すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

できそこないは語ることなかれ

2008年11月15日 | 雑記帳
 昨日は、助産師さんを講師に迎えた授業があった。
 毎年続けているのだが、いろいろな工夫が目につくし、子どもたちの興味ぶかけな眼差しも印象に残る。
 受精にかかわる神秘さについての説明は、やはり心をとらえると思う。
 一応の知識はあるにしても、生命に対する不思議さが解消されることはない。

 さて、こうした学習のときに中心になるのはどうしても女性だなと、ごく当然のことが思い浮かぶ。
 三人いらした助産師はもちろんだし、ゲストの妊婦の方…市の関係者は半々だったが、子どもたちにすれば圧倒的に女性に取り囲まれた学習となる。
 なぜかをたどっていけば、諸々の理由付けができるだろう。
 男性が中心になって教える日がくるのだろうか。いや、それも不自然かなどと考えていると、ふと浮かんだある書名。

 『できそこないの男たち』(福岡伸一著 光文社新書)

 雑誌の書評を読んだだけで、まだ目にしていないが、ずいぶんと売れているらしい。
 書評中の引用を読んだだけでも衝撃的である。

 ママの遺伝子を、誰か他の娘のところへ運ぶ『使い走り』。

 遺伝子上の女性の優位?は知るには知っていたが、突き詰めるとそこまで徹底しているとは。
 はてに、男性の平均寿命の短さの原因は男性ホルモンにありそれが免疫システムに関わるというから、どうしようもない。

 そんな「できそこない」は、やはり子どもたちに生命の起源を語る者としてはふさわしくないだろう。
 うまく出来ている。(この逃げ腰の文章が物語っている)