モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



捨てることができずに 今日も花巻の記事を更新しています。 お忙しい方 どうぞスルーしてください。 コメント欄は閉じています。

 

31 賢治ゆかりの梨の木 がありました。道路沿いです。

 

 

 

電車が見えて 古い建物が見えたから 岩手軽便鉄道かと思ったら 違いました。 温泉電車

花巻電鉄 デハ3 の電車 通称 馬面電車

 

 

全長10.054m  高さ3.085m  幅1.55m  

 

幅が狭くホントに馬面ですね。 花巻から温泉に湯治客が お布団を持って行ったりしていたそうです。

 

この私の好きな ドールハウスのような建物 総檜造り 花巻市誕生の時 市議会議事堂だったそうです。

 

現在は 市民の家 です。

 

32 宮沢賢治のお話しには よく りんごが出ますね。 銀河鉄道の夜 でも出ます。 漢字で苹果って書いてありますが・・

 

下に白いのが敷いてあるのは 日光を反射させるためだそうです。 小さいのがあったから聞いたら矮果・・・あまり大きくならないようにしてるそうです。

 

 早池峰山(はやちね) これもよく出てきますが この2枚の写真 どこかにあると思うんです。 

 

 

33 早池峰山・・・私は、この奥の一番高いのじゃないかと思ってますが定かではありません。 

 

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 北海道と沖縄・・・・テレビで繰り返し スーパームーンの見える場所を放送  でも 昨日 68年ぶりのスーパームーン 美しく輝いていました。 わが町で・・・・

 

文化センターの詩碑を見ていたら・・・・ ぎんどろの葉っぱ って聞こえました。 私はぎんどろ公園をリストアップしていたけど 植物って知りませんでした。

ぎんどろって? と聞いたら 2人の少年が教えてくれました。 「これがぎんどろです」 「裏返したら白いんです」 「水につけたら銀色になります」 って。。

 

「この樹です」 敬語ですよ~ ぎんどろの樹 そうなんだ~ ありがとうね。 お手洗いはどんぐりでした。

すーーっと居なくなり・・まるで私に知らせるために この子達が現れたような気がしました。。

俗にドロノキと言われたウラジロハコヤナギの木を賢治が ギンドロ と名付けたのは葉裏の白い輝きからです。(ゆかりの地ガイドブックより)

 

文化センター     ウフフ 誰か寝てます。  29 ぎんどろ公園です。

 

 

早春 という詩です。 選文と碑石の設計を 高村光太郎が指導し、 文字は賢治の肉筆を・・・・だそうです。

 

風の又三郎の 群像がありました。 どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱい くわりんもふきとばせ どっどど どどうど どどうど どどう

私 一人旅 1枚も写真はないから 詩碑に映った影も残しました。

 

私の宝物 風の又三郎 初版  定価貮圓 って書いてあります。 解説は坪田譲治

 ウフフ もちろん復刻版です。。

 

ここぎんどろ公園は花巻農学校の跡地 ここで大失敗  この 花巻農学校の跡 の石碑の上に碑文が写ってない・・・

 生徒諸君に寄せる

この四ヶ年がわたくしにとってどんなに楽しかったか わたくしは毎日を鳥のやうに教室でうたってくらした 誓って云ふがわたくしはこの仕事で疲れをおぼえたことはない

(涙なしには読めません)

 

同じ場所ですが・・・30 花巻農学校跡です。 先にご紹介した稗貫農学校(現在、総合花巻病院内)からここに移転しています(花巻農学校)

 

 

ぎんどろ公園と花巻農学校跡の石碑から入ると左手三角形のところが職員室だったそうです。 石碑は 嘗って この地に 花巻農学校ありき です。

 

桜の樹には賢治先生も絶賛した桜 の案内板 右はこぶし モクレン科 マグノリア と書いてあります。

その横に 童話マグノリアの木 からとって書いてあります。 

 

 

全集で5ページしかない童話です。 4ページ目 これからとって天の鳩 と書いてあります。

全集は持ってますが 読んだのは旅行から帰ってからです。

 

タクシーの運転士さんが 方言で読んでくれました。 私はぐぐぐーっと胸にあふれそうになりました。 【春と修羅】 から・

 

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事前のチェックで リストに加えていました。  26 宮沢賢治産湯の井戸です。

 

 

 

門に案内板があります。 明治29年(1896)8月27日 花巻町の母の実家で生まれました。

 

公開中ではありませんでしたが お願いして説明していただきました。 触っていいですよと言われ 鶴瓶と 水に手をつけました。

 

  

 

大きな蔵があります。右手に 石の蔵

 

 

