07 一、八代之御人数何段目ニ置候共 越中様御家老
之もの申次第可仕旨奉得其意候事
一、とかく八代之御人数ゟさきと八代之御人数と
候之間熊本の者共おし申ゟ一ばいも遠ク
武者おし可仕候 此外万事無油断可申付
之旨奉得其意候事
一、唐津勢最前嶋子表へ押よせ申刻山へ
物見をも不遣うつかと仕武者たてをも
取合せ不申其まゝはいぐんいたし数多おい
打ニうたれ申候 其数所々のかせんも唐津勢
めて被成はいぐん仕由承候 乍思只々被成下
御書之趣毛頭違申儀無御座候と奉存候事
一、右之 御書 立允様へ進御目申候事
一、嶋原表之儀はらのじやうと申所一揆男女
壱萬五六千程籠居申候 肥前筑後両国之
勢四万五六千二て去十日ゟ遠まき仕居申候
得共于今埒明不申由申候事
(寛永三年十一月)十三日
|
| 十三日
| しま
三斎小倉縞ヲ要ス |一、三斎様ゟ、小倉〇三十端御用之由、町奉行衆へ申来ニ付、次夫ニて可遣由、被申候ニ付、次夫
| ノ状を調、吉田少右衛門ニ相渡候事、
| (長泰)
|一、平野遠江様へ御飛脚として、御小人ノ吉右衛門と申者被遣、昨日ノ日帳ニ付置候、御書箱共不
| 残、右ノ御小人ニ相渡候事、但、大坂ノ 御書箱ハ渡不申候也、
|一、今日出船候御小早御船頭宮崎孫左衛門也、寺嶋平兵衛ヘノ 御書相渡遣候也、
| 弓削
|一、弓削六丞、此中煩候而被居候、在郷親所へ参、養生仕度由、勘十郎登城仕、被申候間、被参可然
| 由申渡候事、
|一、御昇上りノ河辺忠右衛門尉御蔵子、かうしゃにて候付、大坂へ上せ申候事由、申渡候事
| 〃
| (加来)
物書ノ番ノ調整 |一、かく次郎兵衛・奥少兵衛さし相申ニ付而、森六左衛門・志水安右衛門をよひ出し候て、御用調候
| 也、
| ( 紙 帳 )
風呂屋ノ紙帳ノ釣 |一、御風呂屋ノ御しちやうつりてのかき、上林甚介与之者二、さいくの衆候間、仕せ候へと、甚介ニ
手ノ鉤調整 | 申渡候事、
物書 |一、松本彦進・豊岡甚丞所ニ御物書入申由候間、森六左衛門遣候事、
入水自殺ノ吟味 |一、志賀次兵衛海中へ入、相はて候ニ付、我等共ぎんミ仕、様子深野左介方まて可申旨ニ候ニ付、存
| ( 落 着 )
| 寄通、左介ニ直ニ書物相渡、申度候処ニ、土佐新太郎ニ、らくしやく之様子か様ニ可有之と、我
| 等共申由、左介被申候ヘハ、新太郎被申ハ、重而御きんミ可被成之旨ニ付、又書物を返し被申ニ
| 付、いよ/\書物之内ニ不審ニ存処を書付、右之書物ニ相添、西野九郎兵衛を以、左介方へ遣候
| 事、
| ( マ マ ) ( マ マ )
長崎ヘノ道中渡賃 |一、国友半右衛門与御鉄炮衆 幷御小人 此両人長崎へ御使ニ被遣時、道中渡ちんノ
ノ切手ニ無念アリ | 切手ノ儀ニ付、不念成儀有之ニ付、国友半右衛門方へ御鉄炮衆之儀、か様ニ大キなる不念之儀仕
| 出者之儀ニ候間、重而又か様ニ候ヘハ、御ちうはつも可被成候間、可然御鉄炮衆被召置、彼者
之
| 申
扶持召放 | 儀ハ御扶持被放可然候ハん哉、とかく御預り之儀之御座候間、御分別ニ過申間敷之通若、御算用
| ママ 〃
