津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■少し遅いか・・・

2019-12-26 07:15:40 | 書籍・読書

              昨晩、年末年始に読む本を急きょ注文しましたが、年内に届くでしょうかね・・・
              もう少し早く注文すればよかった。
             下手の横好きの「俳句」と、不思議な魅力ある設計をする藤森教授の「茶室論」です。

中公文庫<br> 俳句の宇宙 熊本出身の俳人・長谷川櫂氏の著「俳句の宇宙
 内容説明 日常から自然が失われていく時代に、季語は生きていけるのだろうか。俳句は、実感豊かな言葉たりうるのだろうか。
      実作者ならではの視点で、十七文字という短い言葉以前に成立する「場」に注目した、現代俳句を考える上で欠くこと
      ができない記念碑的著作。サントリー学芸賞受賞作待望の文庫化。

角川ソフィア文庫<br> 茶室学講義―日本の極小空間の謎 (細川護熙邸の茶室「一夜亭」の設計者東大名誉教授・建築史家、藤森照信氏著「茶室学講義
 内容説明 豪華絢爛な殿中の茶とは反対に、利休は戦場の仮設茶室としての「囲い」に惹かれ、たった二畳の待庵を建てた。
      火と土を閉じ込めた最小単位の空間で、利休は住まいの原型に立ち返ろうとしていたのではないか―。
      この試みは新しい住宅様式・数寄屋造につながり、近代以降、堀口捨己、白井晟一ら気鋭の建築家がモダニズムを取
      り込んで茶室をリヴァイヴァルしていく。磯崎新との茶室談義も収録。第一人者による新しい茶室の建築史。


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■細川小倉藩(109)寛永元年・万日帳(十月廿三・廿四日)

2019-12-26 06:24:22 | 細川家譜

                        (寛永元年十月)廿三・廿四日

         |                                    
              廿三日 両人詰 晴天 
         | 藍嶋・規矩郡)
中国ヨリ来ル牢人 |一、あいノ嶋へ中国ゟ参候牢人百性走そうニ有之由候て、仁右衛門を見せ被遣候、今朝罷戻候、中
百姓ヲ見分    |  /\走可申覚悟にてハ無御座候由、申候事
         |
歩小姓召抱    |一、歩之御小性ニ黒木茂太夫被抱候、廿六日に江戸へ上せ可申候由候事、右之請人弓削次右衛門親
親類請人ニ立ツ  |  類故、請人ニ立申候事、
         |                       (延元)            (沼田延之)
算用物書ニ長ズル |一、同村山加介被抱候、物をかき、算用も成候、長岡勘解由殿ニ冣前罷居候、十五郎殿へ尋候ヘハ、
陪臣ヲ召抱    |  不苦之由候、岡田加介才覚にて被抱候事、
         |
         |      (登脱)      野瀬助左衛門と申
鉄砲足軽行方不明 |一、西川與介城ニ而、主与之〇御鉄炮之衆者今月十九日ニうせ申候、前かと少つゝ相煩申候が、きや
狂気心      |                 〃 〃
         |  う気故ニ而候哉、刀・きがゑなとも其まゝ置、女子・いもとなと御座候、行衛知れ不申候、彼
跡役ニ弟ヲ入ル  |  者弟御座候、今まてハ煩申候時、役目等ハ弟仕候、則彼者跡替りに弟入可申由ニ候事
         |
         |     (辰珍)       (片山示庵)
         |一、津川四郎右衛門殿登城、かた山ぢ安子上方へ上度由、被申候間、舟ひん候ハヽ、乗せ申度御申
         |  候、頓而歩之御小性被上候間、其舟ニ可然之由ニ候事、
         |                (破)
大坂城普請添奉行 |一、大坂ゟ、中山左次右衛門・不波平太夫夜前罷下候由ニ而、登城被申候事、
帰着ス      |
         |一、しの宮左衛門と申歩御小性御抱被成候、前かと勘解由殿ニ居候者也
         |  〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
         |