左手に白壁の蔵があります。 壁の厚さ みえますか? 扉と窓のところ・・ 粉類や 専売の塩を商うお店だったそうです。。

 

今も道路を挟んで 宮澤商店はありました。

 

産湯の井戸は 賢治の母親 27 イチの実家 ここで賢治は産まれました。 父方も 母方も 苗字は宮澤家です。 ここで頂いたんですが裏が透けて観難いですね。

 

裏門の内側に 小さな池 がありました。 地下水だそうです。(豊沢川と聞いたような気がしますが定かではありません。)

 

若い時の賢治さん わかりますか? と聞かれました。 若くして亡くなってますがもっともっと若い時 大きかったら分かりますよ。 真ん中の列 右から3番目 

 

右側です。 変わってないですよね。 隣の方もよく似ていらっしゃいます。

 

産湯の後は・・・・身照寺 にお墓参りに行きました。 (よそ様のお墓が入るのも申し訳ないので赤屋根の前のところ、ごまかして消しました。)

 

 

賢治は1933年9月21日 37歳の若さで亡くなりました。

右 宮澤家のお墓  左 賢治のお墓  お寺は 28 身照寺さんです。

 

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ライナー付きのコートを着て とにかく暑い・・・イギリス海岸の土手の下 若い男子2名 電気工事中でした。 タクシーの大通りまで遠いですか?って聞いたら そこをまっすぐ・・・まで言われたた時 後ろから別の自転車の方が 続きを・・・

皆さん 本当にありがとうございました。 

とりあえず向かったのは 21 総合花巻病院 急病じゃありません。 中庭に賢治 晩年の設計 最後の花壇と思われるって書いてありました。(川北新報 岩手ニュースより)

まず 土曜日(10/22) 開院してますから 受付で 堂々と観光客ですが賢治さんの花壇を見たいんです。 って言いました。 堂堂と言わなきゃ恥ずかしいんです。

南病棟に向って・・と言われ 花壇のこと忘れて南病棟に行き オットー ナースステーションで 聞いたら。。。通り過ぎてた

でも その間抜けぶりに看護師さんが笑って案内・・・ 中庭の前の戸を開けてくれて 花壇に降りていいですよ って

 

降りなきゃ 全景撮れない・・・ ”Fantasia of  Beethoven” ベートーベンだ  下は by Kenji Miyazawa です。

この病院には 21稗貫農学校跡地が含まれています。 大正10年12月着任して 市文化会館前に移転するまで1年4ヶ月ここで教鞭をとっています。 (市のホームページより)

 

 

次に行ったのは町の中 22  賢治の広場 です。

 

ここは小さなスペースだけど楽しかったですね~ 小さな机があり懐かしい・・・ 座っていいですよ と声をかけてくださり かけてみました。

 

 

双子の星は 星巡りの歌 があって好きです。 どんぐりと山猫も・・  黄色いトマトは今回旅行の前に読みました。

 

何の写真家分かりますか?展示棚の外周を 軽便鉄道の模型が走っています。 夜になったら銀河鉄道に変わると思います。

 

23  賢治の生家 です。 1945年 終戦間近の空襲で焼けました。 その火災を 高村光太郎は観たそうです。

その後 弟の清六さんが住んでいたのを代が代わり このモダンな家になったのでしょうね。

左側のベンチに掛けたなら  きっと生家の前で・・・写真を撮れるような 心配りなんでしょうか・・・

 

 

こちらのベンチは道路沿い  賢治さんが掛けていそうですね。

 

24 お蕎麦屋さんです。 ゆかりのお蕎麦屋さんは別にあったけど・・・ ここもきっと行ってるでしょう。 すぐ近くですからね。

突き当りにお寺が見えます。

 

25 高村光太郎ゆかりのお寺、松庵寺さんです。 宮沢賢治との関係をしっかり確認しましたから 賢治ゆかりとしてカウントしました。

 

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今日も 宮沢賢治で スミマセン。  今日は何の日  日付見てくださいね。11月11日です。 だから11時11分11秒に更新します。 生涯献血回数も 111回です。

 

バスもなくて大通りまで歩いていると  みぃ~つけたっ 前回ご紹介した詩碑のところの 羅須地人協会の建物は移転したんですが その付属建物を 一青年が保存していたそうです。

19 おくら です。 

  

 

【おくら】 賢治が名付けたもので 肥料や農具などを 入れておく物置と厠を兼ねている と書いてありますね。

三つの戸の上に Closet Lady  Gentleman ですね。 目を近づけてご覧ください、 見えなかったら温かい目で。。。

 

大通りに出ました。5kmくらい歩きます。  マンホール の蓋 花巻市です。

 

 川は豊沢川 桜橋を渡っています。 

 