| 被聞事、宗方山三郎・財津市兵衛両人へ半右衛門方へ遣申候事、
三斎へ進上ノ猫 |一、三斎様へ被進之候ねこ、乃美市郎兵衛持参被仕候処、米田與右衛門ねこ、田町久三郎と申者之ね
| (政時) (豊後大分郡)
苻内萩原ノ幕府横 | こ被 召上候、則市郎兵衛被帰候ニ、貴田権内ゟ之言伝ニ、苻内萩原ノ御横目御替候由承候間、
目交替 新任者 | 何かし御越候、身躰ハ何程ノ仁にて候を書付、科申越ノ由ニ候事
ノ姓名身躰ノ報告 |
ヲ求ム | (重信) (紀)
|一、苻内萩原之御横目ノ替ニ竹中筑後殿・東条記伊守殿両人御下候事、
| (長頼)
幕府横目ヘノ進物 |一、東条記伊守殿・竹中筑後殿、萩原之御横目ニ御下被成ニ付、御小袖五つ宛十・御樽五つ宛十被進
| (元次)
小袖樽 | 候ニ付、芦田與兵衛御使者ニ被参候、爰元ゟ與兵衛知行所まてハ、歩之御小性益永太兵衛ニ、右
| 之御小袖・御樽・御書相渡、遣申候事、
借米ノ元利ヲ返サ |一、当年方々ゟ被成御借用米、元り無御返ニ付、壱わり宛増、利米斗可返遣旨、 御意被成候、併何
ズ一割増ノ利米ヲ | も弐わり、米之分ハ一わり増可遣、三わり米ハ其儘可返二、與左衛門・清右衛門・小左衛門・彦
返ス | 進・金子・伝介相談にて申定候事、
詰衆ノ替リ |一、御詰衆、皆々知行所へ被遣候間、中小性衆御奉公仕度と存候もの共詰可申旨、永良長兵衛方に
| て、被 仰出候也、
|
細川家家士のご子孫を調べていく中で、絶家となっているお宅が多く見受けられる。
「母の実家が、妻の実家が・・□□家」という形でのお問い合わせが沢山ある。
一方養子を迎えられて家名を残そうとされるお宅もある。こちらは入り婿を迎えられたり、女姉妹の男子を迎えたりされている。
絶家となったお宅、養子を迎えられたお宅、それぞれのお宅の葛藤をお見受けする。
数代にわたり女系によって受け継がれているお宅も結構多くみられる。どこから養子、あそこから養子と眺めていくとその関係にも興味をそそられる。
DNAがつながらないご養子さんの例も多々うかがえる。
家を継ぐということは必ずしも血脈を継ぐという事ではない。又、家名を残し、先祖代々のお墓を守るという事のみであろうか。
そして、ご先祖探しのお手伝いをしてその結果に喜ばれる方々には、苦労辛酸をへて次代に家をつなごうと努力されたそれぞれの方々の覚悟と矜持を感じていただきたいと申し上げている。
私は、受け継がれているのは、まさに「矜持」であろうと考えている。プライドという英訳では伺えない、崇高な精神性が感じられる言葉である。
「某ホテルの矜持」とは、確かなバックボーンに支えられたホテルの歴史そのものであろう。
ある方から親しい仲間の会にご招待いただいた。何か話をしてほしいということである。
少々風邪気味であることをお話したところ、時間はこちらの都合に合わせるという話である。
どんなお仲間ですかと聞くと、町内の早朝掃除をしたり、小中学生の登校時の交通指導をしたり 、時にはつるんでバス旅行をしたりの「じゅくしですたい」と仰る。電話だからよく聞き取れずにいたが、焼酎の飲み仲間らしい。
