鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

本流の様子

2009-02-12 16:12:14 | 広瀬川

(撮影はいずれも2月8日です。)

 

 中洲に上がって本流筋を下流に向かって撮ったものです。

 澱橋が見えます。

 水量は申し分ないです。 いい感じに流れています。

 写真中央の荒瀬の下流の岩盤の溝には、去年は大アユがいましたが、今年はどうなることやら。

 

 

 去年までは中洲から竿を出すなんてことは考えられませんでした。

 それどころか、中洲から出ている木の枝に天井糸を絡めてしまって、何度悔しい思いをしたことか。

 その点では、中洲の伐採には感謝?ですが。

 その分いろんなところから自由に竿を出せるようになったため、釣り切られてしまうのが早まるのではないか、などど今から心配したりして・・・。

 

 

 最後はもっと上流の西道路のトンネルが切れているところの流れの様子です。

 ここはかってはかなり深く、夏には泳ぐ人たちで賑わったものです。

 

 またもや古い話しになりますが、ここに丸太を組んで監視台をつくり、一応は監視員もいました。

 自転車でアイスキャンディを売りに来ていました。小さい旗を立てて。当時のアイスは、ミルクアイスとあずきアイスで、ともに5円でした。 10円となると、アイスもなか(中味はあずき)でした。

 

 

 そして、今はまったく考えられませんが、進駐軍、米軍の軍人やその家族も水泳に来ていたものです。

 写真の上には進駐軍のキャンプがあったからです。

 日本人を尻目に、自分たちは人間が寝転んでも沈まないような浮き袋を持ってきて楽しんでいました。

 

 最後に、悲しいことですが、一シーズンに一人は溺れ死んだようにも記憶しています。いわゆる土左衛門ですね。子どもが多かったように思います。

 

 そうそう、それとここで近くのキリスト教関係の女子高が洗礼を受けていました。(前にも書いたようですが)

 

 いずれも今は昔のお話しでした。

 

コメント (2)
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