今街中や自宅周辺で一番目立つもの、それは落ち葉です。 とくに仙台市内のメインの道路のケヤキ並木は、日を追うごとに落葉が多くなってきています。 ケヤキの落ち葉は肥料としてかなり有望とか聞いていますが、集めるのは大変ですね。 家の周りは梅の葉や柿の葉が目立ってきました。 落ち葉掃きはこれからが本番です。
きょうは11月11日日曜日。 去年の3月11日から1年8か月が経過しました。 ”忘れないこと!”が大切であるということはいろんなところで語られています。
みなさんもそうだと思っていますが、きょうの朝日新聞をみると、地元版は別として全国版での東日本大震災から1年8か月過ぎたということについて触れた記事は、福島県須賀川市の「松明(たいまつ)あかし」と岩手県陸前高田市での旧市役所庁舎等の解体の記事だけです。
忘れないためにはどうしたらいいのでしょうか。記憶では風化していく恐れがありますし、文字や映像として記録していくことが大切なのはいうまでもないことでしょう。 学校教育等においてきちんと語り伝えていくことも、とくに被災した地元では大切なことと思います。
でも、やはり一番のものは被災した具体的な物体を後世に残し、伝えていくことであろうと思います。 永遠のモニュメントとして、きちんと整備して残していく、そして具体的に伝え続けていくことが重要です。
でも、現実には、陸前高田市のように被災した市役所庁舎や市民会館を解体していくというのが大きな流れのようです。 その建物の中で被災し亡くなった家族がいる場合には、とっても辛いことだろうと思います。 個人的には100%とはいかなくても、50%以上は被災した家族等の気持ちに寄り添うことができるかと思っています。
宮城県の南三陸町もそのようです。 南三陸町の防災庁舎を残すべきか解体すべきか、町長は10月中に解体すると決定したようですが、町長が被告として訴えられたこともあり、現場検証する必要があるために旧防災庁舎はまだ残されています。
家族が亡くなった建物等を見るのが辛いからという理由で、解体してもいいのでしょうか。 解体すべきなのでしょうか。 残された家族としては、亡くなった人を思い続けていくことでしょうし、思い続けていくべきです。それがある意味理不尽な死を強制された人々に対する弔いですから。 悲劇、惨劇を早く忘れてしまいたい、ということなのでしょうか。 まさか忘れたいということではないと思います。
辛くても、どんなに辛くても、辛いからこそ、墓碑ともいうべき建物等を残すべきではないか、そしてその辛さ、悲しさとともに残された生を生き続けることが、残された人たちの生きるべき姿ではないでしょうか。 身近な親族に被災して亡くなった親族がいない私が言うのは辛いし、おこがましいのですが、それでも象徴的な建物は後世のために残しておくべきと考えます。
いかに今回の地震の規模が巨大で、地震に伴う津波が巨大だったか、想定をはるかに凌駕する規模であったからこそ、それを確かなものとして残していくことが必要ではないかと、僭越かとも思いますがそう考えます。
壊すのは簡単でしょう。 でも人的な被害がなかった人たちにとっても、この建物で甚大な被害があったということを伝えていくためには、いや逆にそういう人的な被害がなかった人々に対してこそ、そういう象徴的な建物を残していくべきではないでしょうか。
そのようなことを考えた次第です。