豊沢川を渡って 向こう側の土手を歩きます。 上流 川は前日泊まった鉛温泉の方に行くと思います。

 

 

20 賢治さんと歩く心象ロード 真ん中には星座が描かれています。

 

北上川と合流  右から左に樹の影にちらっと見えるのが豊沢川 中央から斜めに広がるのが北上川です。

 

紅葉しています。 独りで歩いてるんですが 私は珍しく帽子をかぶっていて 寒いだろうとコートを着てるから 自分の影が 俯き歩く宮沢賢治のようです。(この写真で探してもないですよ。)

 

下ノ畑ノ前ニお手洗ガ有リマス ウフフ 洒落が利いてます。  ここは よーく見てくださいね。

1日目の夜 タクシードライバーにお願いして寄った 真っ暗だった  イギリス海岸・・・・・  翌朝 再び訪ねました。

 

分かりやすく大きくしますね。 真っ暗い時にもこれだけはフラッシュで撮ったシンボルです。

 

イギリス海岸  北上川なんですが 宮沢賢治は生徒を連れてきたそうです。 短編小説イギリス海岸 は  ネット図書館青空文庫にもあります。

 

地層が似ているから イギリス海岸 なのに 残念ながら数日前に雨が降ったとのこと 水量は多く滔々と流れていました。

 

真ん中 浅いかな? と目を凝らしてみたけれど 残念ながら美しい流れでした。 

勝手なもんですね。 石橋探訪の時はいっぱい水量があったらアーチが水面に映るから嬉しいんですが・・・今度は川底が見たい・・・なんて。

 



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おはようございます。

 

いつも奇数日に 更新しています。 

今日だって忘れたわけじゃありません。

今日は11月11日・・・・・ あとで もう一度 ぜひ お越しくださいね~

 

そして タイトルの イイこと。

 

枇杷の もわもわっとした中に 花が開いていました。

 

 

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半年くらい経つのかな~ 姉から貰ったタンゲマル 咲きそうで咲かなかった・・ 

6月ごろに 夏に・・・・姉の家も 友人の家も 咲いたのに・・ うちだけ咲きませんでした。

それが・・・・・10月30日  急にぐぐぐっと伸びて蕾がでました。 カボチャも隣でびっくり。

 

サボテンは暗くなって咲くから 眺めてたけど その日はここまで・・

 

翌日 私 未明から目が覚めて この子が気になって・・・・    咲いた 

 

自分ちで咲く花は よその花より もっともっとかわいい・・・

 

でも 花の命は短くて 蝋燭のように透き通ってきて 2泊3日で・・・・・おしまい。。

 

 

こちらは  千紅花火 という花です。 線香花火みたいでしょ?


小さな花ですが もう少し派手になります。


実物はコメ粒ほどです。


下の花壇では前回と同じく フジバカマと 野ばらが咲いています。

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路線バスを降りて5分 もうすぐです。 もう少しで 13 雨ニモマケズ詩碑です。

 

賢治さんはお留守です。 14 羅須地人協会は ここにあったんですが、移転しました。 後の記事でまたご紹介します。

 

賢治さんが使用したつるべ井戸や手水鉢は ここに残っています。。

 

詩碑の下には 遺骨やお経も納められているそうです。 高村光太郎の揮毫で 雨ニモマケズ が刻んであります。 でも 全文じゃなく”野原の松の・・”・からです。

 

15 詩碑です。 

 

 

詩碑は 野原の松の・・・・からですが ここに全文書いてあります。

 

[下の畑] は ここら一帯 特定できないそうです。 でも 向こうの山 はきっと賢治さんも観ていますよね。

 

名残惜しいけど・・・・ 入口まで戻ったところに  16 桜地人館があります。 この辺 桜 地区です。

 

17 入口に 母 の詩碑 

 

高村光太郎 と 宮沢賢治の 両方あって 贅沢な記念館 高村光太郎は 宮沢賢治を頼って 花巻に移り住んだんですね。

  

 

18 おーーーーー 初版本があります。

 

天井に カシオペア と 北斗七星が散らしてありました。 

 

実はワタクシ ここから足がないわけなんです。 バス停まで歩いてもバスがないんです。  バス停まで5分 大通りに出るまで・・・そのあと・・・

 

事前にチェックしていた場所は 青色の番号 偶然出会った場所は赤色の番号で書いています。

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ちょっと花巻を一休み 熊本好きですからね・・・ 親戚のお宅に届け物があるというので、熊本に行く友人に ついて行きました。 4月のあの震災で 市庁舎が傾いた映像を思い出される方もあるでしょう。

宇土市(うと市) 庁舎です。 解体作業にかかってました。 考えてみると庁舎が被災・・・・大変なことですよね。

 

