すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

死に方上手ということ

2008年09月01日 | 読書
 たぶん待合室かどこかで週刊誌を手にとったときにその連載に興味を覚えて、初めて単行本を買ったのではなかったか。
 池田晶子についてはその程度のミーハーな読者だったのだが、昨春の急逝後はなんとなく「もう少し後で」と思って手を伸ばしていなかった。
 先週、どうしたことかあの文体読みたいなあという気分になって『人間自身~考えることに終わりなく』(新潮社)を手にした。

 もちろん明晰な頭脳の持ち主には違いないのだろうが、こちらに「あっ、そうか」と感じさせる物事の捉え方が多く刺激的だった。この本もそうだった。
 しかし、なんとなく少し肩の力が抜けたような文章(例えば、本県の温泉場の話題など)もあって、なんだか悲しくなるのは、死の直前に書いたであろうという自分の思い込みに酔っているだけか。

 池田は書いている。

 もし私が親ならば、何を教育するでもない。そのような世の思い込みをいかにして見抜くか、それだけを教育する。

 「言葉が人間において語っている」とも書いている池田。死についての世俗的な感情など何ほどのものか、と一喝されるようにも思う。確かに、言葉によって池田晶子の存在はまだここにある。

 それにしても、初めて読んだときの連載タイトルが「死に方上手」だったことも、何かぐっとくるものがある。