文庫本のコーナーで気になった本があったのだが、どうにも前に読んだ気がする。
『プチ哲学』(佐藤雅彦著 中公文庫)
この題名は確かに記憶があるが、ぺらぺらめくってみても内容に覚えがない。マンガつきの読みやすさもあるし、まあいいかと思って購入。
休日の午後にごろんと横になって読み進めていたら、半ばを過ぎたページで見覚えのあるフレーズが…。
確か、別ブログにメモした記憶があると探したら案の定見つかった。
それなりの冊数を読みこなしてはいるが、いかに読み流しているかが証明されたようなものだ。単行本から文庫本で題名が変わった場合なども二度ほどこんなことがあったが、今度は題名はしっかり覚えていたのに…。
老化と言い訳できそうな齢にはなってきたが、それは集中力や姿勢の緩みなんだろうと思う。
この本で強調されていることが、もう一度読み直してわかった。
似たような内容が繰り返されているし、長いあとがきのように添えられた著者の日記の最後で記されているからだ。
そして、それは自分が初めて一年生を担任したとき、教室正面に大きく掲げたものでもあった。
「!」
著者は書いている。
「考える」ということを、自分は何のためにやっているかというと、このパン!という瞬間に生まれる「!」の「喜び」のためにやっている、といっても過言ではない。
ぼんやりした読み方であっても、発見があった本である。
例えば「古いシステムと新しい価値」、例えば「『アフォーダンス』という考え方」…
ちょっとサイズは小さめながら確かに「!」だった。
ただしもし書店でまた手にとってしまったら、これはもう言い訳できない。
『プチ哲学』(佐藤雅彦著 中公文庫)
この題名は確かに記憶があるが、ぺらぺらめくってみても内容に覚えがない。マンガつきの読みやすさもあるし、まあいいかと思って購入。
休日の午後にごろんと横になって読み進めていたら、半ばを過ぎたページで見覚えのあるフレーズが…。
確か、別ブログにメモした記憶があると探したら案の定見つかった。
それなりの冊数を読みこなしてはいるが、いかに読み流しているかが証明されたようなものだ。単行本から文庫本で題名が変わった場合なども二度ほどこんなことがあったが、今度は題名はしっかり覚えていたのに…。
老化と言い訳できそうな齢にはなってきたが、それは集中力や姿勢の緩みなんだろうと思う。
この本で強調されていることが、もう一度読み直してわかった。
似たような内容が繰り返されているし、長いあとがきのように添えられた著者の日記の最後で記されているからだ。
そして、それは自分が初めて一年生を担任したとき、教室正面に大きく掲げたものでもあった。
「!」
著者は書いている。
「考える」ということを、自分は何のためにやっているかというと、このパン!という瞬間に生まれる「!」の「喜び」のためにやっている、といっても過言ではない。
ぼんやりした読み方であっても、発見があった本である。
例えば「古いシステムと新しい価値」、例えば「『アフォーダンス』という考え方」…
ちょっとサイズは小さめながら確かに「!」だった。
ただしもし書店でまた手にとってしまったら、これはもう言い訳できない。