再度たずねると「焼酎のみの息の臭かつば、じゅくして云うでっしょうが。息は臭そなかばってん酒飲みの会ですな」と仰る。
「じゅくし=熟柿」であることを理解した。「ちっと、ぬくなってからにしまっしょう(少し暖かくなってからにしましょう)」とのお話で逃げられなくなってしまった。
輪に引きずり込まれそうな危険な匂いも感じられるが、出かけてみようかという気にも成っている。
お招きは 熟柿仲間の会ならむ 津々
05 十二月四日之 御書同十三日ニ致参着天草之内
於河内村ニ謹而致頂戴候
一八代之御人数之御鉄炮之役被 仰下候百挺
之外ハ不被為入御鉄炮五拾挺百挺多キ分
にてハ 越中様之善悪之御堂りに成申し
間敷候少にても八代ニ御残置候得共慥ニ御用ニ
立申事御座候間此所能々分別可仕旨
奉得其意候當地江御弓御鉄炮百五拾挺
被召連候内五拾挺八代江戻申候事
一一揆之事ニ候間武者前乃■うし有間敷候
06 嶋原にても天草にても一揆身か満へを仕様ニ候ヘハ
最早こなだのかちにて候其子細ハおし寄候
事こなた乃まゝにて候一揆ニて候故はうじ
もなく物ならぬ以前ニ与風かゝ流事も
可有之候此所大事と被為 思召候条とかく物
見を山にて候ハヽ歩之者の達者なるもの五人
三人津ゝ遣見せ可申候 是ハ人数おし出スか
押出さぬかを見可申ため尓て候 足場よき べきヵ
所ニ候ハヽ馬壱疋二疋尓て先を見つくろふへぎ
叓肝要ニ候 か屋う之儀熊本尓楚んじたる
もの一人も在之間敷候 不及申物見ハ自然之
時はやくかへるが本尓て候間歩のもの見せニ遣
とても馬尓ても人数多き事かい■く仕間 な?
敷候 此所初ゟ於わりまて入事と被為思召候
一物■之時 越中様御家老之物共八代之ものニ
何事を申付候共卒度も物之約束仕間敷候
約束不仕が昔からの法にて候間能々分別可
仕旨奉得其意候事
昨日の夕食後から咳がひどくなり、用心のために9時にはベッドに入ったが、明け方に及びひどい咳込みようだ。
先週土曜日の史談会の折、帰り道で町中の人ごみの中をあるいた。マスクはしていたが、インフルエンザでも貰ったのだろうか。
5年ほど前と2年ほど前、風邪をひいて寝込み、それぞれ一週間ほどに及んだことが思い出された。
奥方から「風邪は寝るのが一番」と寝ているように言われたが、今朝8時まで寝て背中や腰の痛さが半端ない。
風邪の症状だろうか。寝ているのもつらくて起き上がったが、今日の朝散歩は取りやめるよう奥方の厳命である。
なんだか周期的にひどい風邪をひいているようで、歳を感じざるを得ない。
明日は遠来のお客様にお会いせねばならない。今日は一日ゆっくりして静養に相努めることにしよう。
それにしてもコロナウイルスの広がりは驚異的なものがある。終息が見えないだけに猶更である。
罹患された方々のご安泰をお祈り申し上げる。
(寛永三年十一月)十二日
|
| 十二日
|
忠利溜池に放鷹 |一、今朝ため池へ、御鷹野に被放 御座候、
| (木下延俊)
木下延俊書状 |一、右衛門太夫様ゟ、次飛脚ニて御文箱参候を、歩之御小姓八並少介ニ持せ、ためいけへ進之、卯ノ
