鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

催涙弾

2009-02-07 23:27:59 | 思いつくまま

 昨日は疲れのためか、眠くて眠くて、8時半頃には布団に入ってしまいました。 

 

今、「警官の血」第一部が終わりました。続きは明日のようです。

 

 日本の敗戦のときから昭和60年代まで一気に進みましたが、ストーリーについてではなく、大菩薩峠に集まった革命を夢見た全国の学生、約50人が山梨県警の機動隊に一網打尽にされた場面で、催涙弾が使用されました。

 それで昔々のことを思い出したわけです。

 

 皆さんは催涙弾を浴びたことがありますか? 浴びるとまではいかなくても、催涙弾の煙にまかれたことはことはありませんか?

 

 

 学生時代のことではありません。 自分がまだ未就学児の頃でしょうか、自宅近くの広場で警官隊が演習を行っていました。

 何故かは思い出せませんが、今思うともしかして朝鮮戦争の頃か、または共産党等の革命を鎮圧するための演習だったのかもしれません。

 1回だけではなく、数回にわたって町内の広場で警官隊が催涙弾の実弾発射訓練?を行っていました。それははっきり覚えています。

 川の傍だったからということなのか、どうか。

 

 

 演習の前に、町内の家家に向って家に入って出てこないように、隙間に目張りをするようにとまで言ったかどうかは定かではありませんが、とにかく家に入って出てこないようにということは言われて、家族で閉じこもっていた記憶があります。

 

 今と違って、昔は隙間が一杯ある家で、一酸化炭素中毒なんて考えられないような、自然換気が行われるような家でしたから(ということばかりではないのでしょうが)、発射された催涙弾の煙が入ってきました。

 

 ナント形容すればいいのか、何とも言えませんが、とにかく喉と目にきました。あの臭いというかむせ返るような、くしゃみがでるだけというような生易しいものではなく、ジーンとジワジワときいてくるような、目を開けていられない、喉もいがらっぽくなる、うまく言えません、もどかしいですが、なんにしてもとてもトテモ嫌なにおいであり刺激臭であったことを今でも覚えています。

 

 その頃はまだアメリカ進駐軍が駐留していたころかなあ、としたらアメリカ軍と連携しながら演習をしたのかもしれないし、アメリカ軍に断ったうえで警察だけで実施していたのか、何とも言えません。

 

 

 今となってはどうでもいいことなのですが、小さいときの地元での経験を思い出しました。催涙弾というか催涙ガスは御免被ります。

 ましてや、大砲や機関銃の実弾は絶対に御免被ります。


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