津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■黒井千次を読んでみる

2020-02-25 16:01:04 | 書籍・読書

 黒井千次氏といえば、私よりも10歳ばかり年長である。それが故に最近の御著には「老いの・・・」と冠された作品が多い。
図書館で見かけたエッセイがやたらに私の心に寄り添い、私もこんな風に小文をまとめてみたいなーという気持ちにさせてくれる。
まずは一二冊座右に置きたいと下の二冊を選んでAmazonに注文した。

散歩の一歩 散歩の一歩
    いちばん大切なものは、ゆっくり考えるための時間。
    ひそやかにたたずむ、人生の意味を綴る滋味豊かな名エッセイ42篇。

生命の道/散歩の発見/新装開店/散歩の難しさ/車内の教訓/埋れた系図/生垣の下/草と木と花/金属のプレート/小さな狭い土地/解体作業/家の顔 人の顔/動く腕/音のつきあい/あの街とこの街/家と庭木/商店街の記憶/樹木と屋根/白い記憶/戸山ヶ原周辺/郊外史のすすめ/武蔵野をめぐる一冊の本/始めと終り/寝そびれる/食卓とオシゴト/夢の果て/音のケーキ/風と光とのつきあい/老いの新しい家/移り目と変り目/受験雑誌と同人雑誌/通用門の光景/春と聞かねば――/夏の力/忙しい秋/ 他――<目次より>
   

珈琲記 珈琲記
     おいしい珈琲に出会いたい…!作家の日常を彩る「珈琲」の香り。

朝の二杯/場所の味わい/旅のカップ/眠れぬ夜/街角の立ち飲み/ストレートとブレンド/三時間の味/器具の魅力
衣裳と顔/近くの店/味覚の遊び/時の面影/珈琲日記

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■志方半兵衛言上之覚・5(12月19日付‐1)

2020-02-25 07:09:22 | 細川家譜

09(12月19日付)   居申候 板倉内膳殿被仰付候ハよせ衆一人もそん
                                                                                       ほろぼし
           ぜたる様ニてたてを以一揆を本ろ本し候へとの      本=ほ
           御下知ニて御座候由申候 松倉長門殿人数四百領
                    
           程ニて三ノ丸土手き王迠詰よせ被申既ニ三ノ丸へ     王=わ(王をわうと読んだことによる)
           のり可申候 くら仕候へ共後陳つゝき不申候 其上
           内膳殿ゟ乗申ましき由被得ニ付お尓介
           土手き王ニ詰よせ居申由ニ候事
         一、鍋嶋勢ハ竹たばもつけすせいろうも上不
           申石火矢をも打不申城ゟ間を置居申ニ付
           上使衆ゟ何とて石火矢をも打不申竹たば
           せいろうをも不仕居申候哉と被仰候ヘハ石火矢
           竹木も無御座候ニ付右之分ニ御座候かいなたるく
           思召候ハヽ勝手よき所ゟ■ミたてのりくつし
           可申と申候てはし/\ハ具足をも着不申
           居申由申候ニ付長崎ニ 上様之御石火矢御
           座候を拾丁鍋嶋へ御渡候由申候 此比竹たは
           をも少付よせ申由申候事
         一、内膳殿之御息御よせ口城へ乗申勝手一よき

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■細川小倉藩(159)寛永三年・日帳(十一月十九日)