| 刻之事也、
江戸供ノ願書 |一、平山藤蔵、来年も江戸御供仕度候通、則書付被差上候事、
|一、上村理右衛門、来年も江戸御供仕度之通、則書付被差上候事、
烏ノ蹴落セシ五位 |一、御舟頭三宅清兵衛持参被申候ごい壱つ、御加子二郎介と申者、御舟着所ニ而、からすけおとし候
鷺 | を、取申ノ由候而、差上候事、
| (規矩郡)
罠ノ鷂 |一、曽根之わなさしかたゟ、はい鷹一もと取候て、上ヶ申候、則甚左衛門上ヶ被申候事、
阿波ヨリノ種麦 |一、阿波ゟ、長谷部文左衛門積下り被申麦、御蔵奉行吉田忠右衛門・藤田哉兵衛方へ払申付、阿波斗
阿波斗ト当国斗ト | と御国斗とノ間を見せ申候横目ニ、河辺加兵衛を遣候事、
ノ差検分 | (木左衛門) せ
小々性京都賄ノ目 |一、御小々性衆、御台所ニ而、京都賄ノ目録、深野左助所ゟ被差越候間、則金子・中神両人へ持〇遣、
録 | 相渡候事、
平野長泰ヘノ鷹ノ |一、平野遠江様江被進之候御鷹之しほ鴨之樽二つ、御小早之御舟頭孫左衛門尉ニ相渡候事、
塩鴨 |
有吉英貴組御留守 |一、有吉頼母佐殿御与中、御留守之御奉公帳、今日御上ヶ候事
之奉公帳 |
|一、木下右衛門様ゟ御状参候、但、次飛脚にて参候、則 御返書湯浅五郎兵衛被持出、さして御急ニ
| 而ハ無之候間、其分ニ申付、次飛脚ニて可遣 御意之由、被申候事、
| 斗升
阿波ヨリノ麦種ノ |一、あわゟ参候大麦・小麦、あわの弦懸斗と御国弦懸斗、石ニ付、大麦ハ弐升五合、小麦ハ弐升弐
計量ノ差 | 〃〃〃
弦懸斗 | 合、御国斗大キ由、河部か兵衛被申来候事、
梅枝ヲ室ニ入ル |一、梅壱枝むろへ入させ可置申之由、被仰出ニ付、田町ノ森口屋吉兵衛室ニ入置申候事、
| (賀)
入水自殺 |一、志加次兵衛儀、海へとびこミ相果候ニ付、かの女房上り物ニ可成儀にて候哉、又心まゝニ可成儀
女房上リ者ノ当否 | にて候哉と、吟味仕候処ニ、次兵衛海へとひ入候時、御荒仕子ノ喜三郎を頼、ちくと申女ニきん
吟味 | ちやくを渡申由、同船のものとも書物差上申候間、かの女幷荒仕子を御せんさく可被成ゟ外ハ
| (ママ)
台所方ノ引負勘定 | 不存寄候通儀候、其上次兵衛手前台所方の儀ニ付、引負等候ハヽ、上り物ニも可成哉と存候、
| 〃 (深野)
| 左様之儀於無之は、女房心まゝニ可成儀と存候由申候処ニ、左介被申候ハ、引おいハ少も無御
| 座候、奥方衆之銀子なと少宛かり候へ共、損ニ可仕由ニ候、きんちやくを渡候儀ハ、喜三郎うけ
| きんちゃく
| とり、ちくニ渡、ちく手前ゟおくへ上ヶ申候、次兵衛はて候後、右書物おくゟ出申候、此儀ニ
| 〃〃
狂気ト決ス | 付、御せんさく可仕とハ不被 仰出候、然上ハ、狂気ニ相究候間、次兵衛女房儀ハ如被仰候、心
| まゝニ可成儀と左介被申候、一段其分ニ候而、心まゝニ可被仕と申渡候、就夫、次兵衛諸道具ハ
| 御闕所ニ可成儀かと被申候、我々申候ハ、科人にて無之候、女房心まゝニ成申上ハ、家物不残女
| (浅山)(田中氏次)
