午前中は風があったのですが、いまはそれも落ち着いてきたようで、中から外を見た限りでは穏やかな天気に感じられます。
(午前10時45分頃)
午前10時45分頃にいつもの河原に行ったのですが、どうしたというのでしょうか、鳥類は一羽も目につきませんでした。 トンビ、からす、カモ、サギの姿が見られませんでした。時合なのでしょうか?
今年は戦後70年を迎える年ですが、この雑誌も70年だそうです。 「数え」でですが。
『月刊つり人』です。 1946年7月1日創刊だそうです。みちのくから見ると丁度鮎釣りの解禁日にあたります。
この雑誌は年に3,4冊は購入しています。といえばもうお分かりでしょう、そうです夏の期間だけの購入、鮎釣りの記事が満載の時期のみ購入しているということです。
そういう記念すべき雑誌ですし、お正月気分も手伝って買ったものですが、贔屓なしにこの雑誌はよく頑張っていると思います。 本当に釣りのこと、そこから派生する自然環境等についてもよく気配り目配りして書いていると思っています。
「創刊70年に向けて」という巻頭言に当たる記事では、生物多様性についてこう述べています。
『生物多様性の保全を本当に考えるなら、人間の一方的な理由で場当たり的な駆除を行うのではなく、自然の自浄作用に任せるべきであろう。・・・・・。生物多様性の保全で最優先すべきは、失われた自然の復元であり、自然保護であるべきなのだ。・・・・・。1万年以上もの間、日本人に多くの恵みを与えてくれたこの自然環境を、、我々はこの数十年間でズタズタに破壊し、結果、生物多様性が失われ、多くの在来種が激減してしまった。その理由を、外来種の侵入にすり替えているのが外来種問題の本質なのではあるまいか。』
他に統計的な数字もあり、『現存する3000の月刊誌の中で、70年以上存続しているものは150誌しかない』ということです。 月刊「つり人」はこの150誌の中に入ります。
他の特集もあります。 「釣り人たちが振り返る 2014年 10大ニュース」と題して、10人の釣り人が語り合っています。 鮎釣り人としては(敬称略)、小澤 剛、片山悦二、島 啓吾、高橋勇夫(研究者)がいます。
その中で、小国川ダム建設反対に尽力して自死した沼沢勝善組合長についても、その死をとっても悼んでいます。
小澤は、「お亡くなりになられた組合長のことを思うと無念でならない。・・・。水のきれいさ、アユの美味しさ、自然の豊かさと、素晴らしい川だった。その一部でもダムの底に沈んでしまうと思うと悲しくなる。」
島は、「・・・、今までの自然本来の河川に何か人的な影響が加わることで、よかったと思えるような結果が得られたケースは思いつかない。」
そしてこれは鋭い指摘だと思います。浦 壮一郎というフォトジャーナリストの発言です。「(ダム容認と補償交渉は別の話しとしたうえで)侵害を受ける漁民の同意を経ていない総代会では漁業補償の締結が完了したことにはならず、このまま本体着工を強行すれば山形県自らが法律を犯すことになる。・・・。うやむやにして着工に邁進しそうな雰囲気だが、本当に知事が法律を犯すのか否か、今後に注目するとともに、反対の狼煙を上げた漁業者の支援を、我々一般の釣り人も何らかの形で行いたいものである。」
さらに河川生物調査が専門の高橋勇夫は、「最上小国川流域環境保全協議会の検討資料を見ると、アユに対する影響はほとんど検討されていないうえに、検討の過程にも非科学的な部分が多い。『ダムのない川以上の清流を目指す』と説明しているのだが、それができる技術的な裏付けは全く示されていない(少なくとも日本にはないはず)。」
そうそうこの座談会での小澤の発言で知ったのですが、2013年のダイワ鮎マスターズで優勝した佐々木敏浩さんが亡くなったということです。
ネット情報では、2014年9月7日のアユ釣り大会で事故死したというのです。「寒狭川で堰堤から落ちた」という情報や、「愛知県新城市一色金山の豊川での鮎釣り大会のとき川に浮いていた」とか。 まだ41歳という若さです。
お通夜や葬儀告別式にはたくさんの有名な釣り人や釣り具メーカーの人たちが駆け付けたそうです。 詳しい情報は分かりませんが、若いし、多分私なんかとは違って泳ぎも達者ではなかったかと思うのですが、それでも不慮の事故死を遂げてしまうのです。(小澤は「彼は子どもの頃から川を歩いているので、水にも強いし、川を歩くのも非常に上手かった。それでも事故は起こるのだ。」といっていました。)
私も川の怖さは十分知っているつもりですが、それでも大会とかになるとついつい無理をしがちです。でも周りにたくさんの釣り人が居れば見殺しにはしないでしょうから、個人での単独釣行が一番怖いということになりますね。 無理は禁物! 心掛けます。
佐々木さんのご冥福をお祈り申し上げます。