2020-02-25 07:08:14 | 細川小倉藩

                  (寛永三年十一月)十九日

         
         |    十九日
         |
         |  上津役、御牧郡)
筑前ニテノ馬盗人 |一、筑前かうちやくノ町ニ而、下毛郡諸田村之者馬を盗申ニ付、境目ニ而誅伐可仕旨、被 仰出候、
国境ニテ誅伐   |  則ひかせ遣申候事、
         |一、百留忠左衛門、知行所へ被参居申候由ニ付、呼せ遣申候事、
大森土佐硯出来  |一、下関ノ大森土佐、御硯を仕立候而参候、則御奉行塩津勘兵衛同道候而、登城被仕候、
         |             (北原)
秉燭ノ作製ヲ錺屋 |一、ひょうそく拾ヲ可仕旨、新十郎奉行ニ而被申付由、御さいく奉行被申候間、先御ふち人ノかさり
ニ命ズ      |  やニ被申付候而、おそく出来候と被 仰出候ハヽ、其時ニ割符仕候而、手間取ニ可被申付由、申     
         |  渡候事、
         |                  「秉燭」の画像検索結果
         |
小倉町人貸米ノ返 |一、小倉町人ゟ御用ニ立候米之儀、当年ハつまり申候間、返シ被下様と、木や善賀其外之者共登城申
却ヲ願フ     |  候間、当年返シ可被遣候へ共、日損ニ相候御給人共、手前ニ滞有之上ハ、可被 仰付様無之候
旱損ニヨル滞納故 |  間、指延可申旨被 仰出候由申渡候而、返シ申候事、    
延期ヲ申渡ス   |
         |一、正木勘十郎せかれ一人、津中津ニ居申候■正木理兵衛方へ遣ニ付、篠山勘右衛門請状仕、上ヶ置
         |  申候事、       〃
         |   (豊氏)久留米藩主                         (城下大橋辺)
有馬豊氏家臣風待 |一、有馬玄蕃殿之者、上方へ罷上候処ニ、日和悪敷故、橋本へ舟ヲ付、町宿かり度由申ニ付、吉田少
ニ町宿ノ借用願  |              (是門)  
         |  右衛門へ申来候ニ付、米田與右衛門ニ、少右衛門被申候ヘハ、不苦と存候、併、式ア殿へ可相尋
         |  由ニ而、少右衛門式ア殿へ右之通被申候ヘハ、前廉の通ニ可申付由、式ア殿御申ニ付、我等共
許可サル     |  ニいかゝ可在之哉と、少右衛門被申候間、貸シ候てもくるしかる間敷由、少右衛門ニ申渡候事、
硯屋へ硯納入ニツ |一、下ノ関硯や大森土佐、御すゝり仕上ヶ候ヘハ、ごふく壱つ被遣、罷帰候也、
キ呉服ヲ与ウ   |
         |         (元五)
薫物調整ヲ志水元 |一、御たきもの、志水伯耆ニ被仰付候而、あわせ被申候ニ付而、かちの御小性衆五人、手伝ニ入申候
五ニ命ズ     |  由ニて遣候也、
         |   (久盛)豊後岡藩主
         |一、中川内膳殿ゟ御使者有之由ニ而、吉田少右衛門被罷上候、
         |                                    (国遠)
香箱制作     |一、御香箱被仰付候御奉行佐分利不二右衛門・不破太郎吉、御かうはこノ様子は道倫奉り二而被申渡候
         |  也、
         |一、中川内膳様ゟ、御使者被参候事、
         |

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■熊本の地形図を眺める

2020-02-24 16:34:06 | 熊本

 熊本大地震により、多くの県民市民が自らの被害にもかかわらず、熊本城の大被害に涙して、その復旧の進捗と共に自らを重ね合わせて奮い立たせている。
この歴史的遺産が県市民の心に深く認識されていたことが伺われる。

今でこそ熊本城周辺は高層ビルが立ち並び、近傍からその雄姿を望むことは難しい。
しかし、かっては熊本平野のいたるところから、又山々から遠望できたのである。
下図の如く京町台地に連なる阿蘇溶岩流の先端部に熊本城が建てられていた。
西には金峰山や山系の外輪部にあたる花岡山に視界を遮られているが、南・東そして北東方向まで180度の視界を眺めることができた壮大な城であることが判る。

遠くは宇土半島の山系や雁回山から御船・甲佐・矢部方面に連なる山並みで視界はさえぎられるが、広大な沖積層が熊本平野をなしこれを一望することが出来ていた。
司馬遼太郎は、「肥後のめでたさは、一国が美田でできあがっていることである」とその著「春灯雑記」(p80)に記している。
熊本洋学校の教師として明治4年に熊本に赴任してきたジェーンズは、熊本城から一望できる景色に感銘して「熊本平野が円形劇場のように広がり」と形容している。(ジェーンズ・熊本回想p20)
秋には黄金の波打つ平野が望まれたのであろう。

熊本市の東側の溶岩流の先端部は、その段丘部から阿蘇の清らかな伏流水を湧出している。
水前寺公園や江津湖の湧水がそれであり、市民の大方が水道を地下水で賄うという自然の恵みを享受している。