友人の親戚のお宅 アサギマダラが ひらひらひらひら・・ どこかにフジバカマが咲いているはず・・・・  ありました。

 

 

ホントは苦手ですが・・・・ 少し腰が引けてます。  でもアサギマダラ だから・・・。

 

めずらしい・・・・名前を聴いたらアブチロン でした。 私も友人もしばらくしたら忘れて・・・・・友人の従妹さんが 血管 のような・・って形容されたけど・・・

こうしてみると・・・ほんと・・ 内臓みたい  

 

そのお宅の近くの水源地

 

棚田ならぬ棚水源 私達は・・・ 泥水を飲んでいる子供たちに飲ませてあげたいね・・・・ いつもの会話になります。

 

土木學會選奨土木遺産 轟泉水道・・・・・ふぅ~ 難しい字

 

一段上を覗くと 水がふわ~っと煙のように見えるって・・・ 私は滑らないようにおずおず近づいたけど 天候や時間に寄るんでしょうね。 地元の彼女と初めての私、残念ながらみられませんでした。 

 

彼女に倣って 水を飲みました。 私より若く 逞しい山ガール だから危ないところは 先に行ってもらい・・・( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \水は彼女が飲んだ後で・・ 

 

日本名水百選なんですね。  熊本県は本当に 水の都 ですね。

 

 



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さぁ~ 若いのは気持ちだけのmomomama  独りですが 死にそうになったらレンタカーの2人が近くにいる・・・・心強いです。 

旅館の朝食は7時、バスは7時53分 バス停まで…10分とのこと・・ ご飯どころじゃありません。

 

10月22日 紅葉しています。 藤三(ふじさん)旅館さん 湯治客もあるようです。

 

橋の上から見た上流 豊沢ダムの方の景色 7 なめとこ山はこの辺りのはずなんですが・・

 

バス停まで歩く途中です・・ おー 歩いてよかった…・ 賢治関連施設の目印なんですね。 帽子とコート 8 鉛温泉と賢治

 

バスはドキドキします。 100円玉は沢山ありますが10円玉が5個しかない・・ お釣りの時はどうするんだ~ 30分くらい乗って花巻駅に着きました。

730円でした。 バス代からも・・・駅から遠い事がわかるでしょう? 

 風の鳴る林 です。 自然の風で廻っています。 正時にはメロディーがなるけど 風の鳴る音で十分。

賢治の作品からは風の音が聞こえてくるような気がする 優しく慰めるように 力強く勇気づけるように 空を映す大きな鏡の上に立つことができたら 風の音を聞きながら 賢治の心と一体になれる 風の鳴る林 原作者、斎藤ヒサ氏 のプレート より

 

さ~ と思ったときにバスが出ていた・・・詩碑 と書いてあって 運転士さんと目が合い 待って~ 停めてもらった・・順番決まり~ ・・

帰りはここまで来たらバスがあるからって・・

 

バス代は280円で・・・・ お釣りの場合 違う形の貯金箱のような料金入れに300円入れたら両替できました。   終点には10 同心屋敷がありました。 修繕中でした。

振り返ったらバスは行ってしまい・・・ まぁ ここまで戻ればなんとかなるやろう・・・

 

 

私は アメニモマケズ の詩碑に向って歩くんですが 事前チェックで分らなかったことを見つけました。 この道に色んなモニュメントや文学碑があります。

11 賢治文学散歩道 レコードコンサート開催したり ほしめぐりの歌も作ってますし セロ弾きのゴーシュ ですからね。

 

云はなかったが おれは四月には もう学校に居ないのだ 恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう 告別(春と修羅より)

賢治30歳 賢治には4年間つとめた花巻農学校を辞してでも果たさなければならない使命がありました。本当の百姓となり高らかに掲げる農民芸術の理想実現のための挑戦活動でした。 桜の地こそがその道場でした。(石碑より)

ここは 桜 という地域です。

 

こちらも 春と修羅 からでした。

 


あすこの田はねえ あの種類では窒素があんまり多過ぎるからもうきっぱりと 灌水 〔 みづ 〕 を切ってね三番除草はしないんだ ……一しんに畔を走って来て 青田のなかに汗拭くその子  これも春と修羅 からです。

 

12 弥助橋跡 どんな橋が架かっていたんだろう・・・  10日で作って賢治も働いた・・・ 碑を探しました。

 

 

土橋を造って打ち上げをしている様子が 見えるようです。  石橋探訪でもこんな風景が書いてあることがあります。

 

ふぅ~ ここまできたけど  アメニモマケズの詩碑は まだ見えません。 でも疲れてなんかいません。 続きはまた・・・

 

 

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