         |                                    
              廿四日 両人詰 晴天 
         |                      比丘尼 
比丘尼死後ノ上リ |一、吉田少右衛門登城ニ而、東小倉ニ妙かうと申ひく人相果申候、家上り申候間、家御奉行ニ可被仰
家ヲ明家奉行ニ渡 |         (大津留) (溝口)
ス        |  付ノ由ニ候、則六左衛門・理兵衛ニ被申渡候事、
         |                         (赤根村)赤根鉱山
国東郡赤根村ニ金 |一、加嶋久左衛門を国東へ御かな山見立ニ被遣候処ニ、あかねと申所金銀共ニ一段可然御山と見立、
山ヲ見立ツ    |  罷帰候、春ニ成候而、山をやき、人数を被遣可然之由申候、久左衛門ハ又諸所へ見立ニ参候へと
         |  被申渡、御鉄炮五人組相添可申通、被申渡候事、
         |                            (平尾台)            (矢山村
小荷駄ノ牧山見立 |一、小荷駄牧山見立ニ、平田勘兵衛を被遣候へは、規矩郡之内ひろうかだいノひかしノ方、や山と申
矢山村ニ囲ヲ作ラ |  所、一段可然之由候而罷帰候、かこいなと申付候て、馬を入可申之由ニ候事、
シム       |
         |   (重嘉)        (香春村、田川郡)                     (栗)
鋳銭場所幷ニ金山 |一、横山助進・仁保太兵衛かわらへ銭鋳申所へ、又御金山見ニ被参候、又粟野伝介も高山次左衛門手
見立       |        (ママ)
         |  前鑿穿之儀候て、右同前ニ参候事、
         |
         |一、吉田小左衛門此中天気悪候て、今日中津へ参候事、
         |(一脱)
家ノ貸借     |  吉田や左衛門家山崎伝左衛門ニ御かし候、此家をかい申度候へ共、あまり遠所にて候間、まつ当
         |  分御かし被成候ハヽ、妻子を急度引越申度由ニ付、如此候事、
         |                   (帆)                                (松井興長)
朝鮮信使乗船ノ引 |一、官人上り候ニ付、毛利殿ゟ為引舟八端凡ノ舟七艘被出候由、かゝミ善右衛門承候て登城候、則式
舟八端帆     |  ア殿へ参候て、御国役之儀ニ候間、御舟出候而可然候ハヽ、可被申付候由、善右衛門ニ被申渡候
         |  事
         | (規矩郡)                                            (す脱)    (苅田村、京都郡)
米盗人捕縛    |一、曽祢村甚五郎と申者之所へ、中国ゟ参候日用、ぬすミニはいり候て、米壱石ぬミ、五斗ハ苅田に
規矩郡奉行報告  |  て八匁四分ニうり申候、残而五斗取廻候を見付候て、とらへ申候由にて、上田忠左衛門登城にて
         |  被申候、下ニて鑿穿候て、明日具ニ可申上之由、被申渡候事、
         |

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■細川姓なれども・・何方?

2019-12-25 11:45:12 | 歴史

 寛永時代までの事だが、細川姓を名乗る方が二人居り、これが何者なのかがよくわからない。
二人とも「殿」と敬称を以て扱われているから、一族であろうと思われるが、どんなに探しても見つからない。

一人は細川七左衛門だが、この人の記録は結構残っている。ブログでも何度か取り上げた。
   ・細川七左衛門殿
   ・肥後入国のお供
   ・於豊前小倉御侍帳
   ・謎の細川出雲・七左衛門兄弟
   ・貴重な花押           等々である。