やや高い段丘部の広い平野部分が託麻が原の戦などの古戦場である。
熊本の地形を示す熊本市のサイトや、国土地理院の陰影地形図等を眺めていると、飽くことを知らない。

 熊本大地震以後、大きな被害をもたらした「布田川断層」やその後ひんぱんに小さな地震を頻発させた「日奈久断層」などが日本的にも知られるようになった。
熊本市には外にも立田山の北側から、熊本城の裏手を通り、金峰山の外輪部の花岡山・万日山、独鈷山、城山、御坊山の北側を結ぶ「立田山断層」が走っている。
これが随分静かであることが気味悪い。

熊本の西にそびえる金峰山はまさに熊本のシンボル的な山で、先ほど記した幾つかの山はこの外輪部だといわれる。
最西端は熊本市の小島町の田んぼの中に、熊本で一番低い山「御坊山(おんぼうさん)」として残って居り、これが熊本の悠久の歴史の証人であるということも面白い。
熊本城が建つ京町台につづく丘陵地は、立田山などと共に阿蘇の大爆発に伴う火砕流の先端部である。
                                                                 (立田山は金峰山の噴火に伴うもの・20/3/3訂正)
やわらかい石質部分は浸食崩壊を重ね、「龍崩(たつくえ)」などという地名を残している。

                                
 熊本城

 1、金峯山 2、花岡山 3、万日山 4、独鈷山 5、城山 6、御坊山 7、立田山 8、上江津湖 9、下江津湖
 A、白川 B、坪井川 C、井芹川

 

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■細川小倉藩(158)寛永三年・日帳(十一月十八日)

2020-02-24 09:54:00 | 細川小倉藩

                  (寛永三年十一月)十八日

         
         |    十八日
         |
忠利北ノ丸ニ茶ノ |一、朝、北ノ御丸ニ而御数寄成被成候事
湯        |             〃
         | ママ
         |一、
         |         (山城愛宕郡)                        (可政)     (敦行)
上洛供侍吉田ニテ |一、当年御供衆、京吉田ニ而被請取候遣銀子、日数算用にて返上被仕帳、加々山主馬・続平右衛門・
請取遣銀子ノ日数 |             (浅山)    (田中氏次)
算用銀      |  永良長兵衛ゟ参候を、則清右衛門・與左衛門判形仕候て、松本彦進・豊岡甚丞方へ遣候事、
         |         (規矩郡)
曽根ニテ打チシ雁 |一、林弥五右衛門、曽祢にて、雁壱つ打候て、持せ被差上候を、北ノ御丸へ北原新十郎被持参候事、
ヲ上グ      |
中国ヨリ梨購入  |一、中国ゟなし六十七買来候事、
         |   (三淵重政)     (英貴)     (興相)
中津家中嫡枚ニツ |一、長岡右馬助殿・有吉頼母佐殿・牧左馬允殿、中津ゟ沖津宇兵衛・村上善九郎借米之儀ニ付而、被
キ惣談      |  成御登城候事、
鶴打ノ命     |一、そねの源兵衛ニ、靏参候ハヽ、 御印無之候とも、打可申旨被 仰出候、御印ハ彼地へ 殿様頓
         |  而被成御座候間、 御直ニ可被遣旨ニ候、弥五右衛門ハ可罷帰旨、北原新十郎を以被 仰出候
         |  事
鉄砲玉薬ヲ渡ス  |  右之御意ニ候付、則、鉄炮■玉薬を持せ、右之様子御郡奉行間部申遣候也、
         |一、立入太郎兵衛儀ニ付而、真下七兵衛ゟノ状ニ 御印成被下候、幷太郎兵衛書物壱つ同前ニ包、
御印ノ袋     |  御印ノ袋ニ入置候也、
百姓下人ノ小人ノ |一、中津様御領分御百姓ノ下人、御小人ニ御奉公仕罷居候を、かの百性子をうしなひ、御百姓不罷成
帰農願許可    |  ニ之由、理り申ニ付、真下七兵衛其吟味被仕、御切米ノ残分なと算用仕遣、可返由ニ候、其跡ニ
         |  〃  
         |  ハかわりをおきかへ可申之由、被申候間、一段可然由申渡候事、
音信用鬚籠ノ制作 |一、方々へ御音信ノ時、被為入候間、ひげこいろ/\ニこしらへさせ置可申旨、野田源四郎を以被
         |   仰出ニ付、則熊野半左衛門・中山左次右衛門ニ申渡候事、
         |                      
         |           「ひげこ」の画像検索結果髭籠(ひげこ)
         |
三斎へ進上ノ鮑梅 |一、三斎様へ為御音信、あわひ・梅■梅ノ花被進候事、御使者ハ歩之御小姓吉村次左衛門也、安村太
花        |       ( マ  マ )                            〃
         |  右衛門くミ    やとハ田町四町目之由也、
         |

