きょう6日は消防の出初式が昼前からあるので、久しぶりに見学しようかなと思っていたのですが、同じ時刻に町内会の新年互礼会が集会所にてあるため迷っていたところ、中心となって互礼会の準備をしている家の奥さんの一言で出初式は諦め互礼会に出ることにしました。夫婦円満は 婦唱夫随 で行くよりほかはありませんから。
でも昼前から飲むお酒は何度も書いているように 酔う のですね。 その時はまあ何とか立ち居振る舞いを保ってはいても、帰宅したらもう駄目です。 きょうは風があったので、凧揚げには丁度いいなと思いながら集会所に行ったのですが、それどころではなく、結局1時過ぎから5時過ぎまでコタツに入って寝てしまいました。 ぐっすり眠れました。 そういえば、今朝は午前3時からNHKのラジオ深夜便を聴いていたのでした。
でも食欲は全くなく、味噌汁を飲んだだけです。
きのう5日から、メディアテーク1階にて 「第10回加川広重巨大水彩展」 が開かれています。 『巨大画で描かれる東日本大震災 2 』 加川さんは1976年生まれなので、まだ30代の半ばです。
間もなくあの忌まわしい大震災から1年と10か月が経とうとしている今、日本人から忘れ去られてしまいかねない今こそ、改めてこの巨大な絵画を見て圧倒され、あの時を思い出すことが必要と思っています。 去年もこのブログでお知らせしています。 今回はその巨大絵画が前面に張り出され、新作の絵画は奥に飾られています。
これは去年展示された巨大絵画です。
今回の新作絵画は、南三陸町の防災センターです。
どのくらいの大きさかは何とも言えませんが、縦だけでも3メートル近くはあるのではないでしょうか。 何にしてもでかくて、圧倒される絵画です。
でもこの防災センターは取り壊されることになっています。 思い出すので見たくないという遺族のみなさんの声が強いからでしょうが、同じ遺族でも残しておくべきだという人もいます。 町長は取り壊すという考えです。
でも、取り壊すことは考え直してほしいと私は思っています。 というか是非とも後世に残しておくべきものだと考えます。 壊すのは簡単、壊したらもう元には戻りません。 あの時何があったのか、この3階を超える大津波が襲ってきたということを肝に銘じておくためにも残すべき建物です。 この建物を墓碑銘にして、周りを慰霊の公園として、風化させることなく語り継いでいくべきと考えます。 確かにここで肉親が亡くなられたご家族にとっては、見たくもない思い出したくもない、忌まわしいだけの、後悔に苛まれるだけの建物であるということは、僭越かもしれませんが十分に理解できると思っています。 でもやはり何代にもわたって記憶し続けるためには、具体的な目に見えるものが必要です。 その上で小学校等の教育で教え続け、語り継いでいくべき、尊いたくさんの犠牲を出したからこそ、残しておくべきと思います。 みなさんはどうお考えでしょうか。