いま一人は細川清左衛門、「寛永元年十月廿ニ日・万日帳」に登場している。
朝鮮信使の迎接に携わっていることが判る。こちらも御覧の通り「殿」と敬称で紹介されている。

何方か御存知であれば、是非ともお教えいただきたい。喉につかえた小骨がいつまでも取れない・・・

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■「阿部茶事談」(09)釈文

2019-12-25 07:30:52 | 史料

09              可申上心底成けるか御足を戴せ申殉死頼有
      けれハ御免なし 押返し戴被申候御免
      被成候 殉死の時老母妻女暇乞候時平に酒を
      好被申候故何連も酒を進め盃事濟 長十郎
      申けるハ此中の心遣尓草臥たり切腹前尓少し
      休息いたさんとて座敷ニ引籠り昼寝致
      し熟睡 時移りけれハ老母被申けるハ長十郎
      ハ少しの間休息と被申けるが最早時刻も移り
      切腹延引セハ臆したりなんと悪口尓あハん
      も如何早く起し給へと長十郎妻女尓被申ける
      誠尓左様成りとて長十郎休息の所へ至り不怪
      御熟睡母様遅く成候起しまし候へとの
      仰也御起被成り候へとけれハ長十郎目を覚し
      少の間と思ひ酒尓酔其上此中の草臥故か
      能熟睡して気力を得たり いさ用意セん
      とて心静尓諸事取仕廻潔ヨく殉死せら連
      しと也
      津崎五助ハ御犬牽也 御放鷹の折柄野方ニ
      而甚御意ニ叶ひける故尓平日御懇意なれハ
      此節御高恩難黙止とて願て御供申上ける
      に御中陰果の日五助ハ浄土宗成けるに田端の
      旦那寺尓て平日御鷹下尓牽ける犬をも連

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■近い将来に

2019-12-25 06:47:59 | 徒然

 「くずし字チャレンジ」というサイトがある。AI時代となり、いよいよくずし字が簡単に読める時代が非常に近いことを窺わせている。
注目していきたい。
つい二三か月前までは、木版物がよめるようになったと聞いた。
古文書の文字の形態は「くずし字用例辞典」に収容されているくらいの話ではない。

悪筆も含めて膨大な数になろうから、サンプル集めが大変だろう。
武家文書のみならず農民・商人の文書など手つかずの読めない文書が手元にあるから、お届けしようかと思うくらいである。
一文字一時間はまだよい方で、一日がかりになる時もあるし、お手上げになる文字も多い。
これがたとえ7~8割でも読めることになれば、あと2割に集中すればよいからこれは助かる。
例えば熊本大学永青文庫センター所管の「永青(北岡)文庫」の膨大な文書類の解読なども大いに進むことだろう。
長生きしてその成果を確かめたいものだ。

さしあたって私としては、今お預かりしている「Y家系譜」なる古文書の進捗が予定の半分にも達していない。これを何とかしなければと頭が痛い。

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■原文に触れる「阿部茶事談」(10)

2019-12-24 17:21:33 | 史料

                                

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■細川小倉藩(108)寛永元年・万日帳(十月廿一・廿ニ日)

2019-12-24 10:23:18 | 細川家譜

                        (寛永元年十月)廿一・廿ニ日

         |                  (曇か)                  
              廿一日 両人詰 曇 時雨 雲天 あられふる、 
         |  (津川辰珍)
片山示庵跡式   |一、津四郎右衛門殿登城、片山示庵彼相果候儀、便次第ニ御奉行衆被申上可然候、京ゟ申上候へ共、
         |  御奉行衆も被申上可然候、四郎右殿ゟ可被申上候へ共、冣前小倉にて煩候時、示庵所へ御使ニ
         |  参、知行をハ二人ノ子ニ百五十石と弐百五十石と可被下候間、心安存候へと、被 仰出、其使仕
         |  候間、四郎右殿ゟ申上候儀いかゝニ候間、言上不申由申候、御奉行衆可申上之由候事、
屋敷交換伺    |一、佐分利作左衛門登城、主孫ノ屋敷と八木田介久助と屋敷替仕度之由候、江戸へ被得 御諚嘉申候
         |                     〃
         |                 (西郡清忠)                       
         |  哉、御下向之上にて可被申上哉と、刑ア被申候ヘハ、御帰国之上ニ而可得 御諚之通ニ候、其間
         |  ハ内儀ニ而かへ相候てハいかゝ可有之哉と被尋候、それハ各次第、此方ゟノさしづハ不成由、刑
         |  ア被申候、尤之由にて被帰候事、
金山奉行ノ報告  |一、佐藤安右衛門・春木與吉登城、御金山共何も御かね出不申候故、掘子なともちり申候、取分採銅
金山かね産出ナシ |  所ノ御山金少も出不申候ニ付、今ノ分にてハ、ほりことも皆々ちり可申候間、かゝミ山ノ口御明
掘子等離散ス   |  可被成哉と談合にて、来月朔日ゟ可被明と談合究候、其外ケ条にて談合被仕候事、談合帳ニ付、
かゝみ山ノ口明ヲ |  (佐藤)
談合ス  談合帳 |  安右衛門ニ被渡候事、
         | (倉橋島、安芸安芸郡)
倉橋島ニ誂ヘシ荷 |一、倉橋にて彼 仰付候御荷舟之内、三四艘出来申候間、早々乗下、御米積上せ可申候間、御加子六
舟出ス      |   (松井か)
         |  十人少吉に付、くらはしへ遣可申と、野田小左衛門談合ニ相究候へ共、 三斎様御上洛ニ御加子
         |     (ママ)
         |  無之候間
         |