 

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■志方半兵衛言上之覚・4(12月13日付‐3)

2020-02-24 08:18:47 | 史料

08        一、肥後ノ御人数ハ嶋原へ御加勢共御帰陳共
           天草ニ御逗留共いまた知不申由ニ御座候
           此等之趣宜願御披露申候 恐々謹言
             十二月十三日か四日か 志方半兵衛
              諏方猪兵衛殿  
         一、肥後様去十三日ニ天草ゟ河尻まて御
           開陳被成嶋原おもて濟申迄ハ河尻ニ被成御座候
           天草ニハ小笠原備前与清田石見与被為 残置候事
         一、立允様も同十四日ニ河尻まて被成御開陳御茶屋
           之向杦嶋ニ被成御座候 御供衆ハ御舟ニ被召置候事
         一、寺沢兵庫殿去十三日ニ富岡之城被成御着候内
                立允様へ   天草へ早々被成御渡■■為御礼
           十四日之朝御使参候 立允様へ 使札を以申入候との
           御礼ニ而御座候 早々御使被成御渡為れ存候 為御礼
           三宅藤兵衛嫡子藤左衛門 立允様へ御礼ニ参申候

           同家家老原田伊与ハ相煩申ニ付名代をさし上
           申候 何も被成御對面候事                  おにけ
         一、嶋原表一揆籠居申原之城お尓介取ま幾            お尓介 鬼池か

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■嘉永七年・御知行取名鑑

2020-02-23 21:23:35 | オークション

  御知行取名鑑」検索)肥後 熊本藩 細川家 分限帳 禄高 宛行 横井左平太 大木舎人 有吉頼母 江戸 幕末 明治維新 写本 肉筆資料 
              

 細川家の侍帳もまだこういう形で残されている。別に紹介してある写真の内容からして、初出の物であることが判る。
随分高額になりそうな予感がする。最近金欠病気味の私には、指をくわえてみている他はない。
何方か奇特な方が落札されて、後で見せていただくわけにはいかないだろうかと、虫の良い考えを抱いたりしている。
皆様のご幸運をお祈りする。

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■川添昭二著「九州の中世社会」

2020-02-23 14:17:23 | 書籍・読書


熊本の中世社会を勉強しようとしても、これといった著作が見いだせない。
わが恩師・高田廉一Drは自らの御著「肥後武将の源流」をしめして、これ以上のものはないと自負しておられた。
次回の史談会では、会員のM氏が永和三・四年頃の戦いに明け暮れる熊本の様子を取り上げられるが、私にはあまりにも知識が希薄で、少々勉強しなければと感じている。
恩師・高田Drの著に、ここで取り上げる川添昭二氏の著を手に入れて、泥縄の勉強をしようと思っての事である。
Amazonに購入の手續をとった。

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■細川小倉藩(157)寛永三年・日帳(十一月十六・十七日)

