やはり日々の移ろいは早いなあと思います。 まだ2015年になって3日しか経ってはいないのですが、もう早いなぁあ~なんて感じてしまうのでは、今年もあっという間に終わってしまいそうです。
きのうからの初売りにも出かけずに、出かけるのは近くの広瀬川とその緑地ですね。
分流は水が澄んでいます。
あした4日は町内会の新年互礼会が集会所であります。今年の町内会の活動も始まります。
7日は別の組織の役員会があり、10日には八幡学区の連合町内会等の主催による新年祝賀懇親会が、区役所の幹部連中も招待して街の中で大々的に開催されます。 去年は出るだけでよかったのですが、今年は実行委員会の中に入ってしまい、抽選会の担当となりました。
河原では親子でそり遊びをしていたり、凧揚げに挑戦していたり、冬らしい光景が見られました。 わたしもそのうち飛行機凧を揚げてやろうかと思っています。
午前11時頃から風が強くなり、かつ雪も降ってきて、真横に舞うくらいで、とても寒かったですね。 もう沢山という気持ちで早々に家に戻って、コタツに入ったという次第です。
元旦の地元の新聞の一面に掲載されていましたが、『南三陸町・防災庁舎、31年まで県有化検討へ』 『宮城県、南三陸町へ打診へ 保存の議論推移見守る』 という見出しです。
南三陸町防災庁舎では大津波により43人の職員が亡くなっています。町の考えや遺族の間では保存か解体か意見が分かれていますが、県震災遺構有識者会議では当該庁舎を『世界的に最も知名度が高い東日本大震災の遺構』と位置付け、保存する価値があると評価しています。
記事では、町の負担軽減や結論が出るまで、県が主体的に維持管理を、2031年3月10日までの20年間していこうというものです。
私もこの防災庁舎は震災遺構として是が非でも残しておくべきもの、後世に大切に伝えていくべきものと考えてきました。 現場に行ってみれば分かりますが、これほど震災遺構として保存すべき建物は見当たらないのではないかと実感できます。
まさに広島の原爆ドームにも匹敵するくらいの価値のある遺構と思います。 この周辺を慰霊と後世への遺構として整備してくべきです。 形あるもので残さないと絶対にと言ってもいいほど人間は忘れ去ってしまいます。
三陸町の核としてここを中心に復興再建していき、全国に発信できるように、全国から集まって来れるように活用すべきです。 それが亡くなった人々の意向にも沿うような気がします。
防災庁舎の高さは12メートル、襲ってきた大津波は15.5メートルもあります。 圧倒されます。