マー坊のあしあと。

ランニングと食べ歩き中心の生活履歴

大阪マラソン 前日受付

2011年10月29日 | RUN<大会関連>
東京と同じように当日の受付はなし。

南港の【インテックス大阪】での前日受付に。結構遅くなってしまったけれども。

受付に行く人より、帰る人の方が多い時間帯に。


 


まずは受付。



最後の時間に近づいてきているだけにスタッフも疲れの色が…(笑)


 
こちらのメインスポンサーはミズノ

ドリンクはアミノバリューだし。協賛各社ブースを転々と。

ミスドも出展。(この場合「出店」じゃないよね)



ポンデライオン

ついでアザースブースの方へ。



Colantotte(コラントッテ)のブース。旧パッケージの黒が半額以下だったので買っちゃった。

Phiten(ファイテン)とは違って、「効果効能を認められています!」というフレーズに反応してしまった。

遅い時間に行ったので最後は片付けが始まっていたけれど…

東京とは違っていろんなものをもらうことはできなかった。

もらっていても困ったんだけどね。


さぁ、明日頑張ろう



隣にあった「大阪うまいもん市場」




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ナビスコカップ決勝  vs 鹿島アントラーズ

2011年10月29日 | 浦和レッズ
10月29日(土) ナビスコカップ決勝 @国立競技場
◆試合結果
浦和レッズ0-1(前半0-0・延前0-1・延後0-0)鹿島アントラーズ
得点者:105分 大迫勇也(鹿島)
入場者数:46,599人


【TV観戦記】

久しぶりにナビスコ決勝の舞台。

4回目の決勝進出でうち3回が鹿島が相手。

鹿島を越えなければタイトルはないということか。(2007年リーグも結局鹿島に逆転で優勝さらわれ…)


ゲームは完璧に鹿島ペース。

若手主体のレッズに鹿島は簡単にいなしながらボールをポゼッション。

前半を何とか凌いだものの、後半開始早々にイエロー2枚で直輝が退場。

ここからはさらに一方的な状態に。

  「よく点を取られなかったなぁ」

としか言えない。

後半35分くらいに鹿島・青木が退場。ちょっと厳しい判定で10人対10人に。

それでも流れを引き寄せることはできなかった。

なぜか?

4-1-4-1フォーメーション(退場者が出て4-1-3-1になっていたが)では1ボランチの横のスペースを使うと

前後が完全に分断できるし、攻撃に厚みを出せ、セカンドボールも拾いやすい。

だからずーっと鹿島がボールを持って攻撃を続けることになる。

今の浦和の力量からすると、しっかりと守ってカウンターしかチャンスはない。

目指した「ボールポゼッション」「リアクションサッカーからの脱却」「人もボールも動くサッカー」は封印し、

勝利への近道を探らなければならなかったのではないか?

選手交代ではこれ以上の失点を防ぎつつ、チャンスがあれば1点を!という采配だっただけに、

まずは選手が守りやすいフォーメーションを採用すべき。

攻撃的MFにタレントがいて使い切りたい気持ちもわかるが、そのようなことをしている場合じゃない。


ナビスコ準優勝。前もここから始まった。あの時、達也・啓太・長谷部などの若手が台頭してきて

翌年ナビスコ初優勝。リーグステージ制覇。天皇杯優勝。リーグ優勝。ACL制覇へとつながった。

今回の経験をつなげていくためにもリーグ戦では絶対残留をしなければならない。

気持ち切り替えて行こう。


準優勝おめでとう。




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安土城址

2011年10月29日 | 
大阪マラソンでの関西遠征・城めぐり最終「安土城址」。

JRから見ると小さい山でしかないけれど、行ってみるとかなりの急勾配だった。



長浜・彦根を過ぎて南下。左手に観音寺城跡。右側に安土城址。



まずは安土城跡の説明から。



脇を見れば石垣が。



入場料を支払って…この急激な坂を上って行かなくてはならない。これがかなりしんどい。

家来は毎日この坂を上って登城すると考えるとかなり大変だっただろうな。


 
上り始めてすぐ左側が羽柴秀吉邸跡。



2段に分かれていたみたい。



向かい側には前田利家邸跡。



石垣は結構立派に残っているみたい。


 
まだまだ続く急坂。



森蘭丸邸跡。



ここを過ぎれば平坦に。黒門。



二の丸跡



信長公廟



本丸跡


  
天守閣跡 あまり広くはないけれど6層くらいある天守が建っていたらしい。それと天守閣の石垣。



天守閣跡から。天守閣からだともっと眺めは良かったんだろうな。



琵琶湖方面の眺望


  
3重の塔とそこから下へ向かうには結構な急勾配の坂




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長浜城

2011年10月29日 | 
 
長浜城址 秀吉が初めて城持ちになったときに「今浜」から信長から一文字いただいて「長浜」にしたとかしないとか。



本丸跡


  
天守からの眺め




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菓心 おおすが

2011年10月29日 | スイーツ・お菓子
彦根のお菓子屋さんをご紹介。



本店ではなくて夢京橋店の方へ伺った。


 
三十五万石最中 緑文字が求肥餅入り。茶色が一粒栗入り


 
黒どら 冷凍してあるから自然解凍させながら…でもカチカチじゃないからすぐにでも食べられる。



横から見るとこんな感じ



ここでも”ひこにゃん”




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いと重菓舗 ~和菓子~

2011年10月29日 | スイーツ・お菓子
創業「文化六年」っていつ?

