すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

あこがれも感化も…

2008年09月09日 | 雑記帳
 私が知らない何かを、「この人は知っている。」そんな直観のようなものが、私たちの先生に対するあこがれを育む。

 脳科学者の茂木健一郎氏が、『たのしい学校』(大日本図書刊)という小冊子の冒頭エッセイに記している。
 「あこがれと尊敬」と題したそのエッセイで、茂木は学校と教師の役割について触れている。

 学校の先生は、子どもたちを「感化する」存在なのである。

 それが全てではないにしろ、非常に大きな意味を持っていることは私もわかっているつもりだ。
 だからこそ年度初めに繰り返して言うことの一つに「先生方の得意を生かして…」がある。
 これは目標への迫り方の技術でもあり、一番売れるものをさらに売るという戦略的な意味もあるが、そればかりではない。
 自分の好きなこと、得意なことを見せる、つかうときにこそ、教師の元気さが子どもたちに伝わるはずだという思いが強い。

 そして茂木の考えに沿えば、元気さが伝わることは感化につながり、学びを乞う姿勢へと向かうはずである。
(と、ここで止めてもいいはずだが)
 それにしても、それにしてもである。
 「上から目線」という批判めいた言い方一つにも、区別もけじめもないフラットな関係を志向している人がいかに多いかわかる。
 そして学校と病院、医師と教師はその矢面に立っているような印象がある。子どもたちにも確実に伝わっている。

 しかし、そんな流行の言い方を繰りかえすことは、本当にいい関係を築くことにプラスになるのか。
 考えてみるがいい。「国民目線で」を繰りかえしたこの国の宰相はあっけなく政権を放り出してしまった。

 「目線」の高低差など何ほどのものか、というパワーを持たないと人を掌握することなどできないということではないか。