マー坊のあしあと。

ランニングと食べ歩き中心の生活履歴

大田原城址

2011年10月10日 | 
 





残念ながら本丸の方は立ち入り禁止に。

震災の影響?




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旧奥州道中を行く 喜連川宿~佐久山宿~大田原宿

2011年10月10日 | 旧奥州道中を行く
●20番目:『喜連川宿』


 
これまた何も残されていない喜連川宿。



喜連川を抜けて佐久山へ向かう途中。かんぴょうを干しているところがありました。

かんぴょうは栃木北部の名産品。



ほほえみ仏像



ようやく「佐久山」の文字が見えてきましたね。



●21番目:本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠27軒という小規模 『佐久山宿』


 
古い門・建物があるものの、宿場としての説明がほとんどされていない町。



消防団の倉庫の前にひっそりと「佐久山宿 下町」

このあたりは大田原市に入ったところ。喜連川と距離があるので、越えてきた人・越えて行く人が

泊まったのだろうか。かなり小さな宿場です。


箒川を越えていくと大田原が近づくはず…が直線道がかなり長い。


 
一隊の兵士が刀を持って槍を立て行進する蜃気楼が現れ、ここを通った甲州の行脚僧がこれを土地の者に聞くと

「浦蘆(ほろ)」だと答えたという。話からその碑が建てられている。



かなりきれいな水が流れている。鴨がたくさん。



●22番目:戦国時代に城が作られてから発展 『大田原宿』



この長い直線道路も「神明町」交差点で右折。ここから大田原宿。



ひっそりと「下町」の碑。



「与一の里」で、大田原信金の本店前には那須与一像が建てられている。


 
金燈籠



城下の宿場で少し入り組んだ旧道になっている。「寺町」はビジネスホテルの前に建てられていた。



大田原神社。このあたりの総鎮守。


 
蛇尾川

本日はここまで。48.6km。

この脇に「大田原城址」がある。



プチおまけ


大田原は「とうがらしの里」らしい。初耳。そんなに辛い物が好き?たくさん生産しているんだろうか。。。



◆旧奥州道中を行く(日本橋から宇都宮宿までは「旧日光道中を行く」から)
  第1回:2011年4月10日(日) 日本橋~千住宿~ 草加宿~越谷宿~ 粕壁宿~杉戸宿~ 幸手宿~栗橋宿  
  第2回:2011年4月17日(日) 栗橋宿~中田宿~古河宿~ 野木宿~間々田宿~小山宿
  第3回:2011年5月4日(水・祝) 小山宿~新田宿~小金井宿~ 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿
  第4回:2011年10月10日(月・祝) 宇都宮宿~白澤宿~氏家宿~ 喜連川宿~佐久山宿~大田原宿
  第5回:2012年4月22日(日) 大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~ 芦野宿~ 白坂宿~白河宿
  第6回:2012年4月30日(月・祝) 白河宿~女石追分 

  番外編:女石追分~白河宿~白坂宿~白河の関(奥の細道をたどる)



五街道シリーズ
旧東海道を行く 日本橋~
旧中山道を行く 日本橋~
旧日光道中を行く 日本橋~
旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
旧甲州道中を行く 日本橋~




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旧奥州道中を行く 宇都宮宿~白澤宿~氏家宿~喜連川へ

2011年10月10日 | 旧奥州道中を行く
半年ぶり?旧街道を行くシリーズ。

とぼとぼとゆっくり走るので、ランニングフォームにはマイナス面も多いけれど、

消費カロリーはばっちりだかんね。


宇都宮駅東口に車を置いて、日光道中と奥州道中の追分へ。2.7km。



●17番目:宇都宮城下の宿場で日光道中・奥州道中の追分 『宇都宮宿』



ここから左は旧日光道中。本日の旧奥州道中はそのまま直進。JR宇都宮駅へ向かう。



下野国の一宮、二荒山神社

この神社の手前を右折、一旦アーケード街を通り、少しクランク状になっている旧奥州道中。



そんな裏道のようなところでも正しいんだよね、市内には街道や昔を説明するこれが建っています。



抜け出ると右手にJR宇都宮駅が。



田川に架かる橋。

橋を越えると



旧篠原家住宅。ここを左折してひたすらまっすぐ行く。

今はこの東側に環状道路のような国道4号が作られている関係で、この通りには「白澤街道」という名がついている。



●18番目:宇都宮宿の次の宿場町 『白澤宿』



八坂神社



名残の松



街道の名残?並木道になっている。



白澤宿に入る。



薬研坂


 
宿場内


 
鳥居の左側に本陣があったらしい。この辺りの民家には江戸時代の屋号が看板として設置されている。

中山道の坂本宿みたい。

鉤の手になった宿場町はさほど大きくないためすぐに宿場外れのような景色に。


 
江戸時代の鬼怒川の渡し。西鬼怒川でかなりの水量なのは昨晩雨が降った?



白澤の一里塚



ほどなく鬼怒川が見えてくる



鬼怒川の渡し



鬼怒川



鬼怒川を渡るとさくら市。氏家宿まであと一里。


 
お伊勢の森の看板。道中の休憩所になっていたのか?



●19番目:鬼怒川舟運の北限に近い荷物の集積宿場 『氏家宿』



道標石。ここを「右江戸海道」、「左水戸かさま・下だて・下づま」

この道しるべは氏家宿の外れ(江戸から来ると入口)にあたるところ。

氏家宿には特に残されているものがないようです。


 
不動明王



瀧澤家住宅


 
狹間田一里塚。看板があり「どこどこ?」って感じだけど、塀越しにあった。どうやら「梅の木」を使った塚だったみたい。



氏家を出て次は喜連川宿。ここから一里。



アップダウンあり。ここは「弥五郎坂」

『昔早乙女坂といわれたところで、天文18年(1549)、2000余騎の宇都宮尚網の軍と500余騎の喜連川城主塩谷氏とが戦い、
宇都宮尚綱が鮎瀬弥五郎の矢で戦死、大将を討たれた宇都宮軍は敗退した。』

と説明があった。500騎で4倍の相手を返り討ちにしたとはすごい。


 
旧奥州道中は雰囲気のあるところを抜けていくが、震災で若干崩れていました。

この左手にニッカウヰスキーの工場あり。



喜連川側宿手前に「荒川」があり鮎の友釣り?



◆旧奥州道中を行く(日本橋から宇都宮宿までは「旧日光道中を行く」から)
  第1回:2011年4月10日(日) 日本橋~千住宿~ 草加宿~越谷宿~ 粕壁宿~杉戸宿~ 幸手宿~栗橋宿  
  第2回:2011年4月17日(日) 栗橋宿~中田宿~古河宿~ 野木宿~間々田宿~小山宿
  第3回:2011年5月4日(水・祝) 小山宿~新田宿~小金井宿~ 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿
  第4回:2011年10月10日(月・祝) 宇都宮宿~白澤宿~氏家宿~ 喜連川宿~佐久山宿~大田原宿
  第5回:2012年4月22日(日) 大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~ 芦野宿~ 白坂宿~白河宿
  第6回:2012年4月30日(月・祝) 白河宿~女石追分 

  番外編:女石追分~白河宿~白坂宿~白河の関(奥の細道をたどる)



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