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言葉への反応力を高める

2007年02月06日 | 雑記帳
 国語辞典の活用を全校的に導入しようと思ったきっかけはいろいろあるが、よく話題として「語い力」が出されていたことがある。
 即効力はないといえ、辞典に親しみ、辞典で調べることをおっくうがらなければ、語い力を高めていくきっかけにはなると思った。
 
 すぐに辞典で調べることに対して、例えば「頭の中の辞書を使うことが大事」という論もある。つまりわからない言葉だからといってすぐ調べず、いったん自分で予想するという活動を入れ、文脈をたどったり字の構成をみたりして、類推する力を高めようということだ。
 新任の頃、そうした「意味調べ表」を実践したこともあった。

 教育出版の情報誌『Educo』を読んでいたら、ジャーナリストの池上彰さんがこんなことを書いていた。

 こどもニュースの場合は、一生懸命、難しい言葉をわかりやすく説明しようとしていました。でも、エジプトのルクソールでテロ事件があった時のことです。このときに「ルクソールとはナイル川のほとりにある町です」と説明しようとすると、子どもが「ほとりって何?」と言うんです。じゃあ「ほとり」を「近く」って言いかえようかと思ったら、先輩がちょっと待てと。(略)うんと離れていたらナイル川という例えを出さない。ほとりという言葉がわからなくても、何かナイル川の近くらしいと文脈からわかるはずだ。これは、あえてこの言葉をこのまま使うべきだと。つまり、そうじゃないと新しい言葉って覚えていかない。

 辞典を数多く引いたからといって、そのまま言葉を覚えたことにはならない。
 文脈の中で使って初めて「言葉をものにする」ことができるのだろう。池上氏のこの例は教室現場でもよくあることだし、教師はそのことをよく心得る必要があるだろう。
 
 では、なぜ辞典なのか。
 改めて考えると「言葉への反応力を高める」「言葉へアタックする術をつける」ということになるはずである。
 
 文脈の中で探るということも大切な活動であり、習慣づけたいことだ。その習慣の下地のためには、言葉に対して敏感に反応することが必要だし、下地作りとして「辞典」という世界と向き合っていることは有効になると結論づけたい。

 「言葉への反応力」と書いてみて、そういえば昨日の授業補充もそれに近いなあと改めて気づいた。次回へ。