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軋轢との付き合い方を考える

2007年04月23日 | 雑記帳
 二年前大きな話題となった当時32歳の民間人校長が退職したことを、野中信行先生のブログで知った。該当する記事も読んだ。しかし詳細はわからないままであり、この後の成り行き(経緯などの発表はあるのだろうか?)に注目したい。

 さて、ちょうどその日にパソコン上の昔のデータを確認する作業をしていたら、たまたまかなり以前に書き散らした文書が目についた。
 「ああ、これは」と思い出した。当時慎ましくサークルを続けていた自分たちであったが、ある日職場内部の軋轢についての相談をうけ、「自分だったら」と書き留めたものだった。
 いかにも覚書風に番号つきで文章を進めているし、おそらくサークルにも他のどこかにも提示していない文だろう。

「教頭と学級担任の対立をどう考えるか」を、当時教頭だった自分が、仲間である教諭に向けて書いたという形になっている。全部で60を超えているので、前半部のみである。

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 1  本当の状況は当事者たちにしかわからないだろうけれど
 2  自分が教頭として一緒にいたら、おそらくそうはしないだろうと思う。
 3  それはなぜか
 4  指導の中心になる学級担任が、やる気になることが一番だと考えるから
 5  そのためのサポート、サジェスチョンなどが自分の務めだと思うから
 6  おそらく(4)はA教頭も同じ考えではないかと思う。
 7  そのための(5)の段階が違うのかもしれない
 8  いや、方法が異なるだけで、実際はしているのかもしれない
 9  また、校長の意向が大きく、したくてもできないのかもしれない
10  それでも私なら、自分がするべきと思ったことはやるだろう
11  例えば、今年の○○の△△もそうだったから。
12  しかし、それは校長の意を呈するという教頭の姿にはふさわしくないことだ
13  従って教頭職としては、(10)の姿は失格ということになる
14  「費用対効果」に固執している自分に少し反省
15  だから?(9)だと実際どうしようもないのが、通常の教頭の姿だ
16  もし、(7)(8)だったら、と仮定すると
17  「現状を鋭く指摘することが、それに該当する」という考えかもしれない
18  そうしたことで、指導の主になる学級担任がやる気になるし、
19  対応できる力量も持ち合わせていると判断しているのではないか
20  しかし、担任の受け止め方はそうではないようだ
21  (20)のことが今回のやりとりでわかったとしたら、
22  異なる方法がとられることと思う
23  もしとられなければ、(5)に関する引き出しが狭いといわざるを得ないだろう
24  ただ、それはそれとしてここは自分から動くのが「たしなみ」ではないか。
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 思考法としてはほとんど変わっていない自分を感じる。
 今、立場が変わり、その目で(10)(11)(12)を読んでも、それはそれで良くないかという気がしている。

 結局(10)の本気さをどれほど見抜けるか、ということか。