         |                                  
              廿二日 両人詰 曇 あられふる、 
         |
朝鮮信使迎接ニツ |一、細川清左衛門殿御出候て、官人参候時、下関迄候間、其留守之御番替被仰付可被下之由、御申
キ番替ノ願    |  候、御家老衆へ可申入之由候事、
         |                   (房)
服忌ノ伺     |一、同人、竹内吉兵衛申由ニ而、吉兵衛女尻共相果候故、子共御当番にも上り不申候、幾日過候て、
惣奉行指示    |                                (横山重嘉)(西郡清忠)
         |  御番ニ上り可申候哉、御留守之儀ニ候条、卅日ほと過候ハヽ、不苦儀と助進・刑ア被申候事、
         |                     (是門)
灰吹銀ニ極印打ノ |一、はいぶきニ平田こくい打申もくろく、米田與右衛門所ゟ参候ニ、御奉行衆三人判形ニ而御町奉
目録ヲ平田彦九郎 |                                        〃  

へ渡ス 高札ノ板 |  行両人判ニ而、平田彦九郎所へ被遣候事、幷ニ高札ノ板も被申付候事、
         |    (安)
         |一、佐藤長右衛門・春木與吉同道にて、式ア殿へ談合ニ被参候、子細ハ昨日ノ談合帳之内ニ御座候、
金山ノ者ノ退散ハ |       (前脱)  
知ラザルフリ   |  御金山之者筑へ参候とても仕様無之候間、行□を仕次第ニ、しらさるふりニ被仕候へと被申渡
         |  候、便ニか様ニ被得 御諚可然之由候事、
         |   

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■春日寺記が伝える、妙解寺建立の経緯

2019-12-24 07:16:51 | 歴史

 現在「阿部茶事談」をご紹介している。ちょうど忠利公の葬礼のことなどを「釈文」でご紹介したところだが、まだ1/4の進捗状況である。
さていろいろ伝えられている忠利公の最後に関する逸話は何処から出たのであろうか。荼毘に付された「春日寺(岫雲院)」の寺記などが出どころではないかと考えたりしている。
この「春日寺記」をよむと、忠利公の菩提寺として春日寺が候補の一つであったことが伺える。

  真源院様(光尚)御意に、春日寺所柄悪敷く、御参詣も御道筋宜しからず候間、寺地を外に見立て候て、御菩提所御建立成さるべき旨、
  奥田権左衛門へ仰せつけられ、方々寺地御吟味にて、鳶尾嶋崎・石神辺など然るべきやと権左衛門申上げらえ候得ば、是も所柄御意に
  叶はせられず、只今の妙解院の所に相究まり候。夫より当院に御影堂御建立遊ばされ、山林共本高五拾石御茶湯料を御寄附遊ばされ、唯
  今に至り御霊供日日懈怠なく相備え、御廻向相勤申候事、

細川家の菩提寺としては、藤孝・麝香、忠興・玉の四つ御廟がある泰勝寺がある。何故ここに納めなかったのだろうという疑問も残る。
熊本城からこの泰勝寺は「表鬼門」にあたり、「裏鬼門」の方向に建立しようと考えられたのであろう。
江戸に於ける将軍家の「増上寺」と「寛永寺」がそんな関係にある。
そこで三ヶ所ばかりの候補地が挙げられたが「所柄」が悪いという理由で却下されているが、光尚の気持ちは「裏鬼門」の線上にという気持ちがあったのだろう。
高麗門から御成り道を進めばわずかの距離であり、絶好の地が選ばれた。