| 房ニ可遣ニ談合相究申候、右同船衆書物四つ、左介ニ相渡候事、右ノ談合ノ時ハ、清右衛門・與
| 左衛門・左介・甚左衛門也、右ノ女房ノ在所ハ中津郡高江村ノものゝ由候間、在所へ可返由、左
| 介被申候、一段可然由申渡候事、
| (衝友)
諸方へ書状 |一、谷出羽殿へ 御文箱壱つ幷しほかもノ樽弐つ
|一、平野遠江殿へ 御文箱壱つ
| (時慶)
|一、西洞院入道殿へ 御文箱壱つ
| (秀成)
|一、生嶋玄番方へ 御文箱壱つ
| (宗珠院) (長沢顕長室、沼田清延女)
京都調物奉行 |一、そうしゆいん殿へいよとのゟノ文箱一つ
大坂調物奉行 |一、寺嶋平兵衛へ 御書箱壱つ
| (宮崎)
| 右ノ分、小早ノ御船頭 孫左衛門ニ持せ、差上せ可申也、明日出船可仕由也、
|
只今春恒例の「花粉症+喉風邪=くしゃみ+鼻水+喉痛+目の痛み」状態である。ティッシュの消費量が半端ない。
昨晩などは寝れば少しは楽だろうと早寝をしてみた。寝ている間はくしゃみも止まり、鼻水も出ることはないが、朝になれば元の木阿弥である。
もっとも喉のイガイガが原因で咳が出て睡眠不足になる始末である。
今朝ほど常備の風邪薬「パブロン」を飲んでから、少しは楽になったている。
くしゃみも咳も人様に会うときは御法度である。明後日は遠来のお客様にお会いせねばならないから、何とかくしゃみ+咳を止めようと躍起になっている。
昨日は熊本もお付き合いで屋根をうっすらと白くするような積雪があった。
随分寒くていつもは付けぬ暖房をつけたが、今日は午後から良い天気で室内では暖房なしで過ごせている。
ベランダの実生の「楓」や「欅」が発芽を始めている。散歩の道すがらタンポポの花を見つけた。
先日は桜の開花を写真でご報告したが、寒いながらも春の足音は確実に聞こえているようだ。
(寛永三年十一月)十一日
|
| 十一日
|
下毛宇佐国東三郡 |一、下毛・宇佐・国東ノ御横目三人共ニ召寄、当年御給人知免帳被差上候、百性手前ゟハ被付上候免
ノ横目ヲ召寄ス | ゟも多ク所務被仕候給人有之哉、今迄右通聞立不被申候ハヽ、只今ゟよく念を入、可被立聞由申
給人知免帳 | 渡候事、
| (井)
出府ニツキ貸米 |一、岡嶋仁兵衛儀、江戸ニ被詰居候猪谷莵右衛門かわりニ被遣ニ付、当御切米、来年之御かし米両度
| 分五石、たゝ今一度ニかし可被申由、切手ニうら書仕、遣候事、
大坂へ銀渡奉行 |一、大坂へ、銀渡奉行上せ可申由、加々山主馬被申候事、
| (慰英)
|一、仁保太兵衛手前之儀、加々山主馬殿下りニ、言伝之通、具ニ承届候事、
大坂買物代銀 |一、大坂ニ而御買物代銀渡様之儀ニ付而、大坂ニ被置せ候衆ゟ、加々山主馬殿下りニ被申越候ハ、御
| 銀子奉行ハ町へ罷出候て、銀子渡之儀不罷成之由申候、寺嶋平兵衛方ハ銀子渡候証拠迄ニ判形仕
米売立代銀 | 候、又仁保太兵・深野新介両人ハ、御米売立代銀を、御銀子之奉行へ相渡候上ハ、町へ払方之儀
銀子奉行 | は不存之由被申候、此儀如何可有御座哉と被申越候、銀子奉行弐人被付置候間、町へ佐野嶋平兵
