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やはり、言葉をそぎ落とすこと

2007年06月29日 | 教育ノート
 今月も授業研究会を2回実施し、さまざまな訪問の度に授業参観もしたが、やはり「言葉」が大きなポイントであることは確かだ。
 もちろん子どもの言葉もそうであるが、その前に教師の言葉…。その意識は絶えず持ち、問題提起していくべきことだと改めて思った。


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縷述「つながる授業」19

 教育事務所訪問の折の指導で特に強調されたのは次の2点でした。

    ○活動と指導のバランス   ○組織的な授業改善

 訪問時のわずかな学習過程の参観から汲み取った問題点ということではなく、一般的な傾向としてとらえた提示だと思いました。特に、前者については日常的な点ですので、先生方も自分なりの考えをお持ちでしょう。一つの視点としてどう解釈するか、私なりに書いてみます。

 「活動のさせっぱなしではないか」、「教師主導で子どもが受身になっている」こうした相反する授業評価の言葉を私達は耳にすることがあります。しかし指導者の考えが活動重視であれ指導重視であれ、どちらか一方100%という授業は常識的にはありません。「比率」は何%が正しいという固定的なものではないはずですし、教科の特性や単元の段階でも大きく異なるといえます。もちろん子どもの実態に大きく左右されます。つまり、バランスとはその折その折で違うという前提があるのです。

 しかしそうは言っても、現状では一般的に「教師の言葉(説明・助言など)が多い」のが現実ではないでしょうか。つまり多くの場合、教師の言葉をどう精選していくかという一点で改善(子どもたちが意欲を持って活動し、学びを広げたり深めたりする)に向かうといってもいいように思います。先日の学級活動でも似た話題があったはずです。
 特に少人数の場合は活動時間に余裕があるのが一般的ですし、そこに教師が甘えると「過剰な説明」「言い直しによる曖昧な発問・指示」という傾向がなきにしもあらずではないでしょうか。言葉をそぎ落とすことによって生ずるメリットは大きいはずです。といっても「心がけ」だけで上達するほど簡単な課題ではないのも事実です。

 私たちが具体的にそれを考えていくために有効な場が授業研究会であることは言うまでもありません。そこでの個別事例を解読し、解釈し、分析し、有効な活用を見つけ、自学級での授業にどう適用させていくか…そのあたりも今後の研修の場で取り上げたいものです。組織的な授業改善の下地として、そうした校内での学びを深めていければ、共通して実践している事項も益々生きてくるでしょう。
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