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ここのところ鎌倉古道山ノ道を探索していたが、我が近所の庚申塔などに必ずといっていいほど行き先の地名で刻まれている場所がある。その名も「扇町谷(扇町屋)」。現在でも入間市にその地名があるが、どうやら日光街道や大山道の途上にあり、宿場町として栄えたらしい。
私が住む狭山丘陵の南側にある碑でもよく見るのでその先をたどってみようということで狭山丘陵の向こうへと行くことに。
そして三ヶ島あたりをウロウロして神社の近くに大きな庚申塔を発見!
大きく立派な庚申塔だったので、明治以降のものかと思ったのだが刻まれた文字に目を凝らすと「天保」の文字。江戸後期の庚申塔のようだ。
さらに文字を読み進めると…。
おお、やっぱりあった。「川越」と「扇町谷」の文字。因みに扇町谷の「町」は田の下に丁とある。さすがは江戸時代!この先にも行ってみたかったが今回は時間切れ。狭山丘陵北側にもこのような歴史的建造物があることが分っただけでも今回の収穫である。
ここのところ鎌倉古道山ノ道を探索していたが、我が近所の庚申塔などに必ずといっていいほど行き先の地名で刻まれている場所がある。その名も「扇町谷(扇町屋)」。現在でも入間市にその地名があるが、どうやら日光街道や大山道の途上にあり、宿場町として栄えたらしい。
私が住む狭山丘陵の南側にある碑でもよく見るのでその先をたどってみようということで狭山丘陵の向こうへと行くことに。
そして三ヶ島あたりをウロウロして神社の近くに大きな庚申塔を発見!
大きく立派な庚申塔だったので、明治以降のものかと思ったのだが刻まれた文字に目を凝らすと「天保」の文字。江戸後期の庚申塔のようだ。
さらに文字を読み進めると…。
おお、やっぱりあった。「川越」と「扇町谷」の文字。因みに扇町谷の「町」は田の下に丁とある。さすがは江戸時代!この先にも行ってみたかったが今回は時間切れ。狭山丘陵北側にもこのような歴史的建造物があることが分っただけでも今回の収穫である。