すぷりんぐぶろぐ

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個性は、その時生まれる

2007年04月20日 | 雑記帳
 キャスターの茂木氏がいつもよりトーンを上げながら、思わず納得の一言をもらした。

「制約を発見するということが、創造性なんですね」
 
 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」の建築家隈研吾氏の回である。
「負ける建築」として著名な建築家だという。

 茂木氏がもらしたその一言は、文芸の世界で言えば俳句や短歌にもっとも強く表われるし、教育の場でも様々な指導の局面においてそういった手法?がしばしば使われていると言ってもよい。

 制約のない自由な場でこそ斬新な発想が生まれるように思うが、実はそうではなく、制約と向き合うことによって独創的なものが生まれるという考えは、ある意味普遍的な気がする。

 そんなことが頭をよぎった後、ふと、この「創造性」という言葉は「個性」と置き換えても成り立つのではないか、と思った。
 今読んでいる『だから、僕は学校へ行く!』(乙武洋匡著・講談社)にある、次のような一節と重なったからだ。

 そのこと(人それぞれ特徴が違うこと)を十分に理解した上で、「そんな自分に何ができるだろうか」と考えたとき、僕ははじめて「個性」が生まれるのだと思っている。

 『五体不満足』の世界からスポーツライターへ、そして今教育現場へ果敢に挑み始めた彼の熱のこもった言葉である。

 個性はもともとあるものでなく、生まれるものだ。
 それは、対象に対して働きかけようとするときに生まれる。
 自分の限界や、与えられた条件の制約を知り、そのうえで働きかけていこうという強い意欲に支えられて、姿を現してくるものだ。

 建築の世界と教育の世界は大きく違うだろうが、隈氏も乙武氏も、その抱えている課題の重さを楽しむかのような向き合い方は一致している。個性的、創造的という言葉は、そんな人を形容するためのものだ。