年(1836)の火災で生じたものです。火災後に辛うじて残った根株から芽が出て
現在の4幹立ちの大木に成長、樹齢は300年から350年と推定 幹回り4,3m 樹高16,3m 市教育委員会案内板より”

灯籠が真っ直ぐでないから聞きました。 磁石になっていて ○の方角が東  □が 北を指しているそうです。








表通りから移設された門井戸です。



上段の間です。
大名とか長崎奉行の役人の部屋。
普通の家では造る事が許されません。
中の間です。右上が上段の間です。
上段の撮り方が悪かったんですが
段差がわかるでしょうか。



二階に上がる階段
ワクワクしました。
土天井
隠し部屋だねー。


土天井は竹の上に藁を置きその上に厚さ3cmほどの土を塗ったと書いてありました。
土天井の写真はちょうど 上段の間の真上に当たります。土が残っています。隠し部屋のようでしょう?


トイレは? お願いして見せて貰いましたよ。台所には“おくどさん”があり、食器とかあります。
通り抜けていいですか?と聞いて中庭に出ました。トイレの外側です。
そしたらトイレから落としたその先が気になるじゃないですか。 好奇心旺盛で興味津々です。

戸をはずして見せて下さいました。すごい。。おばさん二人楽しくって楽しくって。。。“かわや”って言ったのかな





係の方も貸し切りですからゆっくり案内して下さいました。。お茶もよばれました。。
 

表だけ見て帰る方が多いそうです。これを読んで行かれる方、駐車場はあります。時間をゆっくりとって下さいね。

そうだ。。。七夕祭りがあるそうです。そうめん流しをするそうですよ。。

入場無料 とっても楽しい立場茶屋は ☆ここです。



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起点常盤橋を以前UPしていますが、そこから八幡東区を通り、最初の宿場は八幡西区の黒崎宿です。

黒崎と言えば「井筒屋」っていうほど、昔はこの辺でただ1軒のデパートがあり、私にとって“都会”でした。

鹿児島本線 黒崎駅から歩ける距離、曲里の 国道200号線より1本裏通りに松並木が残っています。。




ここは車は通れませんが横に松並木に沿って道路があります。





その道路と国道との間に ジョイフルがあります。。江戸時代こんなお店想像しませんよね。。

もしもあったら・・・・想像すると楽しくなります。 武士の懐にドリンクサービス券が。。





妹と一緒でしたから 宇治金時を食べました。。 最初は嬉しくてご機嫌でしたが(私)量が多すぎて食べきれません。
段々テンションが下がり、妹から笑われました。結局二人とも完食できませんでした。





私は常々 凝り性でございます と認めています。。。実は健康のためウオーキングをと思うけど意志が弱く出来ません。。

でもワクワクすることがあったらできると思う。大それたことを思いつきました。

長崎街道を実際に歩いてみようと思っています。57里(約223.8km)です。

1日10kmで23回。。1か月2回で1年でしょ。。地図も買いました。





でもちょっと長いから 唐津街道にしようかな。。。唐津って行ったことがないし。。。




今年も半分過ぎ、今日から7月です。。。 梅雨時 体調もすぐれないかもしれません。元気に乗り切りましょう。

雨の蓮池  うちからは5分くらいのところです。






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