水路・水車遺跡を過ぎると、銭壺山方面に向かう坂道を登りました。舗装されているため歩きやすい坂道です。低山に登っている時、棚田の跡を見かけることが少なくありません。私の家の南側にある高塔山麓の森の中にも棚田の跡があります。私が子供の頃にはすでに廃田になっていました。山裾を北側に向いた棚田でしたので、日当たりは良くなかったはずです。しかし、戦後の食糧難の時代にやむなく切り開かれたようです。
今の日本は先進国で一番食料自給率が悪いとのことです。将来何かあった時、いくらお金を積んでも買えないことがありえます。大丈夫なのかと心配になります。
秋晴れの中、海岸線から歩いて銭壺山の頂上に到着
さて、銭壺山頂上に向かって舗装道路を延々と登り続けました。車から降りて咲いたコスモスを鑑賞する人や景色を堪能する人達とすれ違いました。由宇歴史民俗資料館のある海岸線から、歩いて頂上まで登る人は今やまれのようです。かつては神代から銭壺山頂上に歩いて登り、反対側の日積の八朔踊りのお祭りに行く人々が多かったと聞きます。今の人は、昔に比べて足腰が弱いように思えます。
途中で放牧牛を見学 黄幡神社の石鳥居 ふれあいパークを横切る
大畑を過ぎて海側を見下ろしていると、下見時にはいなかった放牧牛10頭以上が群れていました。棚田跡を利用して放牧しているようです。棚田が自然の柵になっているのではないかと思います。さらに登っていると、黄幡神社が見えてきました。この付近は大幡地区と言うそうですが、かつては春と秋にお祭りが行われていたそうです。昔、社殿が焼けてしまって再建されなかったようです。
広島や岩国方面を見下ろす 眼下に日積を見下ろす
黄幡神社で小休止後、さらに道を登り続けました。汗ばみながらしばらく歩くと、右手にふれあいパークが見えてきました。ここは由宇青少年の家も兼ねた県の施設のようです。宿泊することもでき、陶芸などの研修を受けることもできます。ここまで来ると、もうすぐ銭壺山頂上です。ふれあいパーマから30分位歩いて、ようやく銭壺山に到着しました。ここからは、岩国,広島,周防大島,日積,そしてかすかに四国を遠望することができます。
銭壺山に至る史跡巡りウォーキングのコース