2020-02-23 08:31:38 | 細川小倉藩

                  (寛永三年十一月)十六・十七日

         
         |    十六日
         |            喜介与   源三郎与
臼杵ヘノ書状   |一、豊後臼杵へ、御小人ノ〇又助・孫左衛門両人ニ、御書箱弐つ相渡、遣申候事、
         |            與介与   弥左衛門与
中川久盛ヘノ書状 |一、中川内膳様へ、御小人源四郎・十三郎両人ニ、御■文箱壱つ持せ、遣申候事、
         |                                     (米田是友)
入牢者釈放    |一、下毛郡諸田村少介籠ゟ出シ申、田川郡へ遣申、 御印土佐新太郎を以取申候、甚左衛門取次也、
弓盗人誅伐    |一、当町に而竹屋喜兵衛弓盗仕ニ付、誅伐仕候、御腰物御座候ハヽ、 御意次第誅伐可仕由、御町奉
様斬(ためしぎり)    |  行被申上旨申上候処ニ、籠ニ入置可申候、何時成共、御用次第ニ可被仰付 御意事、甚左衛門奉        
         |  り、
         |         一艘
平野長泰へ川御座 |一、大坂ニ而川御座〇幷荷舟一艘、平野遠江様御かり被成旨、寺嶋平兵衛方ゟ申越候間、則土佐新太
船ヲ貸与ス    |  郎を以立 御耳申候事、
隼鳩網ニ打込ム  |一、京都郡堅嶋村之久右衛門と申百姓、隼一居鳩網ニ打こミ申候由ニて、持参仕候、則河井権丞所へ申
         |  遣也渡候也
         |   〃
         |  (元信)室は細川興秋女・鍋
忠利南条元信邸ニ |一、南條殿へ被成候 御成候、終日被成御慰候事、
遊ブ       |            〃
         |
         |一、永井安太夫身上之儀、道家左近右衛門登城ニ而被申候事ニ付、知行所物成無滞様ニ、又来根付等
         |  迄無緩可被申付由、御郡奉行衆へ書状遣候事、
         |

         
         |    十七日
         |
忠利北丸ニ茶ノ湯 |一、朝夕共ニ北ノ御丸ニ而御数寄被成候事、
忠利万事積方ノ惣 |一、万事御積方ノ惣目録、懸御目候事、
目録ヲ閲ス    |        (正直)
証拠ノ段     |一、銀五拾目、河喜多五郎右衛門方へ遣、切手取、証拠之段ハ二入置候事、
         |                           〃
門司源兵衛預リノ |一、門司源兵衛ニ被成御預候前かとゟの赤犬、とさゟ参候黒犬、合弐疋共ニ、かい料か相渡旨、土佐
赤犬黒犬ノ飼料  |  新太郎を以被 仰出候事、
         |        
       

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■原文に触れる「志方半兵衛言上之覚」(9)

2020-02-23 07:31:50 | 史料

                               

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■転倒の後遺症

2020-02-22 20:36:21 | 徒然

 一昨日の晩酩酊の上転倒して二日目の今日、疵とは別にあちこちこわりと痛みが出て、ただ事ではなかったなと驚いている。
右腕は上がらなくなり、左手は強打したらしくて肘の所に痛みがある。足は両膝が痛くて今日の散歩ではスピードが上がらず終いであった。
昨晩は頭の傷の痛みを和らげようと、寝返りを打とうとするが、腕の痛みが災いしてこれが出来ず往生した。
打撲の痛みは一両日後に来ると聞くが、まさにその通りで、あと一両日はこの痛みに耐えなければならない。
何ともお粗末な話だが、本人は大いに反省している。

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■細川小倉藩(156)寛永三年・日帳(十一月十五日)

2020-02-22 09:45:48 | 細川小倉藩

                  (寛永三年十一月)十五日

         
         |    十五日
         |
豊後府内横目ヘノ |一、苻内御横目衆へ、芦田與兵衛被遣候、御小袖・御樽、歩之御小性升永太兵衛ニ持せ、與兵衛所迄
進物ノ仮切手   |  遣候、與兵衛慥ニ請取候とのかり切手取、被罷帰候事、
         |                     (波多)
         |一、清兵衛・左兵衛・弥兵衛乗上り候御舟ニ、中庵女房衆召連、被罷下候事、
         |                          ゟ                     (政時)
三斎ヨリノ書状  |一、中津へ被進歩之御小性守友市太夫被罷帰候、 三斎様 御書壱つ、長舟十右衛門・貴田権内ゟ之
         |  言上状壱通被持帰候、則続権六を以 御前へ上ヶ申候事、
         |
矢山牧ノ子馬病死 |一、矢山御牧ノ馬ノ子壱疋病死仕由、上田忠左衛門被申候事、
算用ノ請人六組  |一、深野左介ゟ、万事御算用之請人六与書付被差上候を、財津惣兵衛・和田伝兵衛所へ遣候事、
中津ノ大坂米奉行 |一、興津右兵衛・村上善九郎両人大坂御米奉行ニ、 三斎様ゟ被成御上ニ付、知行口明切手ノ儀長舟
ノ知行ノ口明切手 |              (有吉英貴)
鷹百石ニ十五石  |  十右衛門・貴田権内方ゟ、頼母佐殿へ被申越ニ付、高百五十石ニ石ニ付、御米ハ十五石、銀ハ百
         |                           〃〃〃〃             〃
         |      百五十目                      豊岡