鳶尾という地名が記されているが、私はこの地名を知らない。熊本地名辞典をみても存在しない。富尾の間違いではないかと思ったりしているが如何・・・   

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■ニトロのケース

2019-12-23 16:20:01 | 徒然

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 今日は少々胸が痛くて、不愉快な思いをしている。
朝食後、何時ものように散歩に出たのだが、どうも胸に違和感がある。それでもいつもの3.5キロコースを選んだ。
歩きを進めながら不安が募ってくる。「ニトロを持ってくればよかった」と・・・
中間点を過ぎると家が近くなるわけで、少々は落ち着いてきたが、あまり無理をせずにゆっくりと歩いて帰宅。
椅子に座り込んで何もする気がせず、転寝をしたりしている。
狭心症の予防にとせっかく処方してもらった薬を家に置きっぱなしでは緊急時に間に合わない。
処方薬局で「ニトロ」のケースがあることを教えられた。PCで調べると2~3,000で売られている。桁が一つ上がる者もあるが、安いに越したことはない。郵送料が結構するからまだ決めかねている。
近所に大きなドラッグストアがあるから、ここを覗いてみようと思っている。
いい歳の爺様がペンダントもあるまいが、「忘れないためにはこれが一番ですよ」との処方薬局のご託宣だったが、人が見ればバレバレだろう。
ニトロは爆薬の原料にもなる。まさに「爆弾」をかかえての生活になる。

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■細川小倉藩(108)寛永元年・万日帳(十月十九日・廿日)

2019-12-23 07:02:42 | 細川小倉藩

                        (寛永元年十月)十九日・廿日

         |              
              十九日 両人詰 晴天 
         |
江戸供替ノ乗船下 |一、御供替衆ノ上候御舟共、今朝罷下候事、
着        |
         |               兵左衛門
         |一、江戸へ御つほ持参候小林七左衛門、右ノ御舟ニ罷下候、江戸を去月十七日罷出候由候、三斎様
         |             〃〃〃〃
供侍造作料ノ帳  |  への御書之御文箱、長兵衛持下候、御奉行衆へも 御書参候、御供衆造作料之帳、江戸ゟ参候  
         |  事、
大坂城普請役ノ者 |一、大坂御普請ニ被残候衆、皆々右ノ御舟ニ被罷下候事
下着       |
大坂川請ノ者   |一、長谷部文左衛門登城、大坂ニ而田川河請之者共、手前銀子大可相済シ申候、利分ノ所少とゝこ
         |  うり申候ニ付、書物仕せ持下候事
         |                                                                   (丹羽)
大坂ヨリ帰着ノ普 |一、大坂ゟ被下候衆登城、大塚忠兵衛・堀江半兵衛・ニわ九郎二郎・佐藤二郎兵衛・河喜多九太夫・

請役ノ名付    |   (長良)
         |  小笠原宮内殿・井関久馬助・荒見弥太夫・服部助四郎・砂岡伝介・岩崎角丞・坂崎半兵衛・明石
         |  源左衛門・桑原主殿助・山田加左衛門・中川佐左衛門・近藤長四郎・菅村権十郎・黒部喜太夫・
         |   (削)
         |  弓銷二郎兵衛・朽木久五郎、

         |                (小笠原長元)(野田幸長)         (政三)
奉行等談合    |一、式ア殿ニ而談合、御奉行衆三人、民ア殿・小左衛門・甚左衛門、藪三左衛門天井米之儀、野田小
         |                  ニテ
薮政三返上米   |  左衛門中津へ参、埒明候様ニとの儀にて、廿一日ニ中津へ参事、
         |(追記)   (はまわき)             (浜脇村、速見郡)
天領ノ走者    |「一、豊後はまおきノ久五郎、籠ゟ出シ、はまわきへ御鉄炮衆三人相添、ふん後へ遣候、七右衛門ニ
他国ノ者故追放  |   其元ニ而埒明候様ニとの事ニ候、他国ノ者ニ候ハヽ、おいはなし候へとの事ニ候、」
         |