いまから約200年ほど前だって。正確には 1809年 だった。



店舗



銘菓「埋れ木」 やわらかくもっちり。白餡を求肥で包んである。6個入り840円。

この名前は彦根十三代藩主・井伊直弼大老が若き日を過ごした「埋木舎(うもれぎのや)」に因んだもの。

井伊直弼と言えば「安政の大獄」であり、その報復として「桜田門外の変」に倒れた人であり、

外国との不平等条約を締結して国を開いた人。(正しくは開かざるを得なかった人か?)

でも国に帰ると大老を複数出し、徳川幕府300年弱を支えた名家であり、その誉れの十三代。


この”国を開く”というのは今の政治状況と似ているな。外国の圧力に負け、日本不利の内容ならば

「桜田門外の変」ではないけれど、総理も大変だ。


話を元に戻すと、この「いと重」さん、美味しそうなお菓子がたくさん陳列中。

ほかにも気になるものがあったけれど、ここはぐっと我慢。



いと重菓舗
  滋賀県彦根市本町1-3-37
  TEL:0120-21-6003




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「武将たちの関ヶ原」彦根城での特別展

2011年10月29日 | 旅行・ぶらぶら



関ヶ原を戦った有名どころ武将の甲冑が展示されている。

展示の一番奥では甲冑を身につけて写真を撮るコーナーもあった。

(以下の紹介は陳列の順番ではありません)



東軍総大将・徳川家康


    
後に彦根藩初代・井伊直政      徳川四天王の一人・本多忠勝    徳川四天王の一人・榊原康政


  
福岡五十二万石・黒田長政      熊本藩初代・細川忠興

    
賤ヶ岳七本槍・福島正則        築城名手伊賀上野・藤堂高虎    土佐藩初代・山内一豊




西軍総大将・毛利輝元 大阪城から動かず。2ヵ国に厳封される。


    
西軍指揮者・石田三成        大谷吉継                 島左近



島津義弘 九州随一の猛将。敗戦後の敵中突破が後々まで伝わる。


 
真田昌幸                真田幸村(信繁)

上田の地で東軍本体・徳川秀忠軍を足止めし、関ヶ原に参戦させず。


  
五大老・上杉景勝           参謀・直江兼続

徳川家康が会津討伐へ向かった隙に三成挙兵。関ヶ原には参戦できず、北からの伊達を抑える。

兼続は【直江状】をもって徳川家康を激高させたと伝えられる。



立花宗茂 関ヶ原時は大津城攻めの為参戦できず。柳川立花藩初代。改易後復帰。

西軍に与して改易後に復帰したのは宗茂のみ。


そうそうたる顔ぶれの甲冑展示でした。




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彦根城・玄宮園

2011年10月29日 | 
彦根駅前ストリートをまっすぐ行くと彦根城。

まずは彦根駅前に。



出迎えてくれるのは初代彦根藩主・井伊直政公像。



ひこにゃんも。



佐和口多門櫓



彦根城に入っていきます。


 
彦根城博物館内



表坂を上っていく。結構な急坂。



天秤櫓 この中で「武将たちの関ヶ原」特別展開催中。

ここを抜けていくとすぐに天守のところへ出てくる。


 


 
天守からの眺め 右側が佐和山方面。

特別ゲスト登場!


 
ひこにゃん 動いているのを見るとかなりかわいい。そしてゆるい。


天守から離れて西の丸三重櫓へ


 
三重櫓とその説明



三重櫓のところにある石垣と空堀


 
櫓内の梁とか



黒門へつづく道の石垣


 
彦根城の内堀


勝手なイメージで彦根城は”小さめ”と思っていたがそんなことは無くて結構見どころが多い。

玄宮園もあるし。。。続けてでは玄宮園をご案内!


 


 
水面に彦根城が逆さに映ってる。



鳳翔台(茶席)


玄宮園をでたところで桜が咲いていた。


 


佐和口多門櫓内は無料で観覧できる。そこに入ってみた。



彦根城・城下の町並み


 
中濠といろは松


これで城と庭園と大きく歩いて2時間以上は楽しめる。




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佐和山城址

2011年10月29日 | 
大阪マラソンの前々日夜に東京⇒⇒米原⇒⇒彦根へ。

今回はこの辺りの戦国時代ゆかりの土地を回るプラン。


朝のジョグを兼ねて彦根駅の裏側にある「佐和山城址」へ向かった。

ここは石田三成公の居城であったところ。

中山道と北国街道が交わる交通の要所。


 
仙琳寺 石田三成公と縁深いらしい。

この寺を抜けていくと



佐和山城址へ向かう看板が出てくる。



途中左手には彦根城も望める。



清凉寺 井伊家の菩提寺。関ヶ原ののち石田氏に代わってこの交通の要衝へ入った井伊直政公から幕末まで井伊家。


 
龍潭寺 この奥から佐和山城址に向かう道があるのが、開館が9時のため通り抜けできず。



石田三成公の像がある。



大久保忠隣公、幽閉されていたみたい。



井伊神社


 
長寿院


 
長寿院の裏側に「宇賀神」とあったので撮ってみた。

この裏側から佐和山城址の方へ向かった。



完全に山道。トレイルランの気分。



ようやく城の一部分が出てきた。櫓があったようだ。


 
佐和山城址 この辺りが本丸跡。



眼下に彦根の町。彦根城、琵琶湖が望める。



石垣の残り

上ってきた口と反対側に降りて行った。こちらの方がメインルートのようだが、最近野猿の登場などで

「通行止め」みたいなのがあった。

申し訳ないけど突破させてもらった。

(良い子の皆さんは守ったほうがいいです。実際に林の中でごそごそ動く音あり



国道8号側へ出た。入山禁止とあるが、自分は下山だから…一休さんか?己は。



下から見た佐和山。




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