すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

授けてもらった幸い

2007年02月19日 | 教育ノート
 担任をしている頃、親によく言われたことがあった。
 「先生が受け持ちになると、必ず何か書かせられるから、嫌だ。」
 年度末には学級としての親子文集を作るのが常だった。
 大方の人は不満を言いながらも協力してくれた。それは私にとって一つの宝になっている。
 だから自分も、その時しかかけないことをしっかりと書きたいと、いつも思ってきた。
 
 PTA文集への原稿を依頼されたので、こんなことを書いてみた。

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 年明けの一月中旬、地区センターの方が「ヤスコサンバの話っこ」という冊子を届けてくださいました。
 高橋ヤスさんのお話を聞き書きという形でまとめた秋田市の小西さんという方から学校への寄贈です。

 昭和二十年から約四十年間、助産婦としておよそ千人もの赤ちゃんを取り上げたヤスさんの、いわば回想記と言えるでしょう。
 冊子では「ヤスさんを労う会」のことが冒頭に取り上げられていました。その会の開催こそ、まさにヤスさんとこの地域の象徴ではないか、と思いました。
 そこには、「命」の重みをしっかりと捉えた温かさのつながりがあるのです。
 ヤスさんは書いています。

 私たちの生きている間に、こんな少子化時代が訪れようとは思わなかった。そんな時代なのに、尊い人の命を産むのに「子どもを作る」とか「作った」とか言う。まるで物みたい、と思う。・・・・略・・・・「授けてもらった」。この言葉が大好きだ。

 今保護者になっておられる本校出身者のなかにも、「授かったよ」と声をかけられながらヤスさんに手を添えられた方がおられることでしょう。その幸せを思い、その命がつながって、目の前に授かった子がいることを忘れてこなかったからこそ、ここの子たちは、健やかに育ってきているのではないでしょうか。

 そうは言っても「子育て」は悩みがつきないものです。親にとってはある意味で「自分育て」でもあります。
 日々の些細なことに腹を立てたり、落ち込んでみたり…、比べてはいけないとわかってはいても、つい様々な情報に振り回されてみたり…。ただ、そうした負の感情も含めて寄り添うことがあるからこそ、我が子の成長や活躍を目に留め、笑顔を分かち合うことができるのも確かです。

 授かったものが自分にどんな幸いをもたらしてくれたのか、今は考える余裕がないかもしれません。
 そのことに本当に気づくのは、この文集が日焼けした顔で開かれるいつか、であったりするのです。
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