         |              
              廿日 両人詰 晴天 
         |
三斎へ玄猪ノ祝儀 |一、三斎様へ御いノこノ御祝被進上候を、片岡九郎左衛門御使にて持参仕、昨夕罷帰候、披露候て、
         |  (長舟)  (続)  (米田是門)
目録ニ裏判    |  十右衛門・少助・與右之目録ニうら判候て、取帰候事、
         |   (山)                     (辰珍)
片山示庵病死   |一、片岡示庵九月廿八日ニ病死候由、津川四郎右殿ゟ御奉行衆へ被申越候、則加藤新兵衛ニ被申渡候
         |  事、
馬牧見立     |一、平田勘兵衛、馬牧見立ニ参候へと被申渡、明日可参由候事、
         |                        (正直)  (胃英)     (栗) (新兵衛)
知行小物成等ノ惣 |一、野田小左衛門・豊岡甚丞ゟケ条を以談合、御奉行衆河喜多・仁保・松本・粟野・加藤惣談ニ而相
談        |  済候事、但、ケ条ニかた書仕、両人ニ被遊、ひかへ御奉行所ニ有之、  (伝介)
         |
薮政三返上米   |一、野田小左衛門明日中津へ小早二而参候、藪三左衛門運上米之儀ニ付、書状之取かわし斗にてハ埒
         |  不明候故、御家老衆談合之上にて参候事、
         |

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■「阿部茶事談」(08)釈文

2019-12-23 06:44:27 | 史料

08     御幼少ゟ泰勝寺大渕和尚尓随ひ御薙
      染有て宗玄公と申ける 妙解寺江御入院
      ありて天岸和尚とそ申ける 初七日ゟ御
      中陰百ケ日尓至迄様々の御作善成ける
      とかや 御法名
      妙解院殿前越州太守羽林臺雲宗伍
      大居士と申奉 於爰多年御高恩を蒙
      る朝夕勤仕の面々御中陰殉死の志有けるハ
       寺本八左衛門直次  大塚喜兵衛種次
       内藤長十郎元續   太田小十郎正信
       原田十次郎元直   宗像嘉兵衛景員
       阿部弥一右衛門通信 宗像吉太夫景好
       田中意徳      本条喜助重正
       伊藤左左衛門方高  右田因幡統安
       野田喜兵衛重徳   津崎五助長季
       小林理右衛門行季  林与左衛門正員
       宮永庄右衛門宗祐
      都合拾九人私宅又ハ旦那寺ニおゐて潔く
      殉死して御高恩を報し奉る 君臣之儀
      さしもとこそ聞へける 又茶話曰内藤長十郎
      元續兼々御懇意成けれハ公の御病中
      此度御様躰御全快難斗自然之時御供
       

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■細川家家臣・土山家にかかわる史料 流出

2019-12-22 19:50:39 | オークション

 ヤフオクに細川家家臣・土山家にかかわる史料が大量に出品されている。
土山家は綱利公の生母清高院の実家の清水家との関りが見受けられるが、この史料に於いても裏付けが出来そうな感じがする。
また春日局の実兄・斎藤利宗(立本斎)の妹が、土山家に嫁いでいることを窺わせる系図も見受けられて興味深い。
これだけのものが一気に出るのだから、土山家にかかわり深いお宅から出た物であろうが、これらのものがバラバラになるかと思うと悲しい気分にさせる。