買物代ノ払方 | 衛買物に出申候時、右之御銀子奉行壱人町へ罷出候て、銀子相渡可然と、大坂へ可申上候事、
大坂上米加子ノ手 |一、大坂へ御米上せ申候ニ、御手舟不残上せ、加子そつニ不置候様ニと、白井兵介・鏡善右衛門方へ
配 | 堅申渡候、若無せんさくニ候て、加子そつニ罷為、運賃舟ニ而御米御上せ候ハヽ、右之両人可為
| 越度通、申渡候事、
江戸供ノ願書 |一、吉田久八、来年江戸御供仕度之通、望被申候書付被指上候事、
| (祇園) ( 五位鷺 ) (勝永)
五位鷺鷹ニ追ハル |一、きおんノ松原ニ、こいさぎ壱つ、たか追こミ候由ニて、寺尾左介与ノ小頭篠山勘右衛門持来、鷹
| (鈴鷹)
鈴鷹 野鷹 | ハすゝ鷹ニて候哉、野鷹ニて候哉と相尋候へ共、主ハ月行事ニて御座候ゆへ、かにはミニ相
| (縄ヵ)
| 詰申候、なをニ、子共其分ニ申候而、とらへ置申由、松原ノ上を、たかハとをり申候、すゝたか
| (音)
鈴音ハセズ | 共、野たか共見わけ不申由申候、すゝのをとハ不仕由也
| (阿波)
阿波ヨリ麦種 |一、長谷部文左衛門、あわゟ麦種五百石請取、被積下候、則 御前へ被罷出候事、
| (信通)
稲葉信通鷹師 |一、稲葉彦四郎様御鷹師被罷帰候ニ付、御たかの餌、御郡奉行衆ゟ可被相渡とのふれ状相調、則御鷹
| 師衆へ呉服持せ被遣、御使志水新丞方へ右ノ状をも渡遣候事、
三斎へ進上ノ猫ノ |一、三斎様江被進候ねこ之番ニ、御そうち坊主良春・宗也両人ニ申付候也、
番人 |
光秀の前半生がよく判らないこともあって、脚本は自由気ままという感じで展開している。
今回は細川藤孝(幽齋)が登場して、光秀と刃をかわすというシーンがあったが、そこに将軍義輝までもが現れた。
義輝は天文5年3月10日(1536年)の生まれ、藤孝は天文3年4月22日(1534年)の生まれだとされる。
つまり、父・義晴が天皇の命を受けて正室(慶寿院・近衛尚通の娘)を迎えるにあたり、それまで御側に在った清原宣賢の娘を細川晴員に下げ渡され生まれたのが藤孝であり、のちに正室から生まれたのが義輝である。
三淵藤英は晴員の嫡男であり、当然生母は異なり、藤孝にとっては異母兄ということになる。資料によっては藤英の母を清原宣賢女とするものがあるが、明らかな間違いである。
いずれにしてもイケメン俳優の勢ぞろいであるが、俳優諸氏の夫々年齢相応の時代背景である。
藤孝の子・忠興に光秀の女・珠(ガラシャ)が嫁ぐことになるが、まずはこういった人間関係を知ってもらおうとの前振りであろう。
史実が明らかな人物を描くより、却ってこのように自由な脚本による進行は中々面白い。
大河を欠かさず見るのは久しぶりである。明智氏に係る関係者の皆様は、どういう思いでご覧になっているのだろうか?
32 何の御咎もなきとも女童の作行尓ハ可な
らんか誠尓武士の御身分ハ云甲斐なき次
第 上江ハ勿論何の面目アリて朋友等も
面を可合や物語尓終たる不覚者と云ん
か畢竟ハ兼而不心懸尓て本意を亡却し
て居たりと云んかたとへ後日御咎を蒙る共
武士の本意を達して恥を後世尓残さぬ■ ■肚?