銀ハ同百五十匁  |  五百石ニ十め宛被借遣候間、此段可被仰遣由申候事、但、此段甚丞ニ申渡、さん用指引可給由申
         |  〃   〃〃
         |  候、
         |
鷹師京都郡へ鷹遣 |一、御鷹師三十郎・三蔵両人被申候ハ、京都郡へ御鷹仕ニ被罷越候、其ニ付、御小人弐人、幷人足弐
ニ赴ク      |  人加申付由ニ付、則申付候、但、御鷹師衆六人被参由也、但、明日被参候事、
門司源兵衛預リノ |一、土佐ゟ参候くろの御犬一匹、門司源兵衛ニ、直ニ被成御預候、其二行、明日上毛へ御犬ニ仕候ニ
         |                            (喜左衛門)         〃
土佐ヨリノ黒犬ヲ |  被罷越候、其ニ付、犬ノはん米渡候様ニと被申候ニ付、則金子ニ申渡、わたさせ申候、但、此方
上毛ニテ遣ウ   |  ニハ何共 御意ハ無之候へ共、当分つかへ申候ニ付、右之分二位申渡候事、
犬ノ飯米     |
知行小物成奉行ノ |一、新兵衛・伝介被仕上候大目録、野田小左衛門ニ相渡候事、
算用ノ大目録ヲ惣 |
積奉行ニ渡ス   |
室ニ入レシ梅花開 |一、むろニ被成御入梅ノつほミ、今日ひらき申ニ付、とりよせ 御前へ上ヶ人矢野少右衛門、
         |

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■原文に触れる「志方半兵衛言上之覚」(8)

2020-02-22 06:40:14 | 細川家譜

                                   

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■醜態そして反省

2020-02-21 13:48:26 | 徒然

 細川家家臣T家のご子孫が、お宅に残る史料を寄託されるためにわざわざ静岡から来熊された。
熊本大学の図書館に出向かれ、永青文庫研究センターの稲葉教授など六名の方々とお話されて、寄託の方向に決まったようだ。
昨今貴重な資料がヤフオクなどに出品されで、バラバラの状態で散逸している。そんな中でのご英断に敬意を表したい。

昨晩はわがやにほど近い居酒屋で談論風発、楽しい時間を過ごさせていただいた。
嬉しさのあまりに盃を重ねすぎて、酩酊してしまった。おまけに店の前で転倒してT様とご子息にお世話をかけTAXIでお送りいただき、おまけに我家まで介助していただくという体たらくである。
朝起きてみると、頭を怪我し枕が血だらけになっていて、右手の手のひらは傷だらけで皮がめくれたり、右ひじは擦過傷で少々内出血しているという有様である。
T様にはあきれ果てておられることと思うが、すべて後の祭りでお詫びの申上げようもない。

少々うずく頭で、去年暮の忘年会では相当呑んだが何ともなかったのにと考えたことだが、あの時は「ウコン」を飲んだことを思い出した。
現役時代は相当呑んだ私だが、飲酒の人生で最悪の醜態となった。
奥方からさんざん絞られて、少々小さくなっている。

付足し:次からは「ウコン」を必ず飲む。
    雑損・・眼鏡を紛失・・

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■細川小倉藩(155)寛永三年・日帳(十一月十四日)