    ・ah35_熊本士族 旧家初出 知行宛行状 肥後細川家 第3代 細川綱利 寛文?年
    ・ah36_熊本士族 旧家初出 知行宛行状 肥後細川家 第4代 細川宣紀 正徳6年
    ・ah37_熊本士族 旧家初出 知行宛行状(3) 肥後細川家 第5代 細川宗孝 享保19年
    ・ah38_熊本士族 旧家初出 知行宛行状 肥後細川家 第6代 細川重賢 明和6年
    ・ah39_熊本士族 旧家初出 知行宛行状(5) 肥後細川家 第6代 細川重賢 寛延元年
    ・ah40_熊本士族 旧家初出 知行宛行状(6) 肥後細川家 第7代 細川治年 天明6年
    ・ah41_熊本士族 旧家初出 知行宛行状 肥後細川家 第8代 細川斉茲 天明8年
    ・ah42_熊本士族 旧家初出 知行宛行状(8) 肥後細川藩 第9代 細川斉樹 文化9年
    ・ah43_熊本士族 旧家初出 知行宛行状(9) 肥後細川藩 第10代 細川斉護 文政9年
    ・ah44_熊本士族 旧家初出 知行宛行状(10) 肥後細川藩 第10代 細川斉護 弘化4年
    ・ah45_熊本士族 旧家初出 知行宛行状 肥後細川藩 第11代 細川慶順(韶邦) 万延2年
    ・ah46_熊本士族 旧家初出 知行所附目録 弘化4年
    ・ah47_熊本士族 旧家初出 知行所附目録(2) 文政11年 216cm
    ・ah48_熊本士族 旧家初出 知行所附目録 寛暦11年 222cm
    ・ah49_熊本士族 旧家初出 知行所附目録 131cm 明和6年
    ・ah50_熊本士族 旧家初出 知行所附目録 88cm 寛文?年
    ・ah51_熊本士族 旧家初出 江戸期 古文書 花押印有
    ・ah52_熊本士族 旧家初出 古文書 大量 まとめて 肥後細川藩 関係書類 大量 歴史資料
    ・ah53_熊本士族 旧家初出 江戸時代 家系図 古文書 肥後 細川家 美濃 斎藤家etc 貴重資料 大量 まとめて
    ・ah54_熊本士族 旧家初出 細川光尚? 細川綱利? 六丸様 書 紙本 肉筆 掛軸
    ・ah55_熊本士族 旧家初出 第6代 細川重賢 霊感院 一行書 紙本 肉筆 掛軸 九曜紋
    ・ah56_熊本士族 旧家初出 第3代 細川綱利 妙応院 書 紙本 肉筆 掛軸 九曜紋
    ・ah57_熊本士族 旧家初出 中国 馬之図 肉筆紙本 掛軸
    ・ah58_旧家初出 肥後拵え 金象嵌/目貫 太刀 日本刀
    ・ah59_旧家初出 肥後拵え /目貫 太刀 日本刀
    ・ah60_旧家初出 肥後拵え 九曜文/目貫 太刀 日本刀
    ・ah61_旧家初出 肥後鍔 /目貫 太刀 日本刀
    ・ah62_旧家初出 忠久作 肥後鍔 金象嵌 /目貫 太刀 日本刀
    ・ah63_旧家初出 肥後鍔 透かし /目貫 太刀 日本刀
    ・ah64_旧家初出 肥後鍔 金象嵌/目貫 太刀 日本刀

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■久武家との深いかかわり

2019-12-22 09:51:11 | 自分史

  私の親族に久武家がある。その祖・蔵之助親直は長曾我部元親の家老職を勤めた。
長曾我部家没落後、加藤清正に仕え、加藤家没落後は細川家に仕え、初代・千助が島原の乱で活躍して300石を拝領している。
その4代目・権左衛門は二男・丹太夫を分家(80石)として創家したが、その三女(1)が我が家の5代・太左衛門に嫁いだ。
一方時代が下って、久武本家の10代・弥左衛門(白川)の子・虎人に母方の祖父・篤人の姉・亀が嫁いでいる。
その亀の父が清四郎(3)、その父親・清太郎(2)は養子であり、我家の6代目・又之允の実弟である。又之允・清太郎兄弟は、久武丹太夫・三女の息子である。そして清太郎の娘が当家の7代又太郎に嫁いでいる。従兄妹同士の結婚である。
久武本家の7代・権之助は綺石と号する俳人として名を成したが、その弟が堀田家の養子となった金吾でその娘が清四郎の室・為であり、ここにも久武家とのつながりがあった。
この兄弟には有名な武勇伝が残されている。無礼討ちとその顛末 

 自分史をまとめる中で、久武家との深いかかわりを改めて感じながら文章にしたが、これはやはり略系図がなければ中々理解不可能であろうと思い作成したのが以下の図である。久武家との関りは、二従兄弟の子FY氏といまだにご厚誼を頂いている。