自分ニも心能忠孝の道尓も叶ひなん也と
聞るまゝ爰尓記す
追考
畑十太夫 禄五百石 無双の骨柄成故被 召抱此節討
手を蒙り候ニ臆病を構阿部か宅尓ハ不行して
震ひおのゝ紀三丁目尓さまよひ叓果て後
帰りしかハ早速御暇被下長崎ニ至り町人と成
し由力量も有て三間柄の鑓を片手に而振程
也しとかや 去れ共志なき者尓て人々之笑と
成けりと也
阿部茶話談終
これをもちまして一応の完了を見ました。タイピングの過程では藤本千鶴子氏の校本「阿部茶事談」と見比べながら読み下しを進めてまいりましたが、まさしくこの史料は「似て非なる」内容であることを知るに至りました。
この原文をもって本来の「阿部茶事談」としてお使いになりませんよう、お願い申し上げます。
昨日の朝食時TVを何気なく見ていたら「阿」という苗字の方が出演されていた。皆さんはお読みになれるだろうか。
少々失礼な申上げようだが、これを読むことができる方は「すごい・・」といってもよいだろう。
正解は「ほとり」様である。
「阿」とは、「おもねる。へつらう。」の意のほかに、「川や山などの曲がったところ。隈(くま)」などの地形に関する意もある。
熊本は元々隈本といっていたし、菊池市に隈府(わいふ)があり、熊本市・城南には隈庄(くまのしょう)という地名が残る。
いずれも菊池川・御船川流域に広がる地域であり、菊池氏・阿蘇氏の活躍に欠かせない水運に恵まれた地である。
すぐに「阿蘇」のことが頭に浮かんだ。
阿蘇とは「蘇のほとり」ということになるが、「蘇」とは「よみがえる。生きかえる。」「古代の乳製品」という意があるが、「よみがえる+ほとり」では情景が想像できない。
和名抄では阿蘇を「阿曽」と表記している。「曽」には「かさなる。かさなり。」の字義があり、山々の連なりを感じさせる。
阿蘇の地は、「山々の重なるほとり」と考えると、まさにその通りではないか。
阿蘇の語源というサイトがあるが、私の解釈は受け入れられるものではないようだ。
(寛永三年十一月)十日
|
| 十日
|
田川郡横目ニ免ノ |一、田川郡御横目松村吉左衛門尉召寄、御郡中之面之様子相尋候処ニ、今晩ハ何共違御座候儀不承之
様子ヲ尋ヌ | 由ニ候間、弥相究処聞届候て可申上旨、申渡候事、
| (忠有)
忠有後室女貸米ヲ |一、彦山僧正御房後室・御息女之米借付被下候様ニ被 仰上ニ付、御かし付可被遣候間、其段可申
渡願フ | 旨、被 仰出付、内衆よひよせ候て御意旨申渡候事、
貸米百石 |一、彦山僧正御房後室へ、右一つ書通申進之候処ニ、小野五左衛門を以、被 仰越候ハ、米百石御座
| 候間、米かしニ成共、又ハ銀子ニ被成候而成共、御貸付被成被下候様ニと被仰越候、上方へ米御
| 上せ候儀は難成思召候間、いか様共 御諚次第由候事、
| (英貴)
三斎下着ニ音信ノ |一、中津へ御音信ニノ御使者ニ、有吉頼母佐殿昨日御越候、頼母佐殿ハ未中津ニ御逗留ニ而、御進物
使者有吉英貴 | 〃
| 二付被遣候歩之御小性原孫助ニ、頼母殿ゟ御状御越候て、御きけん能上り申候、御返書で次第ニ
| 〃
| (氏次)
| 御帰可被成之由、被 仰越候、則頼母殿ゟ状、田中與左衛門 御前へ持参被申候事、
江戸供ノ願書 |一、来年江戸御供仕度由、竹内八兵衛書物持参、被申候事、
|一、三斎様御下着ニ付而、有吉頼母殿御使者ニ被遣候、然ニ昨日四つ時分ニ御進物上り申候、今朝頼