2020-02-21 10:47:49 | 細川家譜

                  (寛永三年十一月)十四日

         
         |    十四日
         |
三斎ヘノ書状進物 |一、三斎様へ 御茶・酒ノ入候箱一つ、幷 御文箱、又 御文箱ニ不入 御書一つ、 御書数二つ、
         |  丑刻ニ御歩之衆正源司市兵衛与守友市大夫方ニ相渡候、御小人一人相添候事、
         |         (塗師屋)此
柄巻師  塗師屋 |一、つかまき大蔵・ぬしや〇両人職人町ニ家を持居申候が、うり申度由候を、町人買申度由候、うら
居宅ノ売買ノ可否 |          (吉田)  
町奉行ノ指図次第 |  せ可申哉との儀、少右衛門被申聞候間、此方ゟノ指図無之候、御町ノ儀ニ候間、御町奉行次第ニ
         |  可被仕通、申渡候事、
         |                                (臼井)(鏡)
船頭知行所行ノ届 |一、御舟頭衆知行所へ被参候儀、御奉行所へ届、可参候哉、如何可仕と兵助・善右衛門方登城被仕候
ノ当否      |  而被申候間、今迄ハ如何被仕候哉と、相尋候処ニ、御先代、此方両人存候て遣由候間、今以其分
船頭惣奉行二人ノ |  ニ被仕候而可然由、申渡候事、
指図の旧例ニヨル |                                        (平井)
落白鷺持参    |一、白さき一つ、規矩郡徳力村死居申由候て、御百性藤右衛門御郡奉行へ持参申由候て、五郎兵衛所
         |              (右)
         |  ゟ持せ被差上候を、米與左衛門持上ヶ被申候事、  
         |           (米田是門)
         |        小人ノ          
百姓下人ノ小人ノ |一、中津御領分ノ百性下人一人、御中間内ニ御奉公申候ヲ、彼主人せかれを川流ニ而ころし申ニ付、
         |        〃〃
帰農願      |  田地作仕事不相成候事間、返シ被下候様ニと申候而、書物上ヶ申候間、真下七兵衛ニ申候へと、小
         |           〃           (米田是門)
         |  頭ニ申渡候事、其上を以談合可申由申候、御横目甚左衛門事、
         |       〃
音信物奉行任命  |一、不破角丞与熊野半左衛門、御音信奉行申付候事、
物差ノ用     |一、栗野伝助・加藤新兵衛、手前ニ被仰付物差急可申旨、被 仰付候間、其旨伝助ニ申渡候事、
貸方ノ清算    |一、御貸方之儀、甚丞・彦進ニ急度埒明候様ニと、彦進ニ申渡候事、
知行跡職ノ願   |一、大月ニ右衛門知行を、せかれ甚十郎ニ被遣、今迄甚十郎ニ被下候おふち方切米七石を■仁右衛
         |  門ニ被遣との 御印うつし、彦進・甚丞ニ相渡候事、
         |十四日
         |一、津川四郎右衛門尉殿ゟ問 太郎介所へ御用之由、御状一通、林與兵衛ニ相渡候事
         |同日    (昭光)   (蜂須賀忠英)
         |一、槇嶋云庵へ、松平阿波守様御内岡権兵衛ゟ参状、野田小左衛門方ニ言伝、中津へ遣わ候事、但、あ
         |  わゟハ、長谷部文左衛門被持下候也、
         |同日                    (長相)津川四郎右衛門妹(織田信重室)の三男
津田長相屋敷拝領 |一、市村十左衛門屋敷を、津田三十郎殿拝領有度之由、得 御諚候ヘハ、可被遣旨、 御意被成候、
願        |  則右之通、津川四郎右衛門殿へ申渡候也、
         |同日  (親英)大友宗麟の二男・田原親家道孝の子
松野親英知行所請 |一、松野織ア方知行所請薮出入之儀、津川四郎右衛門尉殿ゟ被仰出候へ共、此段前廉吟味有之儀ニ
薮之出入     |  候へ共、織ア殿薮ニ成申筈にて無之由候、米をあげ候て、被請候ヘハ、其分ニハ成申儀ニ候通、
         |  四郎右衛門尉殿へ申渡候也、
         |同日
高麗鶴ノ用    |一、高麗靏御用ノ儀ニ付而、下ノ関伊藤木工かたへ、野田小左衛門ゟ様子申遣候ニ付、御小早を遣候
         |  事
小人長崎ヘノ道中 |一、御小人長崎へ御使ニ参候て、道中にて渡りちんの儀ニ付、切手出入之様子、真下七兵衛方へ申候
渡賃ノ出入    |  事、但、此儀ハ宗像三山三郎・財津市兵衛よく存候也、
         |           〃

    

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