                                    

                

   

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■原文に触れる「阿部茶事談」(09)

2019-12-22 07:30:44 | 史料

                                     

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■細川小倉藩(107)寛永元年・万日帳(十月十六日~十八日)

2019-12-22 07:29:54 | 細川小倉藩

                        (寛永元年十月)十六日・十七日・十八日

         |              
              十六日 両人詰 雨 
         |
内検報告     |一、小田市左衛門内けんゟ被罷帰候、及見申候処ハ、殊外田畠悪敷御座候、殊畠方取分悪敷御座候、
         |     二分三分  
         |  御免相〇さかり申候、所ニゟ壱つさかり申所在之由、被申候事、
         |一、式ア殿ゟ、中津ゟ参候書状見せニ参候、井関五介御ともニ被召連候間、知行ノ口明可遣ノ由申来
         |    (小篠)
         |  候、小七左衛門ハ御用之儀候て、跡ニ被召置候間、替りニ五介被召連候事、
         |               (重嘉)
筑前ヨリノ小者復 |一、此間筑前ゟ走り参候小者、横山助進被置候へ共は、山へ参度申候間、遣候ヘハ、すくニはしり申
走ル       |  候由ニ候事、
三斎ヨリノ借米払 |一、中津御奉行衆ゟ式ア殿・民ア殿へ返事、 三斎様ゟ、当春御借用ノ御米払方、幷薮三左衛門手前
方        |         (野田幸長)(豊岡)
薮政三ノ借米   |  ノ儀、目録にて小左衛門・甚丞申候を、則中津へ被遣候へハ、三左衛門手前之御借米も御家中惣
         |                                    〃
         |  並ニ被仰付候間、其通小左衛門・甚丞へ被申渡候へと斗返事、目録弐つも彼帰候事、
狂気ノ入牢者ノ首 |一、籠番衆壱人登城、狂気仕候者腹中をくたし申候、くひかね御座候故、せつちんへ通候事成かね申
鉄下痢中ハハズス |  候、いかゝ可被成候哉、ちとハキもしつまり申候由申候、原中下シ申候間ハ、くぶかねはつし候
投薬ハ無用    |  へ、乍去、狂候て人をもせかり申候ハヽ、其まゝ置候へと被申渡候、薬与候事ハ不及ノ由、被申
         |  渡候事
入牢ノ中間へ味噌 |一、御中間惣左衛門籠者被仰付候、やとゟミそを遣度由候、入候時能々せんさく候て、入候へと被申
ノ差入      |  渡候事
         |        (矢野)    (是門)               (右脱)
三淵重政進上惣談 |一御奉行衆三人、助二郎・米田與右衛門所に而ゟ呼ニ参、長岡馬助殿御進上之様子御物語に候事、
         |                   〃〃     (三淵重政)
         
         |              
              十七日 両人詰 朝ハ雨 
         |  (対)    国書偽造事件(柳川事件)の当事者
朝鮮信使對馬到着 |一、津嶋殿内柳川豊前所ゟ、式ア殿へ書状参候を、御奉行衆へ見せニ参候、官人今日四日ニつしまへ
人数四百六十人
  | (宗義成)
         |  着申候由申来候、貧頭宇ハ四百六拾人参候由、申候事、
三斎へ玄猪ノ祝儀 |一、三斎様へ御いノこノ御祝儀ノ進物上ケ、片岡九郎左衛門今日昼ゟ被参候事、
         |一、乃美新四郎夜前中津ゟ罷帰候、 御書は于今上り不申由候事、
         |

         |              
              十六日 両人詰 晴天 
         |
忠利へ上グル物  |一、江戸へ飛脚大場理介・山本善兵衛、今日出舟仕候事、御荒仕子壱人参候、幷ニ御においノ御ま
匂枕 吹矢 川苔 |  くら壱つ、式ア殿ゟ御上ケ候、長崎ゟ参御吹矢・河のり彼指上ケ候事、
         |一、今日は江戸へ言上之状認候故、余之儀ニ不被構候事、
         | 

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