| (浅山) (田中氏次) (三淵之直)
| 母ニ罷上候へ、御返事可被成 御意之由、清右衛門・與左衛門迄状参候を、左膳方にて、御前へ
| 上ヶ申候也、
走者ノ親ニ呼返ヲ |一、松田佐太郎親ニ、早太郎儀尋出シ候而、呼返シ可申旨、不破忠左衛門申候処、忝御諚共ニ候、則
命ズ | 方々立聞候而、呼返シ可申通、申上候事、
荒地茅開 |一、続少右衛門、同亀助知行所へ参候而、田地ノ荒地を茅開申才覚仕度候、いかゝ無之哉とノ儀ニ候
| 被
| 間、冣前も、何も在々へ参度者可参旨、 御諚被成候間、可〇参旨申渡候事、
知行所行ノ届 |一、明日亀助知行所へ罷越候、
| 十一月十一拾日 続少右衛門尉(花押)
| 〃〃
江戸供ノ願書 |一、本庄長助来年之御供望之書物持参、被申候事、
| (飯田)
家中上方借銀ノ袖 |一、寛永三年之上方御借銀 御袖御判■帳 御前へ御用之由候而、飯才兵衛ニ相渡候事、
判控帳 | (表記不可・扌偏に只)
| (勝永) (武次)
上方借銀返弁 |一、上方御借銀寛永三年分之内、寺尾左介・牧丞大夫編弁仕、御袖判弐枚取返し被罷下候、御判御け
忠利ノ袖判ヲ消去 | し被成候を、清右衛門・與左衛門見届可申旨、 御意ノ由、飯田才兵衛方被申候、見申候て、右
スルヲ見届 | ノ御袖判弐枚才兵衛方手前ニ被置候へと申、返上申候、幷左介・丞大夫御銀子請払ノ目録も見可
| 申 御意ノ由、見申、是又才兵方へ返上申候也、
金山詰ノ弓鉄炮足 |一、御金山へ参候御弓・御鉄炮野小頭ニ、御法度書仕渡候を、小頭吉助・三郎四郎ニ相渡候事、
軽ノ法度書 |
| (宗茂) (重成)
立花家中ヨリ隼ヲ |一、立花飛騨様内、八嶋石見所ゟ隼二居すへさせ被越候間、宿奉行可申付由、式ア少輔殿ゟ被仰越候
贈ル | 事
| (沼田延之) ・後に清田主馬乗治室になる「国」か
河口出女切手ノ願 |一、長岡勘解由殿おは京ニ御座候、彼方へ女壱人上せ預ケ申候間、川口出切手ノ 御印被仰上候へ
コノ国生レノ女ハ | ハ、御国にて生候もの他国へ被遣間敷旨 御意候、就夫、切手勘解由殿へ返シ申候、使永井惣右
他国へ出サズ | 衛門也、
金山鉄炮足軽ノ扶 |一、御鉄炮衆御金山へ被遣ニ付、御ふちかた可被相渡との状、幷小頭共判形ノ付立、壱つニ包、友田
持方付立 | 二郎兵衛与住江少左衛門・松岡久左衛門与三浦與左衛門両人ニ相渡候事、
| (木下利房ヵ)
木下利房ト鷹鶴ヲ |一、村田彦市・木村十左衛門、宮内様へ御鷹すへさせ被遣候処ニ、今日下着被仕候、呉服三つ宛拝領
贈答ス | 被仕候由候、宮内様ゟはいたか一居被進之候事、 (鬮 取)
江戸供鬮取 |一、本庄長吉被申様、今度御供望之書物差上申候、当春 御上洛之時も御供望申候へ共、くしとりニ
| 被 仰付故、はつれ申候、其段差出ニハ書付不申候間、しせん御吟味も御座候ハヽ、其段被仰上
| 可被下由被申候事、
江戸供ノ願書 |一、竹内八兵衛、来年御供望之書物被差上候事、
|一、田中兵二郎、右同前ニ書物被差上候事、
| (林) (河田) (ママ)御
鉄砲足軽金淘ノ運 |一、弥五右衛門、八右衛門与之小頭小堀長左衛門・永井市左衛門右両人金山へ被遣、御鉄炮衆金ゆり申運
上差引ノ算用 | 上仕、差引ノ御算用ノため遣候事
| (唐 猫)
美シキ唐猫ヲ求ム |一、うつくしきからねこ御用候間、当町ニ所持仕もの候ハヽ、可被差上由、吉田少左衛門申渡候事、
触 |