すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「最後は」までの道のりで見つける

2007年04月21日 | 読書
 『だから、僕は学校へ行く!』(乙武洋匡著・講談社)を読み終えた。

 乙武さんが教員免許をとるために、教育実習をしている教室へ、乙武さんの小学校時代の担任である高木先生が訪ねてこられた場面がある。

 授業参観をしたあと何も言わずに帰ろうとなさる高木先生は、実習校の副校長に請われて、乙武さんに一言こう話したという。

「教育はね…最後は人柄、人間性だから」
 
 この重い言葉をどう受け止めたらいいのだろうか。

 不肖この私にも、若い頃に受け持った子で教壇に立っている者もいる。
 もし請われて同じ立場にたったら、なんと言えるだろう。
 同じ言葉を自戒をこめてなら述べることはできるかもしれない。そうした恥ずかしい思いが湧きあがってくる。

 しかしそこを棚上げして、あえて共通項を探すならば、高木先生の「最後は」という言葉にこだわりを見つける。
 「人柄・人間性」と言えるまでの過程で、身につけなければならないことがとてつもなく多いのが教職の世界である。

 それは、乙武さんが配属された二年生の学級担任S先生の持つ「指導の引き出し」であったり、ナポリの熱血先生たちが、数々の裏切りという経験から得た「信頼を伝えることの大切さ」であったりするだろう。

 どういう仕事の仕方をするかによっても、人